■東京国立博物館・本館特別1室・特別2室 特集陳列『平成24年新指定重要文化財』(2012年4月28日~5月13日)
第1室は書画・文書類。国宝指定された普悦筆『阿弥陀三尊像』は三幅対で、中央は青い螺髪、赤い衣の阿弥陀如来、左右の観音・勢至は、長い衣をまとい、よく見るとためいきの出るような精緻な宝冠を被っている。頭の後ろに円光を背負いつつ、さらに全身を、ロウソクの炎のような薄ぼんやりした光背(?)に囲われている。京都・清浄華院所蔵。それから、亜欧堂田善の銅版画が重要文化財指定になっていたのは嬉しかった。
第2室は造形資料。考古出土品が面白かったが、やっぱりイチ押しは、国宝指定の土偶(山形県出土)である。あまりのインパクトに呆然とした。平成4年出土、日本最大の土偶で、八頭身の優美な姿から、縄文のヴィーナスと呼ばれているそうだ。納得。
仏像には、あまり面白いものがないなあ、と思ったが、あとで1階の11室(彫刻)に行って、びっくりした。金剛峯寺の深沙大将像がいる! なぜ、ここに…と慌てたが、新指定(重文)の一部として、東博においでだったのだ。ただし、相方(?)の執金剛神像のお姿はなかったと思う。奈良・弥勒寺の眠たげな弥勒仏は、昨年秋に奈良博で見たもので、これも新指定だった。
■本館2室(国宝)『平治物語絵巻・六波羅行幸巻』(2012年4月17日~5月27日)
さて、本日のお目当ては、ほかでもない。ボストン美術館蔵『平治物語絵巻・三条殿夜討巻』の展示にあわせて公開されている『同・六波羅行幸巻』である。いちばん最近の記録だと、2008年秋に国宝室で見ているが、その前、2004年の東博リニューアルの際は、本館3室(宮廷の美術)に出ていた。その印象が強かったので、国宝室でお目当てを見つけた時は、あっここか!?と思って、少し動揺した。
そこそこの人が展示ケースに貼りついていたが、列を成すというほどではなかった。ボストン美術館展を見てきた人が多いようで、「あっちのほうが色がきれいだったわねー」「これ、未完成品なんじゃない? 色塗ってないし」という声が聞こえる。言われてみれば、確かに、巻頭の内裏の場面は、屋根と御簾だけ塗ってあって、床・柱・扉などは線描のままである。なぜなんだろう。人物を目立たせるためなんだろうか。
女装して内裏から脱出を図る二条天皇の車を、無遠慮に覗き込む武士たち。縦横に猛り狂う荒馬の手綱を取る武士たち。無頼で、礼儀知らずで、混沌とした武士のエネルギーが描かれる。続いて、牛車(美福門院の御幸)を待ちうけていたのは、規律正しく整列した武士の一団である。カッコイイ! 渦巻くような混沌と、鉄壁の規律と、どちらも貴族文化とは激しく異なる武士団の魅力を描き出しているように思う。展示は、六波羅邸に馳せ参じる公家たちまで。最後の場面、狼狽する信頼が見られなかったのは残念だが、仕方あるまい。
ところで、ボストン美術館展記事のコメントに鴨脚さんが、詞書の筆者が「弘誓院教長になっている!」と書いていらしたが(2012/4/17)ちゃんと「弘誓院教家」に直っていた(直した跡形もなく…)。書には詳しくないので、調べながら、九条教家(1194-1255)が忠通(法性寺殿)を曽祖父とすること、書は「曽祖父藤原忠通の法性寺流の流れを汲み、父の後京極流に属しながらも、独特の弘誓院流を確立」したことを知る。と言っても、具体的な書風の違いが分からないので、心もとない。もっとよく知りたいものだ。
※e国宝:『平治物語絵巻・六波羅行幸巻』
限られた場面をスクロールしながら見る方式が、実際の絵巻の閲覧に近くて、臨場感を楽しめる。かなり拡大も、自動スクロールも可能。う、嬉しい。
第1室は書画・文書類。国宝指定された普悦筆『阿弥陀三尊像』は三幅対で、中央は青い螺髪、赤い衣の阿弥陀如来、左右の観音・勢至は、長い衣をまとい、よく見るとためいきの出るような精緻な宝冠を被っている。頭の後ろに円光を背負いつつ、さらに全身を、ロウソクの炎のような薄ぼんやりした光背(?)に囲われている。京都・清浄華院所蔵。それから、亜欧堂田善の銅版画が重要文化財指定になっていたのは嬉しかった。
第2室は造形資料。考古出土品が面白かったが、やっぱりイチ押しは、国宝指定の土偶(山形県出土)である。あまりのインパクトに呆然とした。平成4年出土、日本最大の土偶で、八頭身の優美な姿から、縄文のヴィーナスと呼ばれているそうだ。納得。
仏像には、あまり面白いものがないなあ、と思ったが、あとで1階の11室(彫刻)に行って、びっくりした。金剛峯寺の深沙大将像がいる! なぜ、ここに…と慌てたが、新指定(重文)の一部として、東博においでだったのだ。ただし、相方(?)の執金剛神像のお姿はなかったと思う。奈良・弥勒寺の眠たげな弥勒仏は、昨年秋に奈良博で見たもので、これも新指定だった。
■本館2室(国宝)『平治物語絵巻・六波羅行幸巻』(2012年4月17日~5月27日)
さて、本日のお目当ては、ほかでもない。ボストン美術館蔵『平治物語絵巻・三条殿夜討巻』の展示にあわせて公開されている『同・六波羅行幸巻』である。いちばん最近の記録だと、2008年秋に国宝室で見ているが、その前、2004年の東博リニューアルの際は、本館3室(宮廷の美術)に出ていた。その印象が強かったので、国宝室でお目当てを見つけた時は、あっここか!?と思って、少し動揺した。
そこそこの人が展示ケースに貼りついていたが、列を成すというほどではなかった。ボストン美術館展を見てきた人が多いようで、「あっちのほうが色がきれいだったわねー」「これ、未完成品なんじゃない? 色塗ってないし」という声が聞こえる。言われてみれば、確かに、巻頭の内裏の場面は、屋根と御簾だけ塗ってあって、床・柱・扉などは線描のままである。なぜなんだろう。人物を目立たせるためなんだろうか。
女装して内裏から脱出を図る二条天皇の車を、無遠慮に覗き込む武士たち。縦横に猛り狂う荒馬の手綱を取る武士たち。無頼で、礼儀知らずで、混沌とした武士のエネルギーが描かれる。続いて、牛車(美福門院の御幸)を待ちうけていたのは、規律正しく整列した武士の一団である。カッコイイ! 渦巻くような混沌と、鉄壁の規律と、どちらも貴族文化とは激しく異なる武士団の魅力を描き出しているように思う。展示は、六波羅邸に馳せ参じる公家たちまで。最後の場面、狼狽する信頼が見られなかったのは残念だが、仕方あるまい。
ところで、ボストン美術館展記事のコメントに鴨脚さんが、詞書の筆者が「弘誓院教長になっている!」と書いていらしたが(2012/4/17)ちゃんと「弘誓院教家」に直っていた(直した跡形もなく…)。書には詳しくないので、調べながら、九条教家(1194-1255)が忠通(法性寺殿)を曽祖父とすること、書は「曽祖父藤原忠通の法性寺流の流れを汲み、父の後京極流に属しながらも、独特の弘誓院流を確立」したことを知る。と言っても、具体的な書風の違いが分からないので、心もとない。もっとよく知りたいものだ。
※e国宝:『平治物語絵巻・六波羅行幸巻』
限られた場面をスクロールしながら見る方式が、実際の絵巻の閲覧に近くて、臨場感を楽しめる。かなり拡大も、自動スクロールも可能。う、嬉しい。