見もの・読みもの日記

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音楽は国民とともに/日本の軍歌(辻田真佐憲)

2014-11-20 23:04:56 | 読んだもの(書籍)
○辻田真佐憲『日本の軍歌:国民的音楽の歴史』(幻冬舎新書) 幻冬舎 2014.7

 著者は「軍歌」の社会的役割を、こんなふうに説明する。戦前の日本では、軍歌は単なる「軍隊の歌」や「右翼の歌」ではなく、ポップスであり、演歌であり、洋楽であり、映画主題歌であり、アイドルソングであり、人々の生活と密接に結びついた娯楽であった。すなわち、軍歌は民衆の歓迎するエンターテインメントであった。私は音楽のことはよく知らないが、たとえば錦絵新聞とか歌舞伎や演劇などのメディアが、「軍」と「戦争」をどう扱ってきたかを思い出すと、じゅうぶん共感できる説明だった。

 「軍歌」とは何かという問題について、実は、本書はあまり明確な定義を下していない。いま、あらためて読み返してみたら「はじめに」の末尾にひっそりと「『戦争に役立つ歌』という程度に敢えて曖昧に使おうと考えている」と記されている。でも、歌が「戦争に役立つ」というのは、どういう意味なのか?

 近代日本の軍歌の嚆矢『抜刀隊』は、フランスの『ラ・マルセイエーズ』やドイツの『ラインの護り』に範をとり、兵士たちの愛国心を鼓舞し、「日本人として」戦うことを教えるためにつくられた。明治初期の軍歌の制作に携わったのは、当時のエリート層だったが、近代日本最初の戦争、日清戦争の勃発とともに、軍歌が民衆のものとなる時代がやってきた。

 本書には多数の軍歌(の歌詞)が掲載されている。太平洋戦争時代の軍歌には、戦後生まれの私でも聞き覚えのある楽曲が見られるが、日清・日露戦争時代の軍歌は、歌詞も初めて見るものばかりで、メロディが浮かぶものも皆無に近かった。古語や雅語の使い方が、さすが明治人と思われるものもあるが、勇壮を通り越して、放送禁止歌まがいにむちゃくちゃな歌詞もある。日清戦争の木口小平、日露戦争の広瀬武夫などを叙事詩的に描いた「英雄キャラクター軍歌」が人気だったというのも面白い。古代から中世(近世?)までの日本の歌謡(和歌)史に、叙事詩的なものが乏しいことを思い合わせると、いっそう興味深い。

 日露戦争以後、軍歌ブームは急速に下火となるが、1931/昭和6年の満州事変勃発とともに、第二次軍歌ブームが訪れる。レコード、ラジオ、大衆雑誌、映画などのメディアがその後押しをした。昭和の軍歌は、口語と文語・古語の奇妙な(伝統を無視した)混ざり具合が、ある人々には気持ちいい(カッコいい)と感じられるのだろうが、私はあまり好きになれない。

 旧制一高の寮歌『アムール川の流血や』(1901/明治34年制作)のメロディが、メーデー歌『聞け万国の労働者』や軍歌『歩兵の本領』としても歌われたというのは、わりと知られた話だが(今日の自衛隊でも『普通科の本領』という替え歌で継承されている由)、中には国境を越え、中国(中華民国)の革命歌として歌われた明治の軍歌や、金日成の抗日パルチザンに伝わり、今日の北朝鮮に伝わっている日本の軍歌もあるという。

 本書を読んでみようと思った契機は、実はツイッターで見かけた情報だった。昭和の日本軍歌を代表する『同期の桜』の原典は、雑誌「少女倶楽部」に掲載された『二輪の桜』という西條八十の詩で、初出時(1938/昭和13年)のページには、和装と洋装の麗しい少女二人が、見つめ合い、手を取り合う、あやしいイラストが描かれている。音楽って、作者の意図とは無関係に、変容しつつ、生きのびていくんだなあ。一方で、誰もが思い出したくない、闇に葬り去られた試みも多数。太平洋戦争末期の「興亜讃美歌」にはびっくりだった。

 最後に、今後、「国民の軍歌」は再びよみがえるか?という疑問に、私はあまり可能性を感じない。軍国主義の復活を信じないわけではないが、そもそも「国民的エンターテインメント」と呼べる音楽が、私たちの生活から消えて久しい、と思うもので。
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