○井波律子『中国人物伝III. 大王朝の興亡: 隋・唐-宋・元』 岩波書店 2014.11
井波先生の『中国人物伝』2冊目。第4巻『明・清・近現代』に続き、後ろから読んでいくことになってしまった。隋唐から宋元までというのもずいぶん長い話だ。6世紀から14世紀だもの。「隋唐」が10編、「五代十国から宋」が13編、「元」が7編の構成だが、ボリュームでは「隋唐」が本書の半分近くを占める。まあ妥当なところだろう。
李白、杜甫、元稹、白楽天という大詩人たちが、それぞれ、たっぷり語られているのは嬉しい。閲歴も詳しいし、取り上げられている彼らの作品のセレクションもよい。しかし、どの詩人も、広い中国を実によく移動しているなあ。李白を例にあげれば、10代から20代前半にかけて、故郷の四川省を放浪し、一時は岷山で隠遁性格を送る。山を下り、江南各地(江陵、廬山、金陵=南京、揚州)をめぐり、湖北省安陸で結婚。妻を残して、首都・長安を含め、北方に足を延ばす。最初の妻に死別すると遺児を連れて山東に移住。また越(浙江省)に放浪して、仕官の糸口をつかむ。42歳で宮中(長安)に召し出されるが、1年数か月後、辞職を申し出て放浪生活に戻る。以後、山東、江南地方を遍歴。安史の乱に巻き込まれ、廬山(江西省)で逮捕され、野郎(貴州省)に流罪になるところ、白帝城(四川省)で大赦となる。その後も江南地方を遍歴し、当塗県(安徽省)で病没したといわれている。
この十数年、中国各地を旅行した自分の経験(1回に、ひとつかふたつの省を移動するので精一杯)を思い合せると、ほんとに「日々旅にして旅を住処とす」みたいな人生だったんじゃないかと思う。日本にも西行や芭蕉のように旅に生きた詩人はいるけど、生涯の移動距離はちょっと比較にならないだろう。
杜甫も鞏県(河南省)で生まれ、20歳から30歳にかけて呉越(江南)および斉趙(山西、山東)を旅行し、結婚して洛陽に新居を構え(ここで李白と邂逅)、長安で仕官、安史の乱を避けて長安を離れ、陝西省から秦州(甘粛省天水市!)さらに成都(四川省)に放浪する。成都には「杜甫草堂」という観光名所ができているが、ここで落ち着いた生活ができたのは2年程度、杜甫の人生においては「一瞬」みたいなもので、また戦乱に追い立てられ、四川省各地を転々とし、荊州、岳陽、衡州、潭州など、湖南省・湖北省で長期の水上生活をおくり、病没した。
荊州を訪ねたときは、杜甫のことは全く思い出さなかった。天水ではどうだったかしら。よく覚えていない。戦乱に強いられた放浪生活には、苦衷と哀愁が伴うが、一方で「故郷」や「出身地」にしがみつかない自由な生き方ができたことに、少し羨望も覚える。
私が漢詩(唐詩)に親しんだのは、高校生から大学生の頃だが、当時覚えた詩は、今でも記憶の中からよみがえってくる。詩は若いときに読んで、とりあえず覚えておくものだな。そして「漢文読み下し」という独特の方法で、古代中国の詩を味わえることを私は幸せだと思う。やっぱり李白いいなあ。「月下独酌」をはじめ、月を詠んだ絶唱が好き。杜甫や白楽天の詩は、いま読むと、学生時代には分からなかった感慨が迫って来る。人生はままならぬもの。だからこそ長く生きてみることに意味があるのだと思った。
宋代・蘇東坡の章は『中国文章家列伝』(岩波新書)に基づくもので、なんとなく記憶があった。宋代女流詩人の李清照、元代の楊万里、范成大、陸游、元好問、白仁甫(戯曲作家)などは、名前程度の知識しかなかったので、興味深かった。元代の詩は、エロティックだったりパセティックだったり、学校で習う(今は習わないのか?)「漢詩」とはずいぶん異質な作品もあって、面白い。
本書のどこかに、国家の不幸は詩の幸福(戦乱の時代が、詩の絶唱を生む)という趣旨の言葉があった気がするのだが、探しても出てこないので、私の勘違いかもしれない。でも本書の時代を振り返ると、そんな感想を持った。決して戦乱の時代を肯定するわけではないけれど。
「大皇帝」唐太宗・李世民のことも書こうと思っていたが、長くなったので省略する。中国史上、私の好きな皇帝はたくさんいるが、戦時と平和時をひっくるめた統治能力では、李世民にまさる皇帝はいないのではないか。有能すぎて少し面白味に欠けるきらいはある。ただ、李世民のまわりに集まった臣下たちは、文武両面とも個性的で面白いと思う。性格・品行に全く破綻のない名君・李世民が、唯一執着したのが王羲之の書だったと聞くと、「蘭亭序」をあの世に持っていってしまったことを許してもいいかなあと思えてくる。
対照的に悪名高い隋の煬帝であるが、読書好きで、長安の宮中図書館の蔵書を整理し、貴重な50部は副本を作って、洛陽に分置したというのは初耳だった。からくり仕掛けの皇帝専用書斎を持っていたというのも面白い。それから、煬帝が個人的欲望(=江南に通いたい)を実現するためにつくった大運河が、その後長く、中国の南北交通の要として活用されたことについて、著者は「なんとも皮肉な話だが、チマチマした現実の限定枠を思い切ってとっぱらう盛大な浪費から、ときとして予想もつかない文化が生まれる」と評している。心に留めておきたい。
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李白、杜甫、元稹、白楽天という大詩人たちが、それぞれ、たっぷり語られているのは嬉しい。閲歴も詳しいし、取り上げられている彼らの作品のセレクションもよい。しかし、どの詩人も、広い中国を実によく移動しているなあ。李白を例にあげれば、10代から20代前半にかけて、故郷の四川省を放浪し、一時は岷山で隠遁性格を送る。山を下り、江南各地(江陵、廬山、金陵=南京、揚州)をめぐり、湖北省安陸で結婚。妻を残して、首都・長安を含め、北方に足を延ばす。最初の妻に死別すると遺児を連れて山東に移住。また越(浙江省)に放浪して、仕官の糸口をつかむ。42歳で宮中(長安)に召し出されるが、1年数か月後、辞職を申し出て放浪生活に戻る。以後、山東、江南地方を遍歴。安史の乱に巻き込まれ、廬山(江西省)で逮捕され、野郎(貴州省)に流罪になるところ、白帝城(四川省)で大赦となる。その後も江南地方を遍歴し、当塗県(安徽省)で病没したといわれている。
この十数年、中国各地を旅行した自分の経験(1回に、ひとつかふたつの省を移動するので精一杯)を思い合せると、ほんとに「日々旅にして旅を住処とす」みたいな人生だったんじゃないかと思う。日本にも西行や芭蕉のように旅に生きた詩人はいるけど、生涯の移動距離はちょっと比較にならないだろう。
杜甫も鞏県(河南省)で生まれ、20歳から30歳にかけて呉越(江南)および斉趙(山西、山東)を旅行し、結婚して洛陽に新居を構え(ここで李白と邂逅)、長安で仕官、安史の乱を避けて長安を離れ、陝西省から秦州(甘粛省天水市!)さらに成都(四川省)に放浪する。成都には「杜甫草堂」という観光名所ができているが、ここで落ち着いた生活ができたのは2年程度、杜甫の人生においては「一瞬」みたいなもので、また戦乱に追い立てられ、四川省各地を転々とし、荊州、岳陽、衡州、潭州など、湖南省・湖北省で長期の水上生活をおくり、病没した。
荊州を訪ねたときは、杜甫のことは全く思い出さなかった。天水ではどうだったかしら。よく覚えていない。戦乱に強いられた放浪生活には、苦衷と哀愁が伴うが、一方で「故郷」や「出身地」にしがみつかない自由な生き方ができたことに、少し羨望も覚える。
私が漢詩(唐詩)に親しんだのは、高校生から大学生の頃だが、当時覚えた詩は、今でも記憶の中からよみがえってくる。詩は若いときに読んで、とりあえず覚えておくものだな。そして「漢文読み下し」という独特の方法で、古代中国の詩を味わえることを私は幸せだと思う。やっぱり李白いいなあ。「月下独酌」をはじめ、月を詠んだ絶唱が好き。杜甫や白楽天の詩は、いま読むと、学生時代には分からなかった感慨が迫って来る。人生はままならぬもの。だからこそ長く生きてみることに意味があるのだと思った。
宋代・蘇東坡の章は『中国文章家列伝』(岩波新書)に基づくもので、なんとなく記憶があった。宋代女流詩人の李清照、元代の楊万里、范成大、陸游、元好問、白仁甫(戯曲作家)などは、名前程度の知識しかなかったので、興味深かった。元代の詩は、エロティックだったりパセティックだったり、学校で習う(今は習わないのか?)「漢詩」とはずいぶん異質な作品もあって、面白い。
本書のどこかに、国家の不幸は詩の幸福(戦乱の時代が、詩の絶唱を生む)という趣旨の言葉があった気がするのだが、探しても出てこないので、私の勘違いかもしれない。でも本書の時代を振り返ると、そんな感想を持った。決して戦乱の時代を肯定するわけではないけれど。
「大皇帝」唐太宗・李世民のことも書こうと思っていたが、長くなったので省略する。中国史上、私の好きな皇帝はたくさんいるが、戦時と平和時をひっくるめた統治能力では、李世民にまさる皇帝はいないのではないか。有能すぎて少し面白味に欠けるきらいはある。ただ、李世民のまわりに集まった臣下たちは、文武両面とも個性的で面白いと思う。性格・品行に全く破綻のない名君・李世民が、唯一執着したのが王羲之の書だったと聞くと、「蘭亭序」をあの世に持っていってしまったことを許してもいいかなあと思えてくる。
対照的に悪名高い隋の煬帝であるが、読書好きで、長安の宮中図書館の蔵書を整理し、貴重な50部は副本を作って、洛陽に分置したというのは初耳だった。からくり仕掛けの皇帝専用書斎を持っていたというのも面白い。それから、煬帝が個人的欲望(=江南に通いたい)を実現するためにつくった大運河が、その後長く、中国の南北交通の要として活用されたことについて、著者は「なんとも皮肉な話だが、チマチマした現実の限定枠を思い切ってとっぱらう盛大な浪費から、ときとして予想もつかない文化が生まれる」と評している。心に留めておきたい。