■東北歴史博物館 特別展『東日本大震災復興祈念 悠久の絆 奈良・東北のみほとけ展』(2023年4月15日~6月11日)
FaOI(ファンタジー・オン・アイス)宮城の金曜公演のチケットが取れたときから、翌日は少し観光して帰ろうと計画していた。土曜は、まず多賀城碑を訪ねてから、同館を参観。本展は奈良と東北の寺宝60件(展示替えあり)を展示するもの。見どころのひとつ、唐招提寺の鑑真和上坐像の展示が終わっていたので、その旨、注意の貼り紙がしてあった。
冒頭には、厳しい顔つきで逞しい肉体を持つ薬師如来立像(唐招提寺)。「奈良のみほとけ」は唐招提寺からの出陳がいちばん多かったように思う。唐招提寺の持国天立像・増長天立像と福島・勝常寺の持国天立像・増長天立像が並んだところは嬉しかった。どちらも丸っこくてかわいい(勝常寺の四天王像はときどき東博でも見るもので、昨日6/10に行ったら広目天立像が出ていた)。あと、鑑真和上は御身代わり像が出ていた。墨画の柳の襖を背景にめぐらせたしつらえもとてもよかった。西大寺からは、興正菩薩(叡尊)坐像とその納入品。忍性菩薩坐像は、神奈川・極楽寺のものがいらしていた。よく見慣れた、称名寺の絵画『忍性菩薩像』もあり。中宮寺の『天寿国繍帳』が出ていたの予想外で、ちょっと得をした気分になった。
しかし、やはり私の喜びは「東北のみほとけ」をまとめて見ることができたこと。福島・勝常寺の薬師三尊像は、脇侍も含め、視線を下に落として風雪に耐えるような、沈鬱で厳粛な表情に惹かれる。一度だけ現地で拝観したのはいつだったか。2015年に東博の『みちのくの仏像』で拝見しているようだ。福島・新宮熊野神社の文殊菩薩騎獅像(鎌倉時代)は初めて見た。「会津十三観音」に含まれるが、喜多方市に属する。獅子も含めた高さは3メートル近い。古い口コミでは、拝観者は獅子のお腹の下をくぐることができたそうだ。ピンと尻尾をはね上げた獅子がうれしそうで、愛嬌と躍動感がある。そういえば、文殊騎獅像の獅子には、尻尾を上げているタイプと垂らしているタイプがあることに気づいた。あと、宮城・龍宝寺(仙台市内、伊達家の祈願寺)に清凉寺式の釈迦如来立像(鎌倉時代)が伝わっているのも興味深く思った。
このほか、回廊や別の展示室で「奈良大和路」の歴代仏像ポスターの展示や、土門拳の仏像写真の展示も行なわれている。また、映像展示室では、唐招提寺の如来形立像(いわゆる唐招提寺のトルソー)を中央に据え、その背後と左右の壁面に東日本大震災から今日までの歩みの映像を投影する試みがされていた。
■東北歴史博物館 総合展示室
旧石器時代から近現代までの東北地方全体の歴史を紹介する総合展示も興味深く参観した。縄文時代のコーナーにいた縄文犬。前頭部から鼻先に段がなく(オオカミと同程度)精悍な顔つきをしているとのこと。
やがて起源前3世紀に稲作の技術が伝わり、弥生時代に移行するわけだが、北海道の歴史に多少なじんだ私としては、どうして東北地方は弥生時代に移行したんだろう?というのが疑問である。小さなパネルには「この時代に関して、南部はともかく、北部は冷涼な気候のため米作りは長く継続しなかったとする意見もあります。しかし、縄文時代は確実に終わり、東北地方全体は農耕生活を基礎とする弥生時代になったのです」という、とりあえず事実に即した説明が書かれていた。
そして古代、中世、近世、それぞれ面白かったが、テンションが爆上がりしたのは、近現代(昭和40年代)の雑貨屋の復元展示。私は東京東部の生まれだが、こういうお店、あったあった!お菓子(量り売り)や菓子パンは、お店の人に紙袋に入れてもらって買う時代だった。
こちらは昭和30年代の電気製品。右側のジューサー、同じタイプのものが家にあった気がする(父親が家電メーカーの社員だったので、わりと新しい製品が家にあった)。
テーマ展示の「村におけるワラの神々」から、虫送り行事に使われるムシ。埼玉県鶴ヶ島市の「脚折雨乞(すねおりあまごい)」の龍蛇(りゅうだ)を思い出した。大きさは全然違うけれど、造形はつながっているように思う。
■宮城県美術館 第40回全国都市緑化仙台フェア開催記念『伊達政宗と杜の都・仙台-仙台市博物館の名品』(2023年4月26日~6月18日)
仙台へ戻って同館へ。大規模改修工事で閉館中の仙台市博物館が収蔵する名品から、伊達政宗と仙台城の歴史に関わる資料を展示し、あわせて、江戸時代の絵図などに描かれた「杜の都」のルーツとなる景観についても紹介する。仙台市博物館は、2008年に一度だけ来たことがあり、充実したコレクションが印象に残っていた。冒頭には伊達政宗所用の『黒漆五枚胴具足』。と思ったら、重文のホンモノは前期展示のみで、同型の別物だった(2008年に来たときもこっちを見ている)。
「慶長遣欧使節団」を紹介するコーナーには、キリスト磔刑図に手を合わせる上半身の『支倉常長像』(1615年頃)が出ていた。画面の剥落や横皺は、枠から外して巻いた状態で隠匿されていたためだという。前期に出ていた『ローマ教皇パウロ五世像』(支倉常長一行が謁見した教皇像、常長が帰国後に伊達家に献納)も見たかった。あと、高田力蔵模写の小さな『支倉常長像』も出ていた。このひとは1972年、仙台市の依嘱でイタリアへ渡り、ローマ・ボルゲーゼ宮殿にある『支倉常長像』を模写したのだな(原品は大きい)。
この日は前日と打って変わった好天で、どんどん気温が上がっていた。羽生くんファンの間で大盛り上がりだった「シーラカンスモナカ」は姿を拝むことも叶わず、定番の「飲むずんだ」(喜久水庵)で糖分を補給し、帰京の途に着いた。