〇雑誌『すばる』2023年6月号「特集・綿矢りさプロデュース 中華(ちゅーか)、今どんな感じ?」 集英社 2023.5
中国発の幻想ファンタジー小説『魔道祖師』の作者・墨香銅臭氏が誌面に登場すると分かって、多数の『魔道祖師』および『陳情令』ファンが買いに走ったため、この雑誌、あっという間に店頭から消えてしまった。初版5千部を5月6日に発売した後、9日には1万部の増刷が決まり「文芸誌『すばる』が初の重版」というニュースにもなっていた。私は6月に入って、ようやく買うことができた。特集は100ページくらい(全体の3分の1程度)だが読み応えがあった。
・墨香銅臭、括号、綿矢りさ「良い物語を創るのに必要なこと」
墨香銅臭さん(女性)は90年代前半の生まれだろうか(2015年発表の『魔道祖師』を「大学四年生の卒業間際」に書き始めた、と書いている)。括号さん(女性)はラジオドラマ『魔道祖師』の中国語版と日本語版の監修を担当した方。綿矢りささんは1984年生まれの芥川賞作家、知らなかったが、いま家族の都合で北京にお住まいらしい。この女性三人が『魔道祖師』に関するトークを展開するのだが、一番驚いたのは、綿矢氏が『魔道祖師』を実によく読んでいること。魏無羨や藍忘機のキャラクターの把握も的確だが、聶懐桑と聶明玦が一番好きと語って、「この二人が好きという感想は、これまであまりいただけなかったので」と墨香さんを驚かせている。
墨香さんと括号さんが日本のアニメを見て育ったというのは想定の範囲内。墨香さん、『らんま2分の1』や『犬夜叉』がお好きなのか。小説では『嵐が丘』が好きで「激しい憎しみと激しい愛情が入り混じるような感情には、なんだか心のふるさとに戻ったような懐かしさ」を感じるというのが、とてもいい。影響を受けた作品を聞かれると、即座に「金庸先生の武侠小説です!」と答えた上で、90年代の香港映画などを挙げている。もともと中国の伝統文化が好きで、『魔道祖師』執筆当時は「魏晋南北朝に夢中でした」ともいう。
・綿矢りさ「激しく脆い魂」
中華耽美小説を(ネット翻訳で!)読み始め、柴鶏蛋の青春BL小説『上瘾』に出会い、次いで『魔道祖師』に熱中した次第を振り返るエッセイ。ドラマ『陳情令』で魏無羨を演じたシャオ・ジャン(肖戦)の「美しさと儚さと健気さを同時に感じさせる顔相」を中国語で「易砕感」と表現すること、日本では、デビューした頃の中森明菜さんがそんな眼をしていた、という指摘が新鮮だった。
・佐藤信弥「『陳情令』のルーツ――仙侠と武侠、金庸作品との関係、時代背景」
金庸『神鵰侠侶』『笑傲江湖』との関係、『魔道祖師』の時代背景等について語る。中国時代劇では三国志物以外に魏晋南北朝時代を舞台にした作品は多くなく、架空時代劇の『上陽賦』は、この時代の貴族制のあり方をよく表現できているとのこと。未見なのだが、見てみようかしら。またブロマンスもののおすすめドラマとして『逆水寒』『山河令』『鎮魂』『君、花海棠の紅にあらず』が紹介されている。
・はちこ「中華BL二十五年の歩み――誕生、発展、規制、そして再出発」
中国初のBL向け掲示板が設置された1998年を起点とすると、中華BLはすでに25年の歴史がある。日本のBL文化と中華BLの類似点・相違点の分析は、個人的にとても興味深い。著者は、なぜBLが好きになったかを自問自答した結果、「私の好きなキャラがもっと愛されてほしかった」という単純な気持ちに行き当たる。これはちょっと分かる気がした。
・綿矢りさ「パッキパキ北京」(小説)
コロナ規制が急激に緩和された、2022年のクリスマス前後から始まる物語。仕事で北京に赴任している夫の希望で、菖蒲(アヤメ)さんは愛犬のペイペイを連れて、北京に向かう。菖蒲さんは、銀座のお店でホステスをしていて、二十も年上の夫に見初められて結婚した。学歴も教養もあり、地位も収入もあるビジネスマンの夫だが、中国では適応障害を起こしていた。中国には何の思い入れもなく、中国語も喋れない菖蒲さんは、抜群のコミュ力とスマホの自動翻訳を武器に、どんどん環境に馴染んでいく。中国人大学院生のカップルと三角関係になりかけたり、夫と同時にコロナに倒れる危機もあったが、乗り越える。しかし夫から子どもを産んでほしいと言い渡された菖蒲さんは、この結婚生活の継続が無理であると判断し、男も高級バッグもなくても完全勝利できる女を目指し、阿Q的精神勝利法を極めることを決意する。
ふだんあまり小説を読まない私だが、面白く読めた。菖蒲さん、本能と欲望に忠実のように見えて、観察や省察が的確で、これは小説の中にしかいないキャラだなあと思った。