■興福寺・国宝館 特別展示『(1)邂逅-「志度寺縁起絵」』(2018年10月1日~10月31日)『(2)再会-興福寺の梵天・帝釈天』(2018年10月1日~11月15日)
この三連休の関西行きは、かなり前から決めていた。それなのに、直前になって大型台風の通過が伝えられたので、旅行を取りやめようか真剣に悩んだ。イチかバチかで決行した結果、雨には全く降られず、かえって夏が戻ったような暑さに悩まされた。
初日は奈良の興福寺へ。翌日の10月7日(日)に中金堂の落慶法要が予定されているのは知っていたが、今回は予定が合わなかったのと、一般公開は10月20日からだというので様子見のみ。それでも境内に入ると、無粋な覆屋が取り払われて、真新しい堂宇が姿を現しているのを見たときは、不思議な感じがした。
金色の(はずの)鴟尾はまだ白布で覆われていて、靴下を穿いてるみたい。
私は、その中金堂の南側にある無料休憩所にまっすぐ駆け込む。中金堂落慶記念のお弁当2種類が、今年の春から期間限定(3月3日~10月28日)で販売されているのだ。半年間あれば、絶対食べられるだろうと気楽な気持ちでいたのに、まだ一度もGETできていない。休憩所内を覗くと、奥の冷蔵ケースに並んでいるのを発見。この旅行の最重要ミッション達成である。土曜日なので、お弁当は「興」バージョンのはずだが、白木の弁当箱には「興」「福」2種類の焼印が見える。落慶法要期間は2種類とも販売しているのだそうだ。ん~どっちも食べたいけど「福」にする。お昼にはまだ早いが、買い逃しては元も子もないので、お弁当をぶらさげて、国宝館の拝観に赴く。
国宝館は比較的空いていて、ゆっくり見ることができた。巡路の最後に特別展示のコーナーがあり、まず香川県・志度寺所蔵の『志度寺縁起絵』。全6幅のうち、大職冠・藤原鎌足ゆかりの「海女の珠取り説話」にちなむ第2幅・第3幅が、前後期に分けて展示されている。現在の展示は第2幅と思われるが、画面の最上段には海原に浮かぶ帆船。中段には唐風の宮殿が描かれる。竜宮?と思ったら、本当に唐の宮殿だった。鎌足の娘は美貌ゆえに唐の高宗に請われて海を渡り、その妃になっていたという設定なのだ。下段は日本の邸宅かと思ったら、鎌足の娘の屋敷だった。
その隣りには、2躯の天部像。左の帝釈天立像(根津美術館)は、もとは右の帝釈天立像(興福寺)と一組であったが、明治期に興福寺を離れたもの。今年1月、根津美術館での「再会」に続き、今回は帝釈天のお里帰りによる「再会」が実現した。ちょうど帝釈天の正面には、十大弟子や八部衆立像が並ぶ細長い展示室の入口が開けていて、帝釈天は、一番奥の五部浄像と正対するような位置関係である。根津美術館の奥まった展示室より、こちらのほうが仏像の安置場所としては落ち着く感じがする。そして、根津美術館より、展示位置が高いので、帝釈天の衣や甲冑に描かれた文様(金泥?)が目の前にあって目立つ。
再び無料休憩所に戻って、休憩スペースでお弁当をいただく。美味! 特に串打ち豆(相輪見立て)が甘くて美味しかった。
■元興寺・法輪館 創建千三百年記念・秋季特別展『大元興寺展』(2018年9月13日~11月11日)
平成30年(2018)が養老2年(718)に元興寺が平城京に創建されてから1300年になることを記念し、関連文化財を一堂に集め、元興寺の歴史を概観する展覧会を開催。旅行に出かける直前にこの展覧会のことを知ったので、久しぶりに元興寺を訪ねた。いつも人の多い興福寺や東大寺に比べると、荒れ寺かと思うような風情で、のんびりできた。
展示品では「板絵」の阿弥陀三尊坐像や地蔵菩薩坐像(鎌倉時代)が面白かった。絵馬のように使われたのではないかという。板彫千体地蔵菩薩立像は、板を15cmほどのヒト形に彫り抜き、地蔵菩薩の顔や袈裟を描いたもの。大寺院の檀那とは違った階層の人々の信仰の実態が感じられる。また、大伽藍を誇った古代の大寺院が、都市寺院として残ってきたという歴史も面白いと思った。最後に「総合文化財センター」(2016年11月開所)の紹介があり、走査型電子顕微鏡や蛍光X線回析装置など、最先端の機器の説明に感心した。
■大和文華館 特別展『建国1100年 高麗-金属工芸の輝きと信仰-』(2018年10月6日~11月11日)
高麗(918-1392)は、朝鮮半島の歴史の中でも文化・美術において成熟した時代であり、金属を用いた仏教文物が盛んに制作された。近年の韓国における新たな発見や研究を踏まえながら、高麗の金属工芸が持つ魅力に眼を向ける。見もののひとつは、精巧な象嵌が見どころの『鉄地金銀象嵌鏡架』(愛知県美術館)だろう。1体または2体の小さな金銅仏を収めた、マッチ箱のような小仏龕も魅力的だった。いずれも装飾過多にならない、節度ある美意識が可憐で好ましい。
この三連休の関西行きは、かなり前から決めていた。それなのに、直前になって大型台風の通過が伝えられたので、旅行を取りやめようか真剣に悩んだ。イチかバチかで決行した結果、雨には全く降られず、かえって夏が戻ったような暑さに悩まされた。
初日は奈良の興福寺へ。翌日の10月7日(日)に中金堂の落慶法要が予定されているのは知っていたが、今回は予定が合わなかったのと、一般公開は10月20日からだというので様子見のみ。それでも境内に入ると、無粋な覆屋が取り払われて、真新しい堂宇が姿を現しているのを見たときは、不思議な感じがした。
金色の(はずの)鴟尾はまだ白布で覆われていて、靴下を穿いてるみたい。
私は、その中金堂の南側にある無料休憩所にまっすぐ駆け込む。中金堂落慶記念のお弁当2種類が、今年の春から期間限定(3月3日~10月28日)で販売されているのだ。半年間あれば、絶対食べられるだろうと気楽な気持ちでいたのに、まだ一度もGETできていない。休憩所内を覗くと、奥の冷蔵ケースに並んでいるのを発見。この旅行の最重要ミッション達成である。土曜日なので、お弁当は「興」バージョンのはずだが、白木の弁当箱には「興」「福」2種類の焼印が見える。落慶法要期間は2種類とも販売しているのだそうだ。ん~どっちも食べたいけど「福」にする。お昼にはまだ早いが、買い逃しては元も子もないので、お弁当をぶらさげて、国宝館の拝観に赴く。
国宝館は比較的空いていて、ゆっくり見ることができた。巡路の最後に特別展示のコーナーがあり、まず香川県・志度寺所蔵の『志度寺縁起絵』。全6幅のうち、大職冠・藤原鎌足ゆかりの「海女の珠取り説話」にちなむ第2幅・第3幅が、前後期に分けて展示されている。現在の展示は第2幅と思われるが、画面の最上段には海原に浮かぶ帆船。中段には唐風の宮殿が描かれる。竜宮?と思ったら、本当に唐の宮殿だった。鎌足の娘は美貌ゆえに唐の高宗に請われて海を渡り、その妃になっていたという設定なのだ。下段は日本の邸宅かと思ったら、鎌足の娘の屋敷だった。
その隣りには、2躯の天部像。左の帝釈天立像(根津美術館)は、もとは右の帝釈天立像(興福寺)と一組であったが、明治期に興福寺を離れたもの。今年1月、根津美術館での「再会」に続き、今回は帝釈天のお里帰りによる「再会」が実現した。ちょうど帝釈天の正面には、十大弟子や八部衆立像が並ぶ細長い展示室の入口が開けていて、帝釈天は、一番奥の五部浄像と正対するような位置関係である。根津美術館の奥まった展示室より、こちらのほうが仏像の安置場所としては落ち着く感じがする。そして、根津美術館より、展示位置が高いので、帝釈天の衣や甲冑に描かれた文様(金泥?)が目の前にあって目立つ。
再び無料休憩所に戻って、休憩スペースでお弁当をいただく。美味! 特に串打ち豆(相輪見立て)が甘くて美味しかった。
■元興寺・法輪館 創建千三百年記念・秋季特別展『大元興寺展』(2018年9月13日~11月11日)
平成30年(2018)が養老2年(718)に元興寺が平城京に創建されてから1300年になることを記念し、関連文化財を一堂に集め、元興寺の歴史を概観する展覧会を開催。旅行に出かける直前にこの展覧会のことを知ったので、久しぶりに元興寺を訪ねた。いつも人の多い興福寺や東大寺に比べると、荒れ寺かと思うような風情で、のんびりできた。
展示品では「板絵」の阿弥陀三尊坐像や地蔵菩薩坐像(鎌倉時代)が面白かった。絵馬のように使われたのではないかという。板彫千体地蔵菩薩立像は、板を15cmほどのヒト形に彫り抜き、地蔵菩薩の顔や袈裟を描いたもの。大寺院の檀那とは違った階層の人々の信仰の実態が感じられる。また、大伽藍を誇った古代の大寺院が、都市寺院として残ってきたという歴史も面白いと思った。最後に「総合文化財センター」(2016年11月開所)の紹介があり、走査型電子顕微鏡や蛍光X線回析装置など、最先端の機器の説明に感心した。
■大和文華館 特別展『建国1100年 高麗-金属工芸の輝きと信仰-』(2018年10月6日~11月11日)
高麗(918-1392)は、朝鮮半島の歴史の中でも文化・美術において成熟した時代であり、金属を用いた仏教文物が盛んに制作された。近年の韓国における新たな発見や研究を踏まえながら、高麗の金属工芸が持つ魅力に眼を向ける。見もののひとつは、精巧な象嵌が見どころの『鉄地金銀象嵌鏡架』(愛知県美術館)だろう。1体または2体の小さな金銅仏を収めた、マッチ箱のような小仏龕も魅力的だった。いずれも装飾過多にならない、節度ある美意識が可憐で好ましい。