見もの・読みもの日記

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2018年10月@関西:ほとけの世界にたゆたう(中之島香雪美術館)

2018-10-14 23:50:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
中之島香雪美術館 開館記念展『珠玉の村山コレクション~愛し、守り、伝えた~ IV ほとけの世界にたゆたう』(2018年10月6日~12月2日)

 10月関西旅行最終日は、東京に帰るだけのつもりだったが、時間に余裕があったので、見仏三昧の仕上げにこの展覧会に寄った。村山龍平コレクションから、今期は仏教美術の名品を紹介するもの。全5期の開館記念展の中で最も楽しみにしていた特集である。

 入口には、まぶしく輝く金色の五鈷杵(平安時代)。今朝、高野山を下ってきた身として、しみじみ感慨深く眺める。次に銅造の菩薩半跏思惟像。これも鍍金が全身によく残っている。天衣や瓔珞を別素材で造って取り付けた跡があることから、朝鮮半島の作と推定されるという解説を興味深く読んだ。導入部は、まあ普通のコレクションだと思ったが、仏画の並びに入るあたりから個性が出てくる。仏画は南北朝~室町時代の作が目立った。

 『阿弥陀二十五菩薩来迎図』(室町時代)は、縦長の画面に金色の阿弥陀如来と、それを取り巻く金色の二十五菩薩が雲に乗って浮かんでいるところ。全体に女性的でやさしい画面で、菩薩たちの小さな赤い唇がかわいい。高野山報恩院から寄進され、下難波村大門坊に伝わったものだという。『帰来迎図』(南北朝時代)は、阿弥陀如来と菩薩たちが、往生者を蓮台に乗せて捧げ持ち、浄土へ帰っていくところ。画面の右下に家の屋根と二鬼(?)が見え、阿弥陀の一行は左上に向けて飛び去っていく。右上の雲の上で袈裟を来た僧形の人々(?)が見守っている。帰来迎を単独で描いた絵画は珍しく、村山コレクションは、類例の少ない作品を含むという特色があるそうだ。『千手観音二十八部衆像』(南北朝~室町)も、にぎやかで妖しげで面白かった。千手観音の脇手が妙に生々しく、二十八部衆もそれぞれ個性的でよい。水の中から飛び出すような龍王とか、猛禽の顔をした迦楼羅とか。左右には風神・雷神。なぜか上部には北斗七星。赤やピンクの暖色が目立つ。

 彫像もたくさん出ていた。中国・天龍山石窟に由来すると思われる菩薩頭部や獅子頭部などが数点。それから露出展示の展示台の上に、いくつかの仏像が乗っていた。『邑子一百人造 如来三尊像』は北魏時代の石仏。釈迦仏の両脇に小さな脇侍仏を配する。ピンクがかった石で、赤や緑の彩色の名残を感じた。巡路でいうと裏側に、やや異国風の華やかな仏像が4躯並んでいたので、ぐるりとまわってみた。解説を読んだら、なんと中国・金時代の木造仏だというのに驚く。

 4躯ともよく似ているが、観音菩薩・勢至菩薩と名前のついた2躯は、飾りも少なく、やや鈍重な感じがする。菩薩立像とだけ呼ばれている2躯は、複雑な天衣のまとい方、衣のひだ、胸の瓔珞など、仕事が細かい。顔は角ばっていて、鼻は丸く、眉はあまり高くなく、のっぺりしている。あまり理想化されない、時代を超えてどこかにいそうな人間に近い顔だ。兵馬俑の顔を見て感じる印象に近いかもしれない。図録の解説に、山西地域で制作された可能性があると説かれているのは納得できる。山西省は、比較的古い木造仏が残っている地域なので。

 平安~鎌倉時代の小さな神像のコレクションも面白かった。しかし私は、仏像は持ちたいと思うが、神像は怖くて所有できないなあ。『稚児観音縁起絵巻』は、ううむ、老僧と稚児(観音の化身)の愛情が信仰に昇華する物語と思ってよいのだろうか。

 コレクションの形成を考えるため、摸本もいくつか出ていた。桜井香雲が模写した『沙門地獄草紙』には「栢(柏)」の朱文方印が写されている。これは、村山龍平、益田鈍翁らと美術品の蒐集を競った柏木貨一郎の所蔵印だという。柏木貨一郎という名前は初めて覚えたが、興味深い人のようだ。『絵因果経』の摸本も面白かったが、これは鎌倉時代の写なのか。降魔成道の場面が百鬼夜行図みたいで、江戸ものかと思った。
コメント (2)
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