○丸谷才一『別れの挨拶』 集英社 2013.10
丸谷才一さんが亡くなられたのは、2012年10月13日のことだ。私は少し遅れて訃報を知って、2010年5月刊行の『文学のレッスン』を読み、個人的な哀悼の意の表明とした。あれから一年。札幌の書店で、なつかしい和田誠さんのイラストの表紙、細い輪郭線の中を色絵具で満たした明朝体の「丸谷才一」の著者名を見つけたときは、狐か狸にだまされたかと思った。
え?あれ?という気持ちで手に取り、「最後の〈新刊〉」というオビの文句が目に沁みた。巻末の解題によれば、2010年9月以降に発表された文章を中心に、それ以前に書かれた単行本未収録のものを加えて編集されたものだという。編集にあたった集英社文芸部の刈谷政則氏と村田登志江氏は、「できるかぎり丸谷さんの編集術を手本にしたつもりだが、評価は読者の判断にゆだねたい」と控えめに記して、解題の末尾に小さく名前を残すのみである。
だが、私は目次を見て、胸に火がともるような喜びを感じた。「I 批評と追悼」「II 王朝和歌を読む」「III 日本語、そして男の小説」「IV 書評15篇」「V 最後の挨拶」。この構成――どれも丸谷さんの生涯の仕事であり、私が読みたかったジャンルの全てである。そして、この目次立てをした編集者は、丸谷さんの仕事を熟知している愛読者に違いないと思って(仲間を見つけて)嬉しかったのだ。ここに御礼を申し述べておく。有難う。
あとはページをめくって、閑雅なひとときを楽しんだ。「英国人はなぜ皇太子を小説に書かないか」という酒の席の閑談にちょうどよさそうなエッセイは、渡辺淳一『失楽園』の売れ行きに始まり、ジョイスの『ユリシーズ』をかすって、『源氏物語』と日本文明(とイギリス王室)論に帰着するのだが、最初の問いの答えよりも、ヴィクトリア女王をめぐる馬鹿馬鹿しい笑い話のほうが記憶に残ったりする。
王朝和歌、丸谷さんの評釈は非常に論理的で、文明の伝統を抑えていて、要するに感覚的でなく知的である。でもぱさぱさと乾いたところがない。書評でこれは読もうと思ったのは、五味文彦さんの『後白河院――王の歌』。評伝『後鳥羽院』を書いた丸谷さんであるが、後白河院のことはどんなふうに見ていたのかも知りたい。
気持ちよく笑ったのは「日本語、そして男の小説」に入っている「御礼言上書を書き直す」で、文化勲章をもらったとき、受章者のうちで最年長の著者が御礼言上の役をつとめることになった。宮内庁の役人が用意した原稿を渡されたが、違えてもよいということなので引き受けた。そして、もとの原稿と著者が書き直した原稿が並べて掲載されている。簡にして要領を得た口語文というのが、よく分かる実例である。
クラシック音楽好きは昔から著者の嗜好だが、絵画に関する本格的な論考は、あまり無かったような気がするので、未完の「クリムト論」が収められているのは、とても残念な気がした。クリムトの風景画が好きで、そのほとんどが正方形のキャンヴァスなのはなぜか、というところから始まる予定だったようだ。いかにも丸谷さんらしい着眼! いまネットで「クリムト 風景画」を検索してみたら、ほんとに正方形の画像ばかり出てきて、びっくりした。誰かこの謎を書き継いでくれないか。でも誰かが謎を解き得たとしても、丸谷さんが導きたかった「答え」は永遠の謎になってしまった。すでに下りた幕の後ろで微笑んでいる著者の姿が浮かぶような気がする。

え?あれ?という気持ちで手に取り、「最後の〈新刊〉」というオビの文句が目に沁みた。巻末の解題によれば、2010年9月以降に発表された文章を中心に、それ以前に書かれた単行本未収録のものを加えて編集されたものだという。編集にあたった集英社文芸部の刈谷政則氏と村田登志江氏は、「できるかぎり丸谷さんの編集術を手本にしたつもりだが、評価は読者の判断にゆだねたい」と控えめに記して、解題の末尾に小さく名前を残すのみである。
だが、私は目次を見て、胸に火がともるような喜びを感じた。「I 批評と追悼」「II 王朝和歌を読む」「III 日本語、そして男の小説」「IV 書評15篇」「V 最後の挨拶」。この構成――どれも丸谷さんの生涯の仕事であり、私が読みたかったジャンルの全てである。そして、この目次立てをした編集者は、丸谷さんの仕事を熟知している愛読者に違いないと思って(仲間を見つけて)嬉しかったのだ。ここに御礼を申し述べておく。有難う。
あとはページをめくって、閑雅なひとときを楽しんだ。「英国人はなぜ皇太子を小説に書かないか」という酒の席の閑談にちょうどよさそうなエッセイは、渡辺淳一『失楽園』の売れ行きに始まり、ジョイスの『ユリシーズ』をかすって、『源氏物語』と日本文明(とイギリス王室)論に帰着するのだが、最初の問いの答えよりも、ヴィクトリア女王をめぐる馬鹿馬鹿しい笑い話のほうが記憶に残ったりする。
王朝和歌、丸谷さんの評釈は非常に論理的で、文明の伝統を抑えていて、要するに感覚的でなく知的である。でもぱさぱさと乾いたところがない。書評でこれは読もうと思ったのは、五味文彦さんの『後白河院――王の歌』。評伝『後鳥羽院』を書いた丸谷さんであるが、後白河院のことはどんなふうに見ていたのかも知りたい。
気持ちよく笑ったのは「日本語、そして男の小説」に入っている「御礼言上書を書き直す」で、文化勲章をもらったとき、受章者のうちで最年長の著者が御礼言上の役をつとめることになった。宮内庁の役人が用意した原稿を渡されたが、違えてもよいということなので引き受けた。そして、もとの原稿と著者が書き直した原稿が並べて掲載されている。簡にして要領を得た口語文というのが、よく分かる実例である。
クラシック音楽好きは昔から著者の嗜好だが、絵画に関する本格的な論考は、あまり無かったような気がするので、未完の「クリムト論」が収められているのは、とても残念な気がした。クリムトの風景画が好きで、そのほとんどが正方形のキャンヴァスなのはなぜか、というところから始まる予定だったようだ。いかにも丸谷さんらしい着眼! いまネットで「クリムト 風景画」を検索してみたら、ほんとに正方形の画像ばかり出てきて、びっくりした。誰かこの謎を書き継いでくれないか。でも誰かが謎を解き得たとしても、丸谷さんが導きたかった「答え」は永遠の謎になってしまった。すでに下りた幕の後ろで微笑んでいる著者の姿が浮かぶような気がする。