■東京芸術大学美術館 『芸大コレクション展-春の名品選-』(2012年4月5日~6月24日:第1期:4月5日~5月13日)
連休前半に見た展示を、思い出しながら書いておく。芸大美術館が、毎年、この時期に行うコレクション展。昨年に引き続き、今年も『絵因果経』登場で嬉しい。なんかオッサンの多い場面だったけど。狩野芳崖『悲母観音』は、意外とこの美術館で見る機会の少ない作品。
今年の目玉は、特集陳列(1)修復記念『浄瑠璃寺吉祥天厨子絵』。京都浄瑠璃寺の吉祥天立像を納めた厨子の扉および背面板が、明治の初めに寺外に流出し、明治22年(1889)に東京美術学校に所蔵されたもの。平成19~21年度の修復作業を終えて、初の公開である。吉祥天立像および厨子の模造も、一緒に展示されている。
特集陳列(2)は「藝大の創成期と依嘱事業」をテーマとし、東京美術学校や東京音楽学校が、全国の学校・企業・社寺・地方自治体などから依嘱(委嘱)を受けて取り組んだ事業が紹介されている。たとえば、今も皇居外苑に立つ楠公像。銅像の原型となる木型完成記念の古写真(パネル)には、制作にあたった多数の教員が満足げに写っている。
今回、新機軸だな!と思ったのは、美術だけでなく、音楽の事例も紹介されていたこと。東京音楽学校は、今も歌い継がれる小学唱歌集のほか、全国の学校の校歌、社歌、団体歌の依嘱作曲を手掛けてきた。会場では、実際に音源をヘッドフォンで聞くことができる。『生きよ、国民-結核予防の歌-』とか、ちょっと笑ってしまった。『内地の歌』は、釜山港(朝鮮)を出発し、下関港から山陽道、東海道を経て、東京に至るまでを道行ふうに歌い込む。委嘱の依頼状や歌詞、楽譜なども公文書(大学法人文書)として、きちんと残っている。さすがだ。ただし、所蔵は「総合芸術アーカイブセンター大学史史料室」とあった。なるほど、芸大は美術館以外に、こんな施設も持っていたのか。
明治14年(1881)に制作された実物のオルガンも展示されていた。アメリカ人、L.W.メーソンの指導により、指物師の才田光則が製作した日本最初のオルガンである。今でも演奏できる(らしい)というのがすごい。楽器の寿命って、きちんとメンテナンスすれば、長いんだな。
■東京芸術大学美術館・陳列館 『研究報告発表展』(2012年4月26日~30日)
文化財保存学専攻保存修復彫刻研究室が平成23年度に手がけた研究成果の展示発表(無料)。同研究室の大学院生が、修復・模造した原品と、その制作過程で判明した成果をまとめたパネルで構成されている。何度も失敗したとか、リアルな苦心談もさりげなく書き込まれていて、面白かった。
展示観覧は無料だが、会場入口に募金箱を置いて、”「年報2011」刊行事業への寄附金および協賛金募集のお願い”が行われていた。私は、大学が研究業績の蓄積と発信のため「年報」を刊行するのは、当然の義務であり権利であるように考えてきた。もちろん、デジタル技術の活用によって刊行費を縮減することは、ある程度できるだろうが、文化財修復といえば、お寺の住職さんなども読者に想定される分野だから、完全デジタル移行は難しいのではないか。そこで、刊行経費を自ら獲得するための「投げ銭」方式か。これで、どのくらいの金額が集まるのかは定かでないが、自分たちの研究が、社会からどの程度の認知と共感を産むのか産まないのか、学生のうちから肌で感じておくのは、いいことかもしれない。
それにしても、今の学生と大学教員は大変だなあ…と思いながら、わずかではあるが、募金してきた。無事「年報」が刊行されることを祈っている。
連休前半に見た展示を、思い出しながら書いておく。芸大美術館が、毎年、この時期に行うコレクション展。昨年に引き続き、今年も『絵因果経』登場で嬉しい。なんかオッサンの多い場面だったけど。狩野芳崖『悲母観音』は、意外とこの美術館で見る機会の少ない作品。
今年の目玉は、特集陳列(1)修復記念『浄瑠璃寺吉祥天厨子絵』。京都浄瑠璃寺の吉祥天立像を納めた厨子の扉および背面板が、明治の初めに寺外に流出し、明治22年(1889)に東京美術学校に所蔵されたもの。平成19~21年度の修復作業を終えて、初の公開である。吉祥天立像および厨子の模造も、一緒に展示されている。
特集陳列(2)は「藝大の創成期と依嘱事業」をテーマとし、東京美術学校や東京音楽学校が、全国の学校・企業・社寺・地方自治体などから依嘱(委嘱)を受けて取り組んだ事業が紹介されている。たとえば、今も皇居外苑に立つ楠公像。銅像の原型となる木型完成記念の古写真(パネル)には、制作にあたった多数の教員が満足げに写っている。
今回、新機軸だな!と思ったのは、美術だけでなく、音楽の事例も紹介されていたこと。東京音楽学校は、今も歌い継がれる小学唱歌集のほか、全国の学校の校歌、社歌、団体歌の依嘱作曲を手掛けてきた。会場では、実際に音源をヘッドフォンで聞くことができる。『生きよ、国民-結核予防の歌-』とか、ちょっと笑ってしまった。『内地の歌』は、釜山港(朝鮮)を出発し、下関港から山陽道、東海道を経て、東京に至るまでを道行ふうに歌い込む。委嘱の依頼状や歌詞、楽譜なども公文書(大学法人文書)として、きちんと残っている。さすがだ。ただし、所蔵は「総合芸術アーカイブセンター大学史史料室」とあった。なるほど、芸大は美術館以外に、こんな施設も持っていたのか。
明治14年(1881)に制作された実物のオルガンも展示されていた。アメリカ人、L.W.メーソンの指導により、指物師の才田光則が製作した日本最初のオルガンである。今でも演奏できる(らしい)というのがすごい。楽器の寿命って、きちんとメンテナンスすれば、長いんだな。
■東京芸術大学美術館・陳列館 『研究報告発表展』(2012年4月26日~30日)
文化財保存学専攻保存修復彫刻研究室が平成23年度に手がけた研究成果の展示発表(無料)。同研究室の大学院生が、修復・模造した原品と、その制作過程で判明した成果をまとめたパネルで構成されている。何度も失敗したとか、リアルな苦心談もさりげなく書き込まれていて、面白かった。
展示観覧は無料だが、会場入口に募金箱を置いて、”「年報2011」刊行事業への寄附金および協賛金募集のお願い”が行われていた。私は、大学が研究業績の蓄積と発信のため「年報」を刊行するのは、当然の義務であり権利であるように考えてきた。もちろん、デジタル技術の活用によって刊行費を縮減することは、ある程度できるだろうが、文化財修復といえば、お寺の住職さんなども読者に想定される分野だから、完全デジタル移行は難しいのではないか。そこで、刊行経費を自ら獲得するための「投げ銭」方式か。これで、どのくらいの金額が集まるのかは定かでないが、自分たちの研究が、社会からどの程度の認知と共感を産むのか産まないのか、学生のうちから肌で感じておくのは、いいことかもしれない。
それにしても、今の学生と大学教員は大変だなあ…と思いながら、わずかではあるが、募金してきた。無事「年報」が刊行されることを祈っている。