〇吉村昭『羆嵐(くまあらし)』(新潮文庫) 新潮社 1982
1915年(大正4年)に北海道苫前郡苫前村三毛別(さんけべつ)六線沢(ろくせんさわ)で発生した三毛別羆事件に基づく実話小説である。クマ出没がニュースになるたびにネットで話題になる作品なので、ずいぶん前から本作の存在は知っていた。数年前、職場の同僚から「とにかく怖い」という感想を聞かされて、読んでみようと思ったのに、しばらく機会がなかった。秋も深まり、季節もちょうどいいと思ったので、いよいよ読んでみることにした。
冒頭には、事件の舞台となった土地の地図が載っている。私の知っている地名は増毛と留萌くらい。そこからかなり北に寄り、川沿いに山間部に入ったところが六線沢だ。小説は、前年に勃発した第一次世界大戦の継続と、その影響で日本経済が好況に転じたこと、しかし僻地の山村には及ばなかったことなど、大きな時代背景を淡々と説明するところから始まる。
六線沢には、わずか15戸の開拓民が住んでいた。冬のはじめ、ある家でトウキビが食い荒らされ、羆の大きな足跡が発見された。しかし羆はそれきり現れず、再び平穏な日々が過ぎていった。12月のある日、隣接の三毛別村の農夫が石屋に挽臼を取りに来たので、六線沢の農夫が同行して、上流に住む石屋の家に向かった。彼らは往復とも、途中で島川という男の家を通り過ぎた。その直後、島川の家に寄宿していた樵(きこり)が、家の中で無残に殺された少年を発見し、おびただしい血を残して、島川の妻が消えたことを知る。この導入部は、「ジュラシック・パーク」などの怪獣(巨獣?)映画のセオリーどおりである。平和な世界に忍び込む獣の気配。敏感な読者(観客)は、早くも悲劇の兆候を察知するが、まだドラマの中の人々は何も気づかない。突然訪れる最初の惨劇。しかし狂暴な怪物は、まだ正体を現さない。
翌朝、知らせを受けた三毛別の区長が、銃を携行した男たちを連れて救援にやってくる。羆の足跡を追っていった彼らは、茶褐色の巨大な獣に遭遇して、命からがら逃げ出す。気を取り直した彼らは、再び島川の妻の遺体の捜索に向かうが、見つかったのはわずかな肉体の切れ端だけだった。その晩、彼らは島川の家に二個の棺を並べて通夜を営んだ。ところが、そこに羆が躍り込み、遺体を食い散らかす。恐怖を押し殺して、別の家を目指して移動する人々。そのとき、前方の明景家で悲鳴が上がる。そろそろと近寄った彼らの耳に、闇の中で骨を噛み砕く音が聞こえる描写がすさまじい。本作は、徹頭徹尾、感情を抑えた淡々とした描写で、村人たちも、必要最低限の短い言葉しか発しないのだが、そのことが逆に、逃れようのない恐ろしさを感じさせる。二度目の襲撃で女子供4人が殺害された。男たちは、家族を集めながら雪道を下流へ向かい、渓流を渡って三毛別村へ避難した。
これは怖い小説である。私は、怨恨や復讐のために人を襲う怪物、地球征服を目的とする宇宙人よりも、人間を「食物」としか見ない野生動物(含む、恐竜)を想像するほうが怖い。しかもこの羆は、最初に女性の味を覚えたため、男は殺しても食わず、女性だけを狙っているという。私は、次はいつ、どこで羆が襲ってくるかという緊張と恐怖でいっぱいになり、すっかり小説世界に同化してしまった。しかし、ネタバレをすると、問答無用の羆の恐ろしさが描かれるのは前半までである。後半は、三毛別の区長を観察者として、この災難に襲われた人々の心理と行動を興味深く描き出す。
まず、救援要請を受けて、警察の分署長が到着し、他村の男たちが続々と集まってきた。三毛別、六線沢の者たちは、その厳めしい様子や大量の銃に少し安堵を覚えるが、羆の力を軽視している彼らの様子に、苛立ちと不信を感じ始める。翌朝、警察から死者の検視を頼まれたという老医が現れる。区長は護衛の男たちを連れて老医を惨劇の現場に案内する。多くの修羅場を知っているらしい老医は、凄惨な遺体にも動じなかったが、他村の男たちは、自分たちが相対している獣の恐ろしさを初めて知り、平静さを失って戻ってきた。彼らの恐怖は伝染し、救援隊の男たちは、ただの烏合の衆になってしまう。
三毛別の者たちはクマ撃ち専門の猟師である銀四郎のことを思っていた。酒癖が悪く、傲慢で嫌われ者の銀四郎だったが、今たよれるのは彼しかいないと思った区長は、独断で銀四郎を呼び寄せた。面目を失った分署長は不機嫌を隠さない。やってきた銀四郎は、いつになく穏やかで冷静で、区長ひとりを連れて山に入り、区長の目の前で、人食い羆を仕留めた。
銀四郎は鍋を用意させ、羆の肉を食うことを人々に求めた。「人を食ったクマの肉は、出来るだけ多くの者で食ってやらなければならぬのだ」と託宣のように告げる。アイヌの宗教的な儀式の一つだということを、作者の代弁者である区長は胸のうちで語る。酒盛りが進むと、羆を追っている間は宗教者のように禁欲的だった銀四郎が、いつもの乱暴者に戻る。区長は銀四郎の我儘を聞き入れ、あるだけの金を渡して、彼を見送った。この、人間の世界から爪弾きにされて、人と自然、あるいは人と動物の境で生きているような猟師・銀四郎の造形はとても印象的である。
しかし、新潮文庫の表紙、怖い…。
1915年(大正4年)に北海道苫前郡苫前村三毛別(さんけべつ)六線沢(ろくせんさわ)で発生した三毛別羆事件に基づく実話小説である。クマ出没がニュースになるたびにネットで話題になる作品なので、ずいぶん前から本作の存在は知っていた。数年前、職場の同僚から「とにかく怖い」という感想を聞かされて、読んでみようと思ったのに、しばらく機会がなかった。秋も深まり、季節もちょうどいいと思ったので、いよいよ読んでみることにした。
冒頭には、事件の舞台となった土地の地図が載っている。私の知っている地名は増毛と留萌くらい。そこからかなり北に寄り、川沿いに山間部に入ったところが六線沢だ。小説は、前年に勃発した第一次世界大戦の継続と、その影響で日本経済が好況に転じたこと、しかし僻地の山村には及ばなかったことなど、大きな時代背景を淡々と説明するところから始まる。
六線沢には、わずか15戸の開拓民が住んでいた。冬のはじめ、ある家でトウキビが食い荒らされ、羆の大きな足跡が発見された。しかし羆はそれきり現れず、再び平穏な日々が過ぎていった。12月のある日、隣接の三毛別村の農夫が石屋に挽臼を取りに来たので、六線沢の農夫が同行して、上流に住む石屋の家に向かった。彼らは往復とも、途中で島川という男の家を通り過ぎた。その直後、島川の家に寄宿していた樵(きこり)が、家の中で無残に殺された少年を発見し、おびただしい血を残して、島川の妻が消えたことを知る。この導入部は、「ジュラシック・パーク」などの怪獣(巨獣?)映画のセオリーどおりである。平和な世界に忍び込む獣の気配。敏感な読者(観客)は、早くも悲劇の兆候を察知するが、まだドラマの中の人々は何も気づかない。突然訪れる最初の惨劇。しかし狂暴な怪物は、まだ正体を現さない。
翌朝、知らせを受けた三毛別の区長が、銃を携行した男たちを連れて救援にやってくる。羆の足跡を追っていった彼らは、茶褐色の巨大な獣に遭遇して、命からがら逃げ出す。気を取り直した彼らは、再び島川の妻の遺体の捜索に向かうが、見つかったのはわずかな肉体の切れ端だけだった。その晩、彼らは島川の家に二個の棺を並べて通夜を営んだ。ところが、そこに羆が躍り込み、遺体を食い散らかす。恐怖を押し殺して、別の家を目指して移動する人々。そのとき、前方の明景家で悲鳴が上がる。そろそろと近寄った彼らの耳に、闇の中で骨を噛み砕く音が聞こえる描写がすさまじい。本作は、徹頭徹尾、感情を抑えた淡々とした描写で、村人たちも、必要最低限の短い言葉しか発しないのだが、そのことが逆に、逃れようのない恐ろしさを感じさせる。二度目の襲撃で女子供4人が殺害された。男たちは、家族を集めながら雪道を下流へ向かい、渓流を渡って三毛別村へ避難した。
これは怖い小説である。私は、怨恨や復讐のために人を襲う怪物、地球征服を目的とする宇宙人よりも、人間を「食物」としか見ない野生動物(含む、恐竜)を想像するほうが怖い。しかもこの羆は、最初に女性の味を覚えたため、男は殺しても食わず、女性だけを狙っているという。私は、次はいつ、どこで羆が襲ってくるかという緊張と恐怖でいっぱいになり、すっかり小説世界に同化してしまった。しかし、ネタバレをすると、問答無用の羆の恐ろしさが描かれるのは前半までである。後半は、三毛別の区長を観察者として、この災難に襲われた人々の心理と行動を興味深く描き出す。
まず、救援要請を受けて、警察の分署長が到着し、他村の男たちが続々と集まってきた。三毛別、六線沢の者たちは、その厳めしい様子や大量の銃に少し安堵を覚えるが、羆の力を軽視している彼らの様子に、苛立ちと不信を感じ始める。翌朝、警察から死者の検視を頼まれたという老医が現れる。区長は護衛の男たちを連れて老医を惨劇の現場に案内する。多くの修羅場を知っているらしい老医は、凄惨な遺体にも動じなかったが、他村の男たちは、自分たちが相対している獣の恐ろしさを初めて知り、平静さを失って戻ってきた。彼らの恐怖は伝染し、救援隊の男たちは、ただの烏合の衆になってしまう。
三毛別の者たちはクマ撃ち専門の猟師である銀四郎のことを思っていた。酒癖が悪く、傲慢で嫌われ者の銀四郎だったが、今たよれるのは彼しかいないと思った区長は、独断で銀四郎を呼び寄せた。面目を失った分署長は不機嫌を隠さない。やってきた銀四郎は、いつになく穏やかで冷静で、区長ひとりを連れて山に入り、区長の目の前で、人食い羆を仕留めた。
銀四郎は鍋を用意させ、羆の肉を食うことを人々に求めた。「人を食ったクマの肉は、出来るだけ多くの者で食ってやらなければならぬのだ」と託宣のように告げる。アイヌの宗教的な儀式の一つだということを、作者の代弁者である区長は胸のうちで語る。酒盛りが進むと、羆を追っている間は宗教者のように禁欲的だった銀四郎が、いつもの乱暴者に戻る。区長は銀四郎の我儘を聞き入れ、あるだけの金を渡して、彼を見送った。この、人間の世界から爪弾きにされて、人と自然、あるいは人と動物の境で生きているような猟師・銀四郎の造形はとても印象的である。
しかし、新潮文庫の表紙、怖い…。