○江戸東京博物館『大(Oh!)水木しげる展』
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
水木まんがの記憶は、1960年生まれの私にとって、いちばん幸せな幼少年期に結びついている。だから、当時の水木さんの作品を見ていると、母親の胎内に遡行していくような安心感を感じる。そうだ、日本はまだ貧しかった。政治も経済も不安定だったのだろう。でも、日々少しずつ豊かになっていく社会の中で、私は幸せな子供だった。
実写ドラマ『悪魔くん』(1966~1967年放送)『河童の三平』(1968年放送)は私のお気に入りだった。『河童の三平』の主題歌、好きだったな~。どちらの主人公も、一見どこにでもいる日本の少年なのに、不思議な力を持ち、メフィストフェレスみたいな大の大人を従えて、大妖怪と戦うところは、私の心のヒーローだった。メフィストフェレスのおじさん、大好きだったわ~なんて、語り始めると切りがない。
『ゲゲゲの鬼太郎』は、もちろん第1作(1968~1969年)の白黒作品から見ているが、やっぱり、アニメが先だったかしら。私はほとんど字を覚えると同時に、マンガ雑誌を貪り読んでいた記憶があるのだ。当時人気だった「少女フレンド」を、小学校に上がる前から親にねだって買ってもらっていた。
『鬼太郎』が連載されていたのは「少年マガジン」だから、購読していた記憶はない。どこで読んでいたかというと、近所の床屋さんである。髪を短くしていた小学生の私は、月に1回くらい(たぶん)床屋に行って、髪を切ってもらう間、ひたすらマンガ雑誌に没頭していた。散髪が終わっても読み足りなさそうな顔をしていると、「いいよ、もっと読んでいっても」と床屋のおじさん(おにいさんだったかも)に言われて、積んである少年マンガ雑誌を読み続けた。なかなか帰ってこないので、親が心配して迎えにきたこともあった。
家の近所にちょっと瀟洒なお屋敷があった。表通りから続く石畳の小径は竹薮の中に消えていて、どんな住宅があるのか分からなかった。通り側には『鬼太郎』の妖怪ポストそっくりの郵便受けが立っていた。私は心の中で鬼太郎はここに住んでいるに違いないと独り決めしていた。ああ、至福の幼年期がよみがえる。
でも、水木まんがって大人の作品だったと思うな。作画のタッチも内容も。『鬼太郎』だって、鬼太郎以外の登場人物はみんな大人で「なんだ、この子供は」って劇中でよく軽蔑されていたと思う。登場人物の多くは、サラリーマンとか大学生で、貧乏とか、社会の不正とか不条理とか、公害とか、大人らしくいろんなことに苦しんでいた。私は両親のふところで至福の幼年期を過ごしながら、同時に、その先の社会にあることを、マンガを通して垣間見ていたと思う。マンガがそういう機能を持たなくなってしまったのは、いつ頃からなんだろう。そんなこともフト考えた。
とりあえず、水木さんって、若い頃からほんとに天才的に絵がうまいことが分かった。会場入口の京極夏彦と荒俣宏の似顔絵は笑える。。。それから、調布市立図書館の「図書館だより」の表紙を1989年から描いているというのは初耳だった。この企画を発案し、通した調布の図書館職員はエラい!
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
水木まんがの記憶は、1960年生まれの私にとって、いちばん幸せな幼少年期に結びついている。だから、当時の水木さんの作品を見ていると、母親の胎内に遡行していくような安心感を感じる。そうだ、日本はまだ貧しかった。政治も経済も不安定だったのだろう。でも、日々少しずつ豊かになっていく社会の中で、私は幸せな子供だった。
実写ドラマ『悪魔くん』(1966~1967年放送)『河童の三平』(1968年放送)は私のお気に入りだった。『河童の三平』の主題歌、好きだったな~。どちらの主人公も、一見どこにでもいる日本の少年なのに、不思議な力を持ち、メフィストフェレスみたいな大の大人を従えて、大妖怪と戦うところは、私の心のヒーローだった。メフィストフェレスのおじさん、大好きだったわ~なんて、語り始めると切りがない。
『ゲゲゲの鬼太郎』は、もちろん第1作(1968~1969年)の白黒作品から見ているが、やっぱり、アニメが先だったかしら。私はほとんど字を覚えると同時に、マンガ雑誌を貪り読んでいた記憶があるのだ。当時人気だった「少女フレンド」を、小学校に上がる前から親にねだって買ってもらっていた。
『鬼太郎』が連載されていたのは「少年マガジン」だから、購読していた記憶はない。どこで読んでいたかというと、近所の床屋さんである。髪を短くしていた小学生の私は、月に1回くらい(たぶん)床屋に行って、髪を切ってもらう間、ひたすらマンガ雑誌に没頭していた。散髪が終わっても読み足りなさそうな顔をしていると、「いいよ、もっと読んでいっても」と床屋のおじさん(おにいさんだったかも)に言われて、積んである少年マンガ雑誌を読み続けた。なかなか帰ってこないので、親が心配して迎えにきたこともあった。
家の近所にちょっと瀟洒なお屋敷があった。表通りから続く石畳の小径は竹薮の中に消えていて、どんな住宅があるのか分からなかった。通り側には『鬼太郎』の妖怪ポストそっくりの郵便受けが立っていた。私は心の中で鬼太郎はここに住んでいるに違いないと独り決めしていた。ああ、至福の幼年期がよみがえる。
でも、水木まんがって大人の作品だったと思うな。作画のタッチも内容も。『鬼太郎』だって、鬼太郎以外の登場人物はみんな大人で「なんだ、この子供は」って劇中でよく軽蔑されていたと思う。登場人物の多くは、サラリーマンとか大学生で、貧乏とか、社会の不正とか不条理とか、公害とか、大人らしくいろんなことに苦しんでいた。私は両親のふところで至福の幼年期を過ごしながら、同時に、その先の社会にあることを、マンガを通して垣間見ていたと思う。マンガがそういう機能を持たなくなってしまったのは、いつ頃からなんだろう。そんなこともフト考えた。
とりあえず、水木さんって、若い頃からほんとに天才的に絵がうまいことが分かった。会場入口の京極夏彦と荒俣宏の似顔絵は笑える。。。それから、調布市立図書館の「図書館だより」の表紙を1989年から描いているというのは初耳だった。この企画を発案し、通した調布の図書館職員はエラい!