○国立新美術館 『はじまり、美の饗宴展:すばらしき大原美術館コレクション』(2016年1月20日~4月4日)
倉敷には、大昔に一度だけ行ったことがある。大原美術館に行かなかったはずはないと思うのだが、全く記憶がない。新鮮な気持ちで、この展覧会を見に行った。
会場に入ると、まず「古代への憧憬」と題して、エジプトの神々の像(石または木造)やイランのラスター彩藍釉の磁器、ササン朝ペルシャのガラス碗(正倉院御物みたい)、中国漢代の緑釉狗、唐代の加彩胡人俑などが並んでいた。こんなに古代の文物を持っているとは知らなかったので、ちょっと驚く。特にエジプトのフスタート(カイロの旧市街の一部らしい)で出土したさまざまな彩陶の破片(展示品は文様がよく分かる程度に大きかった)が魅力的だった。
次室には、エル・グレコの『受胎告知』。大原美術館の代名詞ともいうべき作品で、私も大好き。しかし、これ劇的を通りすぎて、ある種の劇画タッチだ。黒い(逆光の表現か?)翼を広げた天使の大仰なポーズ。身体をS字にひねり、上目遣いのマリアをさらに下から見上げる構図。荒木飛呂彦を思い出す。真一文字に翼を広げ、絵の中から飛び出してきそうな鳩。天使の衣の黄色とマリアの赤は、予想以上にはっきりした色彩で美しかった。
しばらく西洋絵画が続く。居間の壁に掛けて、くつろいで眺めたいような、明朗な女性像が多いと感じられた。ピサロの『りんご採り』が好き。日本絵画もがっちりした具象画が中心だが、同時に精神性に打たれもした。熊谷守一が息子の死顔を描いた『陽(よう)の死んだ日』や関根正二の『信仰の悲しみ』は、大原美術館が所蔵していたのか。藤田嗣治、安井曽太郎、満谷国四郎、萬鉄五郎、いい作品を持っているなあと思ったが、思わずテンションが上がったのは古賀春江の『深海の情景』。うわあ、何この可愛い怪物。このひとの作品は、全部見たいと念願している。
それから「民芸運動ゆかりの作家たち」というセクションがあって、バーナード・リーチや河井寛次郎や富本憲吉の作品(陶磁器など)を大原美術館がたくさん持っているというのも初めて認識した。芹沢介の『津村小庵文着物』は農村の遠望風景を繰り返し文で染めた着物。「津村」って、どこかと思えば芹沢の仕事場があった鎌倉なのか。棟方志功の『二菩薩釈迦十大弟子』は何度か見ているのに、いつになく感動した。余白を切りつめた仕立てがいいんじゃないかと思う。
「戦中期の美術」は重苦しいが、見ておく価値がある。国吉康雄氏の『跳び上がろうとする頭のない馬』が印象的だった。戦後~21世紀になると、抽象画が圧倒的に多くなる。いつもだと苦手なので早足に通り過ぎてしまうセクションだが、この展覧会ではけっこう足が止まった。抽象画だけど無機的でなく、全体に有機的で生命を感じる作品が多かったのである。
最後になるが、大原美術館の創設者は、岡山県倉敷市の大実業家であり、社会貢献や福祉の分野にも多大な足跡を残した大原孫三郎(1880-1943)。パトロンとなって援助していた洋画家・児島虎次郎(1881-1929)を通じて、西洋の絵画等を収集し、1930年に美術館を開館した。開館以前、倉敷の「小学校」を会場にして公開された作品もあるというのが面白かった。あ、大原社会問題研究所を設立したというのも大きな業績である。むかしの実業家は偉かった。
倉敷には、大昔に一度だけ行ったことがある。大原美術館に行かなかったはずはないと思うのだが、全く記憶がない。新鮮な気持ちで、この展覧会を見に行った。
会場に入ると、まず「古代への憧憬」と題して、エジプトの神々の像(石または木造)やイランのラスター彩藍釉の磁器、ササン朝ペルシャのガラス碗(正倉院御物みたい)、中国漢代の緑釉狗、唐代の加彩胡人俑などが並んでいた。こんなに古代の文物を持っているとは知らなかったので、ちょっと驚く。特にエジプトのフスタート(カイロの旧市街の一部らしい)で出土したさまざまな彩陶の破片(展示品は文様がよく分かる程度に大きかった)が魅力的だった。
次室には、エル・グレコの『受胎告知』。大原美術館の代名詞ともいうべき作品で、私も大好き。しかし、これ劇的を通りすぎて、ある種の劇画タッチだ。黒い(逆光の表現か?)翼を広げた天使の大仰なポーズ。身体をS字にひねり、上目遣いのマリアをさらに下から見上げる構図。荒木飛呂彦を思い出す。真一文字に翼を広げ、絵の中から飛び出してきそうな鳩。天使の衣の黄色とマリアの赤は、予想以上にはっきりした色彩で美しかった。
しばらく西洋絵画が続く。居間の壁に掛けて、くつろいで眺めたいような、明朗な女性像が多いと感じられた。ピサロの『りんご採り』が好き。日本絵画もがっちりした具象画が中心だが、同時に精神性に打たれもした。熊谷守一が息子の死顔を描いた『陽(よう)の死んだ日』や関根正二の『信仰の悲しみ』は、大原美術館が所蔵していたのか。藤田嗣治、安井曽太郎、満谷国四郎、萬鉄五郎、いい作品を持っているなあと思ったが、思わずテンションが上がったのは古賀春江の『深海の情景』。うわあ、何この可愛い怪物。このひとの作品は、全部見たいと念願している。
それから「民芸運動ゆかりの作家たち」というセクションがあって、バーナード・リーチや河井寛次郎や富本憲吉の作品(陶磁器など)を大原美術館がたくさん持っているというのも初めて認識した。芹沢介の『津村小庵文着物』は農村の遠望風景を繰り返し文で染めた着物。「津村」って、どこかと思えば芹沢の仕事場があった鎌倉なのか。棟方志功の『二菩薩釈迦十大弟子』は何度か見ているのに、いつになく感動した。余白を切りつめた仕立てがいいんじゃないかと思う。
「戦中期の美術」は重苦しいが、見ておく価値がある。国吉康雄氏の『跳び上がろうとする頭のない馬』が印象的だった。戦後~21世紀になると、抽象画が圧倒的に多くなる。いつもだと苦手なので早足に通り過ぎてしまうセクションだが、この展覧会ではけっこう足が止まった。抽象画だけど無機的でなく、全体に有機的で生命を感じる作品が多かったのである。
最後になるが、大原美術館の創設者は、岡山県倉敷市の大実業家であり、社会貢献や福祉の分野にも多大な足跡を残した大原孫三郎(1880-1943)。パトロンとなって援助していた洋画家・児島虎次郎(1881-1929)を通じて、西洋の絵画等を収集し、1930年に美術館を開館した。開館以前、倉敷の「小学校」を会場にして公開された作品もあるというのが面白かった。あ、大原社会問題研究所を設立したというのも大きな業績である。むかしの実業家は偉かった。