11/1(金)夜に名古屋入り。三連休の初日は、京都非公開文化財特別公開の探訪から始めた。
■放生院(橋寺)(京都府宇治市)

宇治には何度か来ているが、橋寺は、立ち入り自由の境内に、宇治橋断碑の様子を見に寄るだけで、ひっそり締め切られたお堂の中に関心を寄せたことは一度もなかった。だから、この秋の特別公開のポスター(何パターンかある)に使われている眉目秀麗な地蔵菩薩像の写真が、橋寺のご本尊と知ったときは驚いた。
鎌倉時代後期の作で、1.9メートルのすらりとした長身。これだけ大きな仏像で、衣の装飾がはっきり残っているものは珍しいのではないかと思う。幾何学文様を細い線で描く截金も使われているが、むしろ金泥を厚塗りして朱や緑を配した唐草文様が印象的。
側面から見ると、ものすごい前傾姿勢で「人々のもとに駆け寄ろうとする姿」と説明されているが、正面から見ると、ほとんど気がつかない。もしや手足が後補で、付け替えるときにバランスを崩した?という意地悪な想像をしてみたが、朝日新聞デジタル「放生院(橋寺)ルポ」(※写真多数!)によれば、過去に一度も修理をされたことはないそうだ。堂内には、平安後期のおおどかな不動明王など、ほかにもじっくり拝したい仏像あり。
もうひとつ特筆すべきは、境内の宇治橋断碑が公開されていたこと。古文化財好きの血が騒ぎ、「これって、ふだんはブルーシートでぐるぐるにくるまれているんですよね!」と興奮しながら説明のお兄さんに言ったら、「そうです、そうです」と笑いながら答えてくれた(たまに公開されているらしい)。継目の上の原碑と、下の復元部(これも寛政5年完成だから十分な古碑)をしげしげと見比べる。
■恵心院(京都府宇治市)
真言宗智山派。開基は弘法大師、平安時代中期に恵心僧都源信によって再興され、恵心院と称した。なるほど、源氏物語宇治十帖のヒロイン浮舟を助けた横川僧都のモデルが源信とされるのは、このお寺の存在があるためか。本尊は、きらびやかな十一面観音。ほかにも多種多様な仏像がお堂に集まっていたので、解説の女子学生さんが「まるで仏像のデパートのような」と思わず口をすべられていたのに笑った。20cmくらいの小さな十二天像を、六体ずつ並べて屋根の下に収めたものが面白かった。
歓喜天の円筒形の厨子は扉が閉ざされていたが、いま古都古文化協会発行の『拝観の手引』を読んだら「源頼道の娘寛子の自念仏」とある。ええと「藤原頼道の娘(四条宮)寛子の念持仏」のことか? 後冷泉天皇の皇后として、華やかな宮廷文化の中心となったが、ついに御子を産むことはなかった女性だったはずで、その念持仏が歓喜天って、単なる伝承かもしれないけど気になる。
■興聖寺(京都府宇治市)
道元禅師開創のる曹洞宗の寺院。中国風の山門をくぐると、広い寺域に、回廊につながれた堂宇が点在している。本尊は釈迦三尊だが、宇治十帖・手習の巻にちなんで「手習観音」と呼ばれる聖観音立像が愛らしかった。
↓座禅用の座布団が並んだところ。かわいい。

■放生院(橋寺)(京都府宇治市)

宇治には何度か来ているが、橋寺は、立ち入り自由の境内に、宇治橋断碑の様子を見に寄るだけで、ひっそり締め切られたお堂の中に関心を寄せたことは一度もなかった。だから、この秋の特別公開のポスター(何パターンかある)に使われている眉目秀麗な地蔵菩薩像の写真が、橋寺のご本尊と知ったときは驚いた。
鎌倉時代後期の作で、1.9メートルのすらりとした長身。これだけ大きな仏像で、衣の装飾がはっきり残っているものは珍しいのではないかと思う。幾何学文様を細い線で描く截金も使われているが、むしろ金泥を厚塗りして朱や緑を配した唐草文様が印象的。
側面から見ると、ものすごい前傾姿勢で「人々のもとに駆け寄ろうとする姿」と説明されているが、正面から見ると、ほとんど気がつかない。もしや手足が後補で、付け替えるときにバランスを崩した?という意地悪な想像をしてみたが、朝日新聞デジタル「放生院(橋寺)ルポ」(※写真多数!)によれば、過去に一度も修理をされたことはないそうだ。堂内には、平安後期のおおどかな不動明王など、ほかにもじっくり拝したい仏像あり。
もうひとつ特筆すべきは、境内の宇治橋断碑が公開されていたこと。古文化財好きの血が騒ぎ、「これって、ふだんはブルーシートでぐるぐるにくるまれているんですよね!」と興奮しながら説明のお兄さんに言ったら、「そうです、そうです」と笑いながら答えてくれた(たまに公開されているらしい)。継目の上の原碑と、下の復元部(これも寛政5年完成だから十分な古碑)をしげしげと見比べる。
■恵心院(京都府宇治市)
真言宗智山派。開基は弘法大師、平安時代中期に恵心僧都源信によって再興され、恵心院と称した。なるほど、源氏物語宇治十帖のヒロイン浮舟を助けた横川僧都のモデルが源信とされるのは、このお寺の存在があるためか。本尊は、きらびやかな十一面観音。ほかにも多種多様な仏像がお堂に集まっていたので、解説の女子学生さんが「まるで仏像のデパートのような」と思わず口をすべられていたのに笑った。20cmくらいの小さな十二天像を、六体ずつ並べて屋根の下に収めたものが面白かった。
歓喜天の円筒形の厨子は扉が閉ざされていたが、いま古都古文化協会発行の『拝観の手引』を読んだら「源頼道の娘寛子の自念仏」とある。ええと「藤原頼道の娘(四条宮)寛子の念持仏」のことか? 後冷泉天皇の皇后として、華やかな宮廷文化の中心となったが、ついに御子を産むことはなかった女性だったはずで、その念持仏が歓喜天って、単なる伝承かもしれないけど気になる。
■興聖寺(京都府宇治市)
道元禅師開創のる曹洞宗の寺院。中国風の山門をくぐると、広い寺域に、回廊につながれた堂宇が点在している。本尊は釈迦三尊だが、宇治十帖・手習の巻にちなんで「手習観音」と呼ばれる聖観音立像が愛らしかった。
↓座禅用の座布団が並んだところ。かわいい。
