見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2012黄金週@関西:陽明文庫名宝展(京博)

2012-05-06 23:26:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 特別展覧会『王朝文化の華-陽明文庫名宝展-』(2012年4月17日~5月27日)

 京都市右京区宇多野にある陽明文庫には、五摂家の一つ、近衞家所伝の典籍・古文書が収められている。本展は、藤原道長自筆の『御堂関白記』や『大手鑑』など、国宝8件・重文60件を含む名品を展示する「これまでにない規模の特別展覧会」と紹介されている。

 東博では、2008年に陽明文庫創立70周年記念特別展『宮廷のみやび-近衞家1000年の名宝』が開かれている。あれもかなり盛大な展覧会だった。全点数は、今回の京博展より多かったんじゃないだろうか。もちろん道長関連の文書や典籍も来ていたし、「伝世の品」セクションで『熊野懐紙』や『粘葉本和漢朗詠集』と対面したことも覚えている。だが、個人的にいちばん印象深かったのは、江戸中期の近衛家当主、予楽院・近衛家熙(いえひろ)の関連品だった。

 それに比べると今回は、オーソドックスに近衛家の源流・藤原北家から始まるのだけど、冒頭の藤原鎌足像とか藤原高子願経(京博所蔵)とかが、陽明文庫/近衛家とどうつながるのか、あまり詳しい説明はなかったように思う。京都人には常識すぎて、そんな説明不要なんだろうか。

 今回、『御堂関白記』は、自筆本14巻、古写本12巻を(前後期で)全巻展示。具注暦に書き込まれた自筆本と、記事のみを写した古写本を見比べることができたのが面白かった。中右記とか平範記とか、学生時代に翻刻でしか見たことのない資料がぞろぞろ…。でも、意外と漢文というのは、この時代の筆跡でも読めるものだ。むしろ和歌や消息など仮名資料は、読めそうで読めない。

 だが、仮名は美しい。歴史資料としてまるごと伝えられてきたのだから、○○切という名前がついていないのは当たり前なのだが、名品と讃えられる古筆に劣らない美しい仮名が次々に現れ、垂涎ものである。

 文書から一転、鎌倉時代の太刀を並べたセクションでは、造作の美しさに見入った。近世は、家熙よりも、むしろ信尹(のぶただ、1565-1614)押しの感じがした。「寛永の三筆」の一人である。このへんから、絵画、茶道具(金彩馬上杯を含む)、香道具、雛人形など、展示資料の幅が広がってくる。

 最後の部屋は「近世・近代の絵画」という超予想外の展開。でも、これが面白かった。橋本雅邦、下村観山の作品は、これが初公開だという。なにしろ、陽明文庫の保管史料は約20万点に及ぶというから、まだ詳細調査の行き届いていないものや、近代に収蔵されて公開の機会がないものもたくさんあるのだろう。これらを東京で見られる機会はいつのことか、と思うと、京都まで見にいってよかった。

 2時間くらい見て、17時頃に博物館を出た。早めの夕食は、以前入れなかった焼野菜の「五十家(ISOYA)」に行ってみたが、今回もすでに予約で満席。炭火串焼のお店「とりと」に連れていってもらう。やっぱり京都人は、地元ならではのお店を知っている。今後のためにリンクを貼っておこう。
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2012黄金週@関西:京都文化財特別公開(東寺、法性寺、檀王法林寺、法住寺)

2012-05-06 19:30:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
 5月2日は、定時過ぎまで仕事をして、そのまま東京駅に直行。新幹線の中で、京都在住の友人から「連休中、京都に来る予定はありますか? もう向かっているとか?」というメールを受け取る。読まれているなーと思いながら「では明日」という返信をして、とりあえずの約束をする。

■東寺(京都市南区)

 五重塔初層内陣を特別公開。新しいご朱印帖を買いたかったのと、このあとの行動の便宜に、春季非公開文化財特別公開の冊子『拝観の手引』を買っておこうと思って、最初に寄った。ご朱印帖は手に入ったが、後者は受付になかった。あとで入手した冊子には、東寺の紹介が載っていなかった。京都古文化保存協会のサイトには、一括掲載されているが、”協賛”みたいな扱いなのかな。

 五重塔内陣の仏像には、あまり感銘を受けないのだが、壁画や天井画、心柱から垂直に突き出た天蓋は素晴らしいと思う。壁の真言八祖像はかなり薄れているが、左右の龍は力強い。三方の扉が開け放たれていたが、よく見ると木製扉の内側に巨大な天王像(?)か何かの痕跡がある。彩色は全く残っていないが、描線が彫り込まれたように残っているのだ。入口の東側と出口の南側はじっくり観察したが、北側も見たい。案内の学生さんにお願いして、立入り禁止のエリアに入れてもらった。北側がいちばん残りがよくて、兜や顔も分かった。無理を聞いてくれて、ありがと~。

 宝物館では『東寺の法会用具-祈りと美-』(2012年3月20日~5月25日)開催中。行道面など。友人から「さきに法性寺に入って待っています」というメールを貰い、法性寺に向かう。

■大悲山 法性寺(京都市東山区)

 バスの中で友人から「大奥みたいな襖による完全入替制のため、中で待っていることができませんでした。また後ほど」というメールをもらう。ええ?どういうこと?と思ったが、現地に行って、事情がのみこめた。



 現在の法性寺は、京阪電車の線路端に位置する、本当に小さなお寺だった。歴史上の法性寺からすると、信じられない縮小ぶりである。それでもわずかな仏像と、法性寺という名前が伝えられて来たことに、京都という町の懐の深さを感じる。正門わきの駐車場で受付をし、玄関を入る。正面は白い襖が壁のようにぴたりと閉ざされているので、ははあ、こういうことか、と納得する。左脇の八畳ほどの座敷に詰めて待たされる。「説明に10分、そのあと5分ほどご参拝の時間を設けております」と事前に申し渡された。

 やがて、襖の内側で拍手が起こり、襖が開いて、人がぱらぱらと出てきた。代わって、私の組(20~25人くらい)が中に入る。正面に本尊千手観音菩薩立像(平安時代、国宝)。思ったよりずっと小さい(像高110cm)。私はポスターの写真を見て、勝手に等身大くらいを想像していたのだ。遠くてお顔がよく見えなかったが、シルエットが美しかった。中心線がシュッとまっすぐ通っていて、左右の脇手が、上に向かって開いた花弁のように見える。顔の左右に脇面、頭上に25面の計28面を備える千手観音像だ。平安初期の中国様式(檀像)から、和様に移りかわる途中のお顔だという。

 内陣には、ほかにも、ええと摂関家の誰だかの念持仏と伝える阿弥陀如来などあり。私たちの座った仏間の左手には、不動明王と薬師如来の坐像が巨体をちぢめて窮屈そうに収まっていた。不動明王は東福寺の塔頭・同聚院、薬師如来は極楽寺(東山区本町か?)に伝わる法性寺由来の仏像の模刻であるそうだ。

■朝陽山 檀王法林寺(京都市東山区)



 初参拝。しかし、昨年、九州国立博物館で、トピック展示・檀王法林寺開創400年記念『琉球と袋中上人展』を見る機会があったので、本堂に展示された琉球将来の品々には見覚えがあった。琉球国の尚寧王が賛を記した『袋中上人図像』があったが、説明を読むと、薩摩の侵攻を受けて江戸に連行され、徳川秀忠に謁見した後のことだという。上人の人品には心服していたというけど、どういう心境だったのかなあ…。

 本尊の右手の厨子には、主夜神(しゅやしん)という聞き慣れない神格を祀る(秘仏)。女性の姿で、航海の無事を守護するというから、媽祖と関係があるだろうか。

■法住寺(京都市東山区)

 2009年に一度来たことがあり、二度目。「秘仏」扱いの後白河法皇御木像が見たくて訪ねた。確かに、前回、この書院に入った記憶はあるのだが、御像を拝した記憶はない。ただし、説明をよく聞いたら、運慶作と伝える御木像は、隣りの法住寺陵(後白河陵)の域内にある法華堂に祀られていて、江戸時代は年に一度の命日に限り開扉されていたのだという。ということは、現在は「勅封」状態で、全く開扉しないのかな。今回、特別公開されたのは、後白河法皇八百回忌の平成3年(1991)に江里康慧仏師(※平安仏所)が造顕したもの。もうちょっと大きめの厨子に納めてさしあげると、映えると思うのに。

 友人から「博物館に入ってます」のメールをもらったので、そろそろ合流しようと思うが、その前に隣りの法住寺陵が見たい。法住寺の書院からも、塀越しに樹木が見えていたが、外に出て、拝観受付の学生さんに「法住寺陵の入口はどちらですか?」と聞いてみた。すると「向かって左(西)に細い道があって、平日ならそばまで近づけるんですけど、今日は祝日なので閉まってます」とのこと。え!そうなのか。



 宮内庁~。まあ観光地でないから仕方ないのか。平日に京都に来るって、なかなか出来ないのだが…いつかリベンジをめざそう。後白河さんは、陵墓の選定にあたり、蓮華王院(三十三間堂)の隣りを自ら選ばれたという。私は、三十三間堂の北側に京都国立博物館が建ち、東洋美術の至宝を収集・収蔵し続けているのも、後白河法皇の仕掛けた磁場のせいではないかという気がしている。
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2012黄金週@関西:滝山寺ご開帳

2012-05-06 02:00:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
○滝山寺(愛知県岡崎市)本尊薬師如来ご開帳(2012年5月3日~9日)

 滝山寺には2回行ったことがあるはずだが、どちらもこのブログには出てこないので、2004年よりも前のことだと思う。名鉄線の東岡崎駅からバスに乗って行くと、川沿いに置き忘れられたような仁王門があって、そこからかなり離れたところに現在の境内がある。坂(石段)の途中、右側に宝物殿があり、ふだんはあまり開けていないらしい宝物殿を頼んで開けていただき、運慶様の聖観音・帝釈天・梵天像を見たことは、記憶している。しかし、長い石段をのぼった先の本堂については、何も記憶が残っていなかった。

 だから「滝山寺ご開帳」と聞いても、ピンとは来なかった。でも久しぶりに岡崎もいいかなと思い、今年のゴールデンウィーク、これだけは外さないつもりでいた。京都まで足をのばした帰途、15時頃に東岡崎駅に着いた。バスの乗り場がよく分からなかったので、「これから滝山寺下まで行きたいんですけど」と案内所で聞いてみた。困った顔で絶句するお姐さん。いやー私もまさかと思ったんだけど、休日は13時のあと15時50分まで無いのだ。むかしは、もう少し本数があったような気がするんだが…(※検索は名鉄バスサイトで)。

 仕方ないので、タクシーで行く。滝山寺の駐車場まで2,400円くらいだったと思う。さらに、まっすぐ伸びた石段をあがっていくと、急に眺望が開けて、本堂の前に出た。私のほかに、1、2組、拝観客の姿があった。



 ええと、内陣の特別拝観は500円だったかしら。忘れた。でも、内陣の拝観券で宝物殿も入場できて、さらに手造り木版画の葉書を2枚つけてくれたから、無料みたいなものだ。1枚は鬼まつりの面、1枚は「瀧山寺」という文字だったので「ご朱印ですか?」とお尋ねしたら「いえ、違います」と言われた。あとで、三門(山門)の額の文字だと気づいた。

 内陣に入ると、中央に本尊の薬師如来坐像。丈六といわれる大きさだろう。黒い。ひたすら黒くて、胸が厚く、堂々としている。少し垂れたような目。玉眼でないので、表情がよく分からないのが、かえって凄みに感じられる。頭頂の肉髷は、あまり高くない気がする。施無畏印の右手には水かきがあるように感じた。左手には薬壺を載せる。

 本尊の左右には、日光・月光菩薩と十二神将像。これは新しそうだった。左の壁際にも、さまざまな仏像が並べられている。多頭多臂で獅子に乗るという、不思議な尊像もあった。また、鬼祭りの鬼の面3点(祖父面・祖母面・孫面というのだそうだ)と猿の面2点も飾られていた。

 正面に戻って、お寺の方(ご住職?)と少し話す。靴を脱いで、お厨子に近づいてもいいというので、そうさせていただく。今回のご開帳は平成元年以来、23年ぶり。三門落慶法要にあわせたものだが、本当は50年に1回なので、私の代は飛ばされるかと思っていた、とのこと。「お厨子を開いたときは震えました」という言葉に実感がこもっていた。ご本尊の写真はどこにもなく、今回も写真は撮らせず、調査も外側からしかしない、という。ちなみに、あとでチェックした滝山寺ホームページの「写真回廊」および「寺宝」には「本尊 薬師如来」の写真があって、びっくりしたが、これは御前立ちだと思う。

 よく似せてあるが、秘仏ご本尊のほうが、もっと威圧感がある。薬壺も真っ黒だった。黒くなった理由は「煤でしょう。この本堂の中で、何百回となく火祭りもしているし」という。また、秘仏ご本尊には、こんな大きな光背はついていない。頭部の小さな頭光だけである。しかし、とても美しいもので、ご住職に「きれいですね」と申し上げたら、「いま、それは話題なんですよ。後から作ったものじゃないかと…。月曜に調査が入るんだけど」とおっしゃっていた。

 写真はないとおっしゃっていたが、いま御開扉の入場券を拝見すると、この素朴なスケッチは、秘仏ご本尊を写されたものではないかと思う。大事にしようっと。

 せっかくなので、久しぶりの宝物殿も拝観してゆく。ご朱印をいただけることが分かり、「薬師如来」の印をいただく。前回も「薬師如来」だったのかなあ、探してみよう。

 川沿いの道を、滝山寺下→滝→滝仁王門前とバス停2つ分歩いて、仁王門(三門)を見に行く。文永4年(1267)建立で、岡崎市内最古の建造物(国・重文)なのだ。門の脇に「篤志者御芳名」の札が立てられていたが、檀家の皆さんの厚意で、貴重な文化財が守られてよかった。



 屋根の下には4匹の隅鬼がひそんでいる。正面から見て左サイドの前後は青色、



 右サイドの前後は緑色の鬼だった。



 どうやら隅鬼は新造らしいが、仁王像は、以前のものをそのまま引き継ぎ、あえて塗り直しもしなかったようだ。新しい三門の住み心地はいかがであろう。

 あとは帰るだけなので、三門の横でのんびり次のバスを待って、帰途についた。

滝山寺・公式ホームページ
本堂で、ご住職とそのお友だち(?)が、さかんにホームページの話をしていた。「写真増やしたのよー。いいでしょ?」「いいね」など、楽しそうだった。

※YOMIURI ONLINE:滝山寺三門改修終わる 落慶法要で1000人行列(2012/5/4)
美々しいお稚児さんだけでなくて、”みんな一緒”にお祝い…という行列風景に、ご住職の人柄が感じられる。
コメント (2)
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