〇東京ステーションギャラリー 『河鍋暁斎の底力』(2020年11月28日~2021年2月7日)
河鍋暁斎の作品のうち、本画(彩色を施した完成作品)や版画は一切展示せず、素描、下絵、画稿、席画、絵手本など、暁斎の生の筆づかいが感じられる作品ばかりを集めた展覧会。私は暁斎に限らず、絵師の「線」を見るのが好きなので、とても楽しかった。会場入口に掲げられたパネルによれば、本展はこの秋予知されていながら、延期された海外展の代替として急遽企画されたものだという。企画自体は、同館の学芸員が以前から温めていたもので、河鍋暁斎記念美術館の協力を得て、異例の短時間で実現にこぎつけたとのこと。感謝しかない。
はじめは暁斎の修行時代の写生帖・模写帖で、小さな帳面に実にさまざまなものを写している。この修練なくして大画家は生まれないのだな。そして獲得された洒脱な線。『放屁合戦絵巻』とか『書画図会巻』とか『群猫釣鯰図』とか、思わずふふふと笑いの漏れてしまう墨画や淡彩墨画の数々。登場人物が(猫も)表情豊かで引き込まれる。墨画に赤の淡彩を配した『女達磨図屏風』はシンプルで美しかった。この展覧会で、暁斎の描く女性は、江戸の浮世絵と違って自我の感じられる美人だなあと思った。
また本格的な作品の下絵は、何度も線を引き直しながら、唯一の線を見つけ出そうとする過程を追体験するようで興味深かった。『地獄極楽めぐり図』は日本橋の大店・勝田五兵衛が娘の追善供養につくらせた画帖(静嘉堂文庫所蔵)の下絵。ネットで検索すると本画のいくつかを見ることができるが、粗々描かれた下絵のほうが、勢いが感じられてよい。「芝居小屋前」の衣を着崩した阿弥陀(?)の兄さんの粋なこと。人面犬みたいなのはところどころにいる。『卒塔婆小町下絵絵巻』は凄惨な九相図なのだが、全然無関係に余白にトラやウサギの顔が書き込まれていて面白い。
河竹黙阿弥作『漂流奇譚西洋劇』の行灯絵の下絵というのが4点出ていた。洋装の男女がパリオペラ座を背景に立つ「パリス劇場表掛りの場」は、彩色の本画を何度か見た記憶があるが、他の場面もあることを初めて知った。「西洋砂漠原野の場」は鬼のような形相の大男が男女を左右に突き飛ばしている。背景には脱線してつぶれた汽車? 物語を知らないのでよく分からないが、迫力満点の場面。その裏面には、洋館のホールで男女三人に見守られながらスカートを翻して踊る女性の図が描かれている。フォン・ベルツが持ち帰った作品で、ビーティヒハイム・ビッシンゲン市立博物館のベルツコレクションから発見されたとのこと。もう1点、「パリス公園地の場」は、洋装の男女が見つめる先で、若い男が別の男を助け起こしている。暁斎にはこのほかに『戦う西洋婦人(ジャンヌ・ダルク)』の下絵もあって、うねる巻髪、スカートや袖のフリルのマニエリスティックな表現が気に入っていたように思える。
『鳥獣戯画 猫又と狸 下絵』『同 梟と狸の祭礼行列』は、解説によると「河鍋暁斎記念美術館開館以来の人気作品」なのだそうだ。そうだろうな。私が最も早い時期に覚えた暁斎作品のひとつでもある。なお、図録には猫又の顔の部分の貼り紙をめくった写真が収録されており、修正前の線の迷いを見ることができるのは貴重。そして『猫又と狸』の上部につながる下絵断片が発見されてお披露目になっている。木の枝の上からネズミたちが蝋燭の灯りを差し出し、ネコとタヌキの顔を照らしている図である。むかしの歌舞伎は、こんなふうに主役の役者をライトアップしたのだろうか。暁斎の描く人と動物、ちょっと芦雪に似たものがあると思った。