見もの・読みもの日記

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2018年10月@関西:“もののふ”と高野山(霊宝館)、高野山散歩

2018-10-12 22:28:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
高野山霊宝館 第39回大宝蔵展『高野山の名宝 “もののふ”と高野山』(2018年7月14日~10月8日)

 三連休初日は奈良を観光して、大阪・難波に泊まった。翌日は高野山へ。南海高野線、ケーブル、バスを順調に乗り継いで、10時半頃には山上に着いた。予約済みの宿坊に荷物を預けて観光に出発する。今回の関西旅行の最大の目的は高野山霊宝館で、山内の諸寺院に伝わる、戦国大名など「もののふ」ゆかりの品を展示中なのだ(-10/8終了)。

 巡路は常設展示からで、新館のエントランスには梵鐘が2件。1つは弘安3年銘を持つ、河内国高安郡(八尾)教興寺のもの。修理本願に西大寺叡尊の名前がある。もう1つは永正元年、比叡山東坂本・生源寺のもの。信長の焼き討ちのときに高野山に移されたという。また結縁大師と呼ばれる弘法大師坐像があって、ちょっと映画『空海 KU-KAI』の染谷将太くんを思わせる顔立ちだった。と思ったら、向かい側に映画のポスターが張ってあって、にやにやしてしまった。

 次は大好きな展示室で、入るとすぐ巨大な阿弥陀仏坐像と不動明王立像(合体不動)が目に入る。奥の展示スペースには、江戸時代の愛染明王、平安時代の大日如来、お腹まわりのふくよかな(腕は細い)如意輪観音。どん詰まりには、執金剛神立像と深沙大将立像が並ぶ。執金剛神は、長い柄の金剛杵を握りしめる手首、跳ね上げた右足の親指とくるぶしなど、神経のゆきとどいた表現と同時に、全体に調和のとれた美しさがある。こういう若々しい肉体を持つ労働者が、作者快慶の工房で働いていたのかなあと想像する。これに比べると、深沙大将の肉体表現は、やや誇張が目立つ。

 そして、これも大好きな快慶作の四天王立像。見るからに強そうで美しくて、カッコいい!! 筆と巻物を携えた広目天さえも武闘派のオーラが強烈に出ている。添えられた解説を読むと、霊宝館の推しは広目天と多聞天のようだが、私は、動きの大きい増長天も好きだ。左から右へ視点を異動させながら眺めると、どの角度からもカッコよく、アニメーションを見るような楽しさがある。

 新館は第2室と第3室が特別展示。どこかで見たことのある武士の肖像や書状、寄進状が並んでいる。『風林火山』『真田丸』『おんな城主直虎』など、好きな大河ドラマを思い出す名前がチラホラ見えて嬉しい。蓮華定院所蔵の『太閤秀吉像』は左上に「真田安房守昌幸」という署名と花押があり、昌幸旧蔵の秀吉像として伝わっている。ほんとかな? 蓮華定院は、昌幸と幸村(信繁)が高野山に幽閉された際に蟄居した寺院なのだ。このほか『真田信幸(之)像』『真田幸村(信繁)像』『真田幸村書状(天野詣りことわり状)』などを出陳していて、相変わらず真田は大人気。

 武田信玄ゆかりの成慶院が所蔵する『武田二十四将図』(江戸時代)には、山本勘助、馬場美濃、小山田、高坂、真田源太左衛門(幸隆の嫡男)、真田兵部(幸隆の次男)などがいた。金剛峯寺所蔵の『家康公三河十六將伝記図』(江戸時代)は、井伊直政についての「世々遠州井伊谷の領主なり」「今川の為に亡され」云々という記述をしみじみ読んでしまった。また、『豊臣秀吉刀狩朱印状』をじっくり読んだのも初めてのことだった。百姓向けなのに、異国(唐土)の先例を引いているのが面白い。

 本館・紫雲殿に入ると正面には、見上げるような異形の仏を描いた巨大な仏画が掛かっていた。『五大力菩薩像』(平安時代・有志八幡講所蔵)の「竜王吼」と「無畏十力吼」である。あ!前期に来れば「金剛吼」が見られたんだ!と少し後悔したが仕方ない。次の機会を待つことにしよう。白描『五大力菩薩像』(鎌倉時代)もなかなか大きい。『五大力菩薩像』と同じ尊格を描いているのに、微妙に違うところがあるのが興味深かった。成慶院所蔵の『十王図』は、特に個性のない普通の十王図だと思ったら、武田信廉の筆だった。仏画も「もののふ」つながりで選ばれているんだな、と気づく。平清盛が奉納した『両界曼荼羅(血曼荼羅)』は彩色複製縮小版が展示されていた。これら全て、ガラスケースなしの露出展示なので、普通の博物館の展示にない迫力を、ひしひしと肌に感じる。

 ちょっと面白かったのは『一切経秀衡公御寄付状』。高野山には、藤原清衡が中尊寺に奉納した『紺紙金銀交書一切経』4200巻が寺宝として収蔵されている。これは豊臣秀次が中尊寺から略奪し、高野山に寄進するに際し、秀衛の寄進状を偽造させたのではないかと考えられているそうだ。最後の展示室・放光閣は古い仏像に混じる、加藤景雲(1874-1943)作の狩場明神像がよかった。

■大門→壇上伽藍→金剛峯寺→奥の院

 お昼は蕎麦屋で簡単に済ませ、食後は大門まで歩いた後、壇上伽藍と金剛峯寺を西側から順に拝観。2015年の「高野山開創1200年」に合わせて再建された中門の二天王(増長天と広目天)に再会した。





 前回は、開創1200年記念法会の期間中だったので、どこも大混雑だった記憶がある。今回はご朱印もスムーズにいただけた。金堂の内部は、木村武山筆の壁画で荘厳されており、須弥壇の裏側に描かれた苦行の釈迦がちょっとイケメン。ツインテールの六臂弁財天はかわいくてカッコいい。本尊は秘仏だが、須弥壇の脇侍仏たちが印象的だった。四頭の白象が蓮華座を支える普賢菩薩や、降三世明王らしい憤怒の明王像がいらした。

 そろそろ夕方だが、奥の院へ向かう。一の橋口でバスを降り、苔むした墓と供養塔を眺めながら参道を歩く。この夏の台風の影響か、ところどころで杉の大木が折れたり倒れたりしており、そのあおりで転倒した墓石もあり、痛ましかった。目についた「もののふ」の墓所を2つ。徳川四天王のうち、榊原康政墓所と、



本多忠勝墓所である。



※参考:高野山奥之院かなり完璧ガイド(個人サイト)(詳しい!次回はこれを見ながら歩こう)
 
 奥の院に参拝し、空海さんにご挨拶をして、本日の予定を終了。10月とは思えないほど暑かったので、一の橋の近くの洒落たカフェ「光海珈琲」で水分と甘味を補給した。



 そして、宿坊の密厳院に戻ったものの、また冷たい飲み物が欲しくなり、寺務所の方に聞いたら、近くのコンビニを教えてくれた。壇上伽藍の中門近くに24時間営業のコンビニができたのは知っていたが、こちらは裏通りの小さなコンビニで、いかにも地元住民向けの品揃えだった。いいお店を覚えた。高野山に来たら、また寄りたい。
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