○内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』 文藝春秋 2008.1
内田樹(うちだ・たつる)さんの名前を初めて知ったのは、武道的身体論の本だったと思う。実はフランス現代思想の先生だと知ったのは最近のことだ。これまで私が読んだのは『街場の中国論』と『下流志向』。こうして並べると、世間の関心に媚びているだけの、節操のない自称評論家みたいだが、どれも嫌味がなくて面白かった。近頃、私のおすすめの書き手である。
著者自ら、「たぶん私は一部メディアからはどんな質問でも『それはね……』と即答する『占い師』のようなものだと思われているのであろう」と書いている。いや、哲学者の本分というのは、元来、そういうものなのかもしれない。本書もまた、非婚・少子化、階層社会、メディア、教育、ナショナリズムなど、幅広い題材を自由に論じたものだ。共通するコンセプトは、書名のとおり、「ひとりでは生きられないのも芸のうち」である。巧いなあ~このタイトル。私は、たまたまネットのベストセラーランキングで本書のタイトルを見てハッとして、著者は誰だろう?とクリックしてしまった。
自己責任・自己決定・自己利益の追求という生活規範は、特定の条件下でのみ有効性を持つのであって、オールマイティなものではない。むしろ、人間という生物は、自己利益よりも共同体全体のパフォーマンスを優先すること(及び、そのことに「快楽を感じる」能力)によって、長い過酷な歴史を生き延びてきたのである。だから、ひとりひとりおのれの得手なことは他人の分までやってあげて、不得手なことは他人に任せようではないか。5人に1人がオーバーアチーブを引き受けることができれば、それで社会はまわるのである。
ええ~そんな不公平、と思いながら丸め込まれてしまうような、この、香具師の口上まがいのぐだぐだ感がいいのである(失礼)。同じように「共生」を語る論者は多いが、ひとりでも生きていける強者であることを前提に、上から目線で他者との共生を図ろうとするか、弱者であることに居直って、割り前を受け取る権利だけを主張するか、どちらかであるように思う。こういう共生論は、押し付けがましいし、うさんくさい。
著者の示す「共生」の奥義は、自立主義から遠く離れた「あなたなしでは生きていけない」というメッセージの交換である。それは、私の無能や欠乏の表明ではなくて、「だからこそ、あなたに元気で幸福でいてほしい」という祝福と祈りを相手に捧げることである。だから「誰にも頼らず、ひとりで生きていける」人よりも、「あなたなしでは生きていけない」というメッセージを発することのできる人のほうが(相互的に同じ祝福を受け取ることによって)健康と幸福にめぐまれる確率が高い。逆説的であるけれど、「その人なしでは生きていけない人間」の数を増やしていくことが「成熟」の指標である、と著者はいう。
下手な要約をしてしまったけれど、この最終章は、かなり感動的である。キャッチボールの快感に托した比喩も巧みだと思う。哲学者たるもの、やっぱり、これくらいの文章の達人であってほしい。自己責任・自己決定の呪縛にへとへとになって、絶望している若者に読んでほしいし、こういうの、国語の教科書に採ってほしいな、と思った。
内田樹(うちだ・たつる)さんの名前を初めて知ったのは、武道的身体論の本だったと思う。実はフランス現代思想の先生だと知ったのは最近のことだ。これまで私が読んだのは『街場の中国論』と『下流志向』。こうして並べると、世間の関心に媚びているだけの、節操のない自称評論家みたいだが、どれも嫌味がなくて面白かった。近頃、私のおすすめの書き手である。
著者自ら、「たぶん私は一部メディアからはどんな質問でも『それはね……』と即答する『占い師』のようなものだと思われているのであろう」と書いている。いや、哲学者の本分というのは、元来、そういうものなのかもしれない。本書もまた、非婚・少子化、階層社会、メディア、教育、ナショナリズムなど、幅広い題材を自由に論じたものだ。共通するコンセプトは、書名のとおり、「ひとりでは生きられないのも芸のうち」である。巧いなあ~このタイトル。私は、たまたまネットのベストセラーランキングで本書のタイトルを見てハッとして、著者は誰だろう?とクリックしてしまった。
自己責任・自己決定・自己利益の追求という生活規範は、特定の条件下でのみ有効性を持つのであって、オールマイティなものではない。むしろ、人間という生物は、自己利益よりも共同体全体のパフォーマンスを優先すること(及び、そのことに「快楽を感じる」能力)によって、長い過酷な歴史を生き延びてきたのである。だから、ひとりひとりおのれの得手なことは他人の分までやってあげて、不得手なことは他人に任せようではないか。5人に1人がオーバーアチーブを引き受けることができれば、それで社会はまわるのである。
ええ~そんな不公平、と思いながら丸め込まれてしまうような、この、香具師の口上まがいのぐだぐだ感がいいのである(失礼)。同じように「共生」を語る論者は多いが、ひとりでも生きていける強者であることを前提に、上から目線で他者との共生を図ろうとするか、弱者であることに居直って、割り前を受け取る権利だけを主張するか、どちらかであるように思う。こういう共生論は、押し付けがましいし、うさんくさい。
著者の示す「共生」の奥義は、自立主義から遠く離れた「あなたなしでは生きていけない」というメッセージの交換である。それは、私の無能や欠乏の表明ではなくて、「だからこそ、あなたに元気で幸福でいてほしい」という祝福と祈りを相手に捧げることである。だから「誰にも頼らず、ひとりで生きていける」人よりも、「あなたなしでは生きていけない」というメッセージを発することのできる人のほうが(相互的に同じ祝福を受け取ることによって)健康と幸福にめぐまれる確率が高い。逆説的であるけれど、「その人なしでは生きていけない人間」の数を増やしていくことが「成熟」の指標である、と著者はいう。
下手な要約をしてしまったけれど、この最終章は、かなり感動的である。キャッチボールの快感に托した比喩も巧みだと思う。哲学者たるもの、やっぱり、これくらいの文章の達人であってほしい。自己責任・自己決定の呪縛にへとへとになって、絶望している若者に読んでほしいし、こういうの、国語の教科書に採ってほしいな、と思った。