〇神奈川県立金沢文庫 特別展『運慶-女人の作善と鎌倉幕府-』(2024年11月29日~2025年2月2日)
年末に行った横須賀美術館、鎌倉国宝館との3館連携展示。本展は、サブタイトルのとおり、運慶と女性の関係にあらためて焦点を当てて紹介し、運慶の造仏、それに伴う造寺や仏事などと、女性たちの信仰の関係の一端を明らかにする。
1階の展示室に入ってすぐのケースに出ていたのは光触寺の『頬焼阿弥陀縁起絵巻』の模本(原本は2階展示室に展示)。鎌倉時代の女性の信仰、作善を語る上で欠かせない資料である。仏師・雲慶(運慶)も登場するし。奥の吹抜展示室は、称名寺所蔵の伝・運慶仏の特集展示になっていた。地蔵菩薩坐像、それに聖徳太子立像(二歳像)もあるのだな。
2階へ。年末に「ニコニコ美術館」を視聴したので、展示室の様子は把握していたのだが、仏像多めでうれしい。大善寺の天王立像は、2022年の『運慶』展で、金沢文庫でも横須賀美術館でも展示されたもの。繰り返しになるけど「沈鬱」という形容が似合うと思う。見たことのあるような、ないような、観音勢至菩薩立像のぺアがおいでになる(撫で肩、顔が小さい)と思ったら、京都の清水寺の所蔵だという。調べてみると、もとは阿弥陀堂に安置されていたが、現在は京博に寄託されているらしい。あわせて、静岡・瑞林寺の地蔵菩薩坐像、静岡・願生寺の阿弥陀如来坐像など、神奈川県下以外の仏像も多数出陳されていたのは、予想外で嬉しかった。個人蔵の仏像では、勢至菩薩坐像(平安~鎌倉時代)が跪座(いわゆる大和座り)で目を引いた。これは2022年の『運慶』展にも出ていたが、「特別出品」のため、図録に写真がなかったもののようだ。今回の図録は買っていないのだが、前回未収録の作品が載っているなら欲しい。
神奈川・曹源寺の十二神将立像は、巳神だけが、ひときわ大きく、巳時生まれの実朝との関係が指摘されている。巳歳の初詣にはちょうどよいと思って、心の中で手を合わせてきた。残りの11神は、4・4・3躯ずつ、前後から覗ける展示ケースに納められており、ちょっと窮屈そうだったが、ぐっと接近して見ることができてよかった。
運慶は、東大寺大仏の鎌倉再興に際して、康慶・快慶・定覚とともに四天王像を制作し、この形式は「大仏殿様四天王像」として後世に継承された。2022年の『運慶』展にも出ていた大仏様の四天王立像(南北朝時代、個人蔵)に加え、今回は海住山寺の四天王立像(奈良博でよく見るもの)も来ていた。
称名寺塔頭光明院の大威徳明王像は、像内文書の奥書に「運慶」の名前があることで知られ、「健保二二年(4年=1216年)」「源氏大貳殿」の発願で造られたことも分かっている。大貳殿=大弐局は、甲斐源氏の一族である加賀美遠光の娘で、頼家・実朝の養育係をつとめた。健保4年には頼家は死没しているから、実朝(1192-1219)の厄難消徐のために発願されたと思われる。年表を見ると、この年の実朝は陳和卿に唐船の建造を命じるなど、周囲(大江広元、北条義時)との軋轢が目立ってきている。また同年、運慶は実朝持仏堂本尊の釈迦如来像を制作し、京都から送ったという記録もあるそうだ。これだけ(女性たちの願いを込めた)仏像を奉られても、実朝は若くして悲運の死を遂げてしまったのだから、運慶のつくる仏像には、現世のご利益は期待できないのかもしれない。
称名寺聖教の文書に見える運慶は、東寺講堂の諸像を修理した際、多くの仏舎利が出現して人々を驚かせたことなどが記録されていて、面白かった。誰かの演出だろうか、などと勘ぐってしまう。また、京都・真正極楽寺の『法華経』(運慶願経)は巻七奥書に、寿永2年(1183)、願主として運慶と女大施主(運慶妻)、阿古丸(運慶子=湛慶)の名前が記載されていた。