見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

懐かしき昭和/大(Oh!)水木しげる展

2004-12-19 19:33:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
○江戸東京博物館『大(Oh!)水木しげる展』

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

 水木まんがの記憶は、1960年生まれの私にとって、いちばん幸せな幼少年期に結びついている。だから、当時の水木さんの作品を見ていると、母親の胎内に遡行していくような安心感を感じる。そうだ、日本はまだ貧しかった。政治も経済も不安定だったのだろう。でも、日々少しずつ豊かになっていく社会の中で、私は幸せな子供だった。

 実写ドラマ『悪魔くん』(1966~1967年放送)『河童の三平』(1968年放送)は私のお気に入りだった。『河童の三平』の主題歌、好きだったな~。どちらの主人公も、一見どこにでもいる日本の少年なのに、不思議な力を持ち、メフィストフェレスみたいな大の大人を従えて、大妖怪と戦うところは、私の心のヒーローだった。メフィストフェレスのおじさん、大好きだったわ~なんて、語り始めると切りがない。

 『ゲゲゲの鬼太郎』は、もちろん第1作(1968~1969年)の白黒作品から見ているが、やっぱり、アニメが先だったかしら。私はほとんど字を覚えると同時に、マンガ雑誌を貪り読んでいた記憶があるのだ。当時人気だった「少女フレンド」を、小学校に上がる前から親にねだって買ってもらっていた。

 『鬼太郎』が連載されていたのは「少年マガジン」だから、購読していた記憶はない。どこで読んでいたかというと、近所の床屋さんである。髪を短くしていた小学生の私は、月に1回くらい(たぶん)床屋に行って、髪を切ってもらう間、ひたすらマンガ雑誌に没頭していた。散髪が終わっても読み足りなさそうな顔をしていると、「いいよ、もっと読んでいっても」と床屋のおじさん(おにいさんだったかも)に言われて、積んである少年マンガ雑誌を読み続けた。なかなか帰ってこないので、親が心配して迎えにきたこともあった。

 家の近所にちょっと瀟洒なお屋敷があった。表通りから続く石畳の小径は竹薮の中に消えていて、どんな住宅があるのか分からなかった。通り側には『鬼太郎』の妖怪ポストそっくりの郵便受けが立っていた。私は心の中で鬼太郎はここに住んでいるに違いないと独り決めしていた。ああ、至福の幼年期がよみがえる。

 でも、水木まんがって大人の作品だったと思うな。作画のタッチも内容も。『鬼太郎』だって、鬼太郎以外の登場人物はみんな大人で「なんだ、この子供は」って劇中でよく軽蔑されていたと思う。登場人物の多くは、サラリーマンとか大学生で、貧乏とか、社会の不正とか不条理とか、公害とか、大人らしくいろんなことに苦しんでいた。私は両親のふところで至福の幼年期を過ごしながら、同時に、その先の社会にあることを、マンガを通して垣間見ていたと思う。マンガがそういう機能を持たなくなってしまったのは、いつ頃からなんだろう。そんなこともフト考えた。

 とりあえず、水木さんって、若い頃からほんとに天才的に絵がうまいことが分かった。会場入口の京極夏彦と荒俣宏の似顔絵は笑える。。。それから、調布市立図書館の「図書館だより」の表紙を1989年から描いているというのは初耳だった。この企画を発案し、通した調布の図書館職員はエラい!
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鎌倉・長谷寺の歳の市

2004-12-18 21:02:27 | なごみ写真帖
この冬は暖かいので、まだどうも師走の実感がない。
今日は長谷寺の門前に、恒例の歳の市が立つと聞いて出かけた。短い参道に集まった露店は、食べもの屋さんがほとんど。ほかに熊手屋さん、暦屋さん、だるま屋さん2軒など。

そのあと、9月に面掛け行列で賑わっていた御霊神社、アジサイの季節は大賑わいだった成就院などを通ってきた。どこもひっそりと冬枯れた雰囲気。この時期の鎌倉は、ゆっくり息がつけていい。

ところで、クリスマス休暇は九州に出かけることになりました。航空券、ちゃんと取れてるのかな。イブは平戸の予定です。







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台湾小吃二題

2004-12-17 20:45:19 | なごみ写真帖
敦化南路にある「糖朝」の小豆入り豆腐花(冷製)とゴマだんご。
大きなガラスのボールにはドライアイスが入っていて、アツアツのお粥みたいに白い煙をくゆらせながら運ばれてくる。味は甘さ控えめ。お店の内装もおしゃれ。





これは小吃ではなく朝ごはんなのだが...
台北駅の周辺では、早朝から、店先で作ったサンドイッチを直販しているお店が多い。特に焼きたての目玉焼きやベーコンが入っていると美味しいんだ、これが~!! 二度とコンビニの冷えたサンドイッチなんか食べられなくなる。



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明るい未来へ/デモクラシーの冒険

2004-12-16 23:55:04 | 読んだもの(書籍)
○姜尚中、テッサ・モーリス-スズキ『デモクラシーの冒険』(集英社新書)集英社 2004.11

 なんだか、とても楽しい気分になる1冊だった。不思議なことに。昨今、デモクラシーについて真面目に語ろうとすれば、憤懣、愚痴、倦怠、笑止あるいは悲壮な雰囲気が漂わざるを得ないところ、本書には、南国の青空のような明るい光が満ちている。

 多忙を極める姜尚中を、旧知のテッサさんが、オーストラリアのリゾート地に連れ出すという設定がいいのかも知れない。そうね。なんだか、プラトンの対話編みたいである。楽しいミュージカルが始まるような幕開け。美しい舞台、気のおけない友人、ふんだんな美味、そして知性を刺激する絶好の話題としての「デモクラシー」。

 デモクラシーについて語ること、最も端的な文中の表現で置き換えれば「すべての人間は、自分たちの暮らしをより良い方向に変えられるボタンを持つ」と信じて、そのために、何ができるかを考えること、それは、こんなふうに楽しく昂揚する作業だったのか、と思って、しみじみ、びっくりした。

 本書には、イラク派兵とか北朝鮮とか、マスコミを熱くにぎわせている政治問題も取り上げられているけれど、それらはひとまず措いて、もっと自分たちの生活実感を大事にしながら、かつ、デモクラシーの理念に立ち返って考えようというのが基本姿勢である。

 その結果、普通なら、デモクラシーの装置と考えられている制度・現象に対しても、深く内省的な疑問が投げかけられている。たとえば「民営化」には、国家と私企業の癒着、公領域と私領域の曖昧化を生むという暗黒面があるのではないか。「政党」、特に二大政党制は、決定の効率化を求めるあまり、マルティチュード<多様性>を抑圧するために機能しているのではないか。それから、我々の想像力を奪い、「この退屈な日常はずっと続く」というメッセージを流し続けるマスメディア、特にテレビに、どう抗していくべきか、など。

 お二人とも、現実にはもっと不愉快な話題で、不愉快な論客と渡り合うことも多いんだろうになあ。一場の夢をぜひご一緒に。

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輝く日の宮、そして藤壺

2004-12-14 23:46:09 | 読んだもの(書籍)
○瀬戸内寂聴『藤壺』講談社 2004.11

 藤原定家の「源氏物語、奥入(おくいり)」に「かかやく日の宮、このまきもとよりなし」と記載されている幻の巻。源氏の君と義理の母・藤壺がはじめて結ばれる場面が描かれていると想像される巻である。この巻の真実に迫る知的な探求に、現代女性の恋愛を味付けにした、丸谷才一の小説『輝く日の宮』(講談社, 2003.6)はおもしろかった。私が今年に至って、長年棚上げしていた古典「源氏物語」を読む気になったのも、丸谷さんの影響である。そして、丸谷さんの小説が各方面に与えた波紋は、とうとう、恋愛小説の名手、瀬戸内寂聴さんを動かして、こんな小説を書かせてしまった。

 源氏が思いを遂げる場面、著者はさすが官能の巧者である。しかし、藤壺は、恐れと後悔の涙にくれて、人形のように無反応に源氏に抱かれるだけなのだ。当時の高貴な女人はこんなものかなあ。ただ一度だけ、源氏の背中に腕をまわし、抱きしめた、という一句が精一杯の感情の流露なのか。

 むしろ、源氏の打算的な愛撫に篭絡されて、藤壺のもとに彼を手引きする、若くはない王命婦のほうに存在感を感じる。

 本文は、現代語編と古文編があるが、やはり近代小説心理の筆致や描写を古文に移したものには違和感がある。それなら、いっそ、最初から擬古文で、書いてもらったほうがよかったかもしれない。まあ、一興の読み物ではある。

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哀悼/僕の叔父さん 網野善彦

2004-12-12 22:02:25 | 読んだもの(書籍)
○中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)集英社 2004.11

 網野善彦を初めて読んだのは、世に出たばかりの『異形の王権』(平凡社, 1986.8)だったように思う。それから網野善彦, 上野千鶴子, 宮田登共著の『日本王権論』(春秋社, 1988.1)が出て、同じ年に中沢新一の『悪党的思考』(平凡社, 1988.7)が出た。

 当時、『チベットのモーツァルト』で華々しくデビュー(?)していた中沢を、私は名前だけ知っていた。へえ、このひと、日本のことも書くんだ、という物珍しさから『悪党的思考』を手に取った。その私小説ふうなあとがきに、幼少期から自分に日本史の手ほどきをしてくれた懐かしい「叔父さん」の肖像が語られていて、最後にそれが歴史学者の網野善彦である、という種明かしがさらりと加えられていたと思う。私はこのとき初めて、分野も世代も異なる2人の学者の意外な結びつきを知った。ついでに言うと、中沢の父・厚が『つぶて』(法政大学出版局, 1981.12)という、「ものと人間の文化史」叢書の1冊の著者であることも、このとき知った。私は学生時代にこの叢書を愛読していたので、一層びっくりした。

 あれから15年。網野史学はアカデミズムの世界では、なお異端視されているらしいが、多くの読者と共感者を獲得した。私もそのひとりである。一方で、昨今は、網野史学といえば「無縁」「アジール」「農業民/非農業民」「海の国」など、いくつかのキーワードで、誰でも簡単に要約できると思われているフシがある。

 しかし、本書では、中沢新一という恰好の案内人を得て、実際の網野史学が、実に大きな「仕掛け」の上に構想されていたことが改めて示される。日本どころかアジア的生産様式を超えて原始社会にさかのぼり、一切の支配・権力から自由であろうとする、人間の根源的な欲望に根拠をおく壮大な思考の枠組みが明らかにされる。正直なところ、私はここまで深く網野さんの本を読み込んだことはなかった。耳慣れた網野史学を高笑いとともに吹き飛ばすような、爽快な再発見が本書にはある。

 ところで、「天皇制との格闘」は網野史学の重要な主題のひとつであるが、著者の中沢新一は、興味深い体験を告白している。近所の葡萄酒工場にやってきた昭和天皇に遭遇したとき、連日、万歳の練習にうんざりしていたにもかかわらず、「なにかとてつもなく無垢なものが、自分の前を通り過ぎていったように感じ」不思議な感動に打たれたという。子供の無知を笑うのは易しい。でも、こういう感動が存在することを認めたところから、天皇制との根源的格闘が始まるのだ。

 中沢家の自由で知的な雰囲気、とりわけ大好きな「叔父さん」をめぐる著者の回想は、生き生きと色彩豊かで、光り輝くような明るさに満ちている。だが、最終章だけは、号泣を誘われそうになった。魂が魂をよばうというのはこういうことか、と思った。

 著者はこの文章の大半を山梨の実家で書き、「そっと襖を開けると、人のいないはずの座敷には煌々と白色電球が灯り、そこに父親や網野さんが座って私のほうを見上げているのが、見えてくるようだった」と言う。そして、亡くなった人々や忘れられた人々を呼び戻す「オルフェウスの技術」、実はそれこそが網野史学の根底にあるものではないか、と語るのである。
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鈴木清順の『狸御殿』

2004-12-11 20:34:57 | 見たもの(Webサイト・TV)
○鈴木清順監督 『オペレッタ狸御殿』

 先日、張芸謀の映画に高倉健が出るというので、へえ~と思っていたら、鈴木清順の新作映画に、中国の人気スター章子怡(チャン・ツィー)が出るのだそうだ。公式サイトも立っているし、新聞にも出たらしいから、映画ファンには、とうに旧聞に属するのかも知れない。私は昨日、中国の芸能サイトをチェックしていて知ったばかりである。

 章子怡って、そうたくさん見ているわけではないが、リアルよりもフィクションの似合う美人だから、鈴木清順の作品には、うってつけかも知れない。「英雄(HERO)」「十面埋伏(LOVERS)」を蹴散らかすような、敢えて言うと、婆娑羅(ばさら)な影像美を期待したい。

 なお、『オペレッタ狸御殿』は、往年の日本映画ファンには懐かしい人気シリーズだそうだ(私は寡聞にして知らない)。人間と異形のモノの恋愛譚ということでは、泉鏡花の小説を連想した。『夜叉ヶ池』とかね。

章子怡首部日本影片《狸御殿》明年5月公映(新浪網)(中国語)
http://ent.sina.com.cn/2004-12-10/0933595080.html

オペレッタ狸御殿(Herald Online)
http://www.herald.co.jp/official/tanuki_goten/index.shtml

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台湾のタイワンリス

2004-12-10 22:34:06 | なごみ写真帖
...何を言ってるんだか?とお思いでしょうが。

写真は台湾にて。台北駅近くの公園で見かけた本場のタイワンリス。
逗子・鎌倉に住みついて繁殖しているタイワンリスより、体が大きいと思う。
間近に見たせいかしら? 人が近づいても怖がらない。

なにやら食べ物を見つけて、芝生に埋めていた。



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思い出の麗江/千里走単騎

2004-12-03 08:53:53 | 見たもの(Webサイト・TV)
○張芸謀監督 映画《千里走単騎》

 ちょっと乗り遅れのニュースになるが、張芸謀監督の新作映画《千里走単騎》の撮影が、中国・雲南省の麗江市で始まったらしい。麗江か~。あるとき、写真で見た町並みの美しさに驚嘆し、何年も憧れ続けて、1年前の年末休暇に、とうとう念願かなって訪れたところである。今年だったら、映画の撮影とかち合って、大変だったかも知れない。

 麗江は、標準的な中国の町とは全く異質な、美しい町である。日本人の郷愁に訴えるものがある。町並み保存には、かなり気を遣っているようだが、それでも年々観光開発が進んでいるから、今の風景をフィルムに残してもらえるのはありがたい。

 関連サイトを周遊してみると、白沙古鎮とか束河風景区とか、麗江市郊外の、まだ十分に古い町並みを残す小さな集落の名前も散見する。ストーリーは、中国の古い戯曲を研究していた息子(中井貴一)が病に倒れたため、息子に代わって、父親(高倉健)が雲南を訪れるところから始まるらしい。どんな戯曲が想定されているのかも楽しみ。公開が待たれる。

 それにしても、タイトルは《単騎走千里》でなく《千里走単騎》なのね。中国語は難しい。

高倉健さん主演、張芸謀監督の新作クランクイン(日本語)
http://j1.people.com.cn/2004/11/20/jp20041120_45346.html

最新の動向は新浪網でチェック!(中国語)
http://ent.sina.com.cn/m/c/f/qlzdq/index.html
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berry

2004-12-02 09:32:02 | なごみ写真帖
秋の生りものはいいなあ。見ているだけで気持ちが落ち着く。豊かになる。
これって単に食いしん坊ってことかしら。

関係ないけど、HSK(漢語水平考試)7級合格の通知が来た。やったー。
誰にも褒められないので、自分で自分を褒めてみる。

写真はいつもの海蔵寺。





コメント (2)
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