○伊藤郁太郎著『美の猟犬:安宅コレクション余聞』 日本経済新聞社 2007.10
こんなブログを書いているが、美術について、私はただの素人である。昨年、『美の求道者 安宅英一の眼』という展覧会(東京展)を見るまで、安宅英一という名前を全く知らなかった。それだけに、安宅コレクションの名品を、実際に目にしたときの驚愕は忘れがたい。
展覧会の途中には、安宅英一の年譜が掲げられていて(どれだけの観客が気づいたか)、簡素な記述を追っていくと、初めて知る驚くべき物語が浮かび上がって来た。かつて安宅産業という大商事会社があったこと、1970年代半ば、事実上の倒産によって消滅したこと、大阪市は、安宅コレクションの寄贈を受け入れるために東洋陶磁美術館を設立したこと、安宅産業の社員だった伊藤郁太郎氏が今は同館の館長をしていることなど、小説どころか、「○○縁起絵巻」も顔負けの、数奇(すうき)で、壮大で、華麗な物語に、私は呆然となった。
本書は、安宅英一のもとで、美術品の収集・購入実務に携わった著者の回想を主とする。著者は、そうした自分を「安宅さんという確固たる美の王国の領主に仕えた一介の猟犬」「狙う獲物を指示されれば、脇目も振らず驀地(まっしぐら)に疾駆していった忠実なる美の猟犬」であった、という。「猟犬」という比喩に卑下はなく、むしろ自尊の響きさえ感じられる。それは、同じように美神を奉ずる「領主」と「猟犬」の連帯感、信頼感に基づくのかもしれない。
安宅英一は、狙った美術品を手に入れることに執念を燃やし、時にはかなり悪辣な手段も用いたという。けれども、そうして心血を注いだコレクションを、ついに手放すに至って、「さぞお気落ちのことでしょうね」と話しかけられると「どうして?」と不思議がり、「だってコレクションとは誰が持っていても同じでしょう」とつぶやいたという。これは印象的なエピソードだ。私は、ふと、大和文華館の塚本麿充さんが語った、清の乾隆帝を思い出した。
参考までにWikipediaを引いてみたら、「安宅英一」や「安宅コレクション」という項目はなく、「安宅産業」と「安宅産業破綻」が立っている。当時、十代だった私は、全く記憶がないのだが、石油ショックの只中で発生した安宅産業の経営危機と破綻処理は「”日本株式会社”の総力戦」と呼ばれるほどの大事件だったようだ。そして、Wikipediaの記述は、安宅一族に対して、きわめて批判的である。「安宅一族は公私混同も激しく、現在大阪市立東洋陶磁美術館に『安宅コレクション』として保管されている朝鮮・中国陶磁器の膨大なコレクションは、英一のために安宅産業が美術品部を作って購入したものである」という。うーむ。市民派だなあ、このトゲのある言い回し。世間一般の「公正」な認識は、たぶんこういうものだろう。結局、心のうちに美神を奉ずる者は、市民社会の余計者なのかもしれない。
しかし、そんな悩ましさも、本書に収められた図版・解説を眺めていると、たちまち吹き飛んでしまう(図版の写真が抜群にいい)。いったい、安宅コレクションと肩を並べられる、東洋陶磁コレクションが、世界中のどこにあるだろうか。台湾故宮やイギリスのデヴィッド・コレクションでさえ、著者の眼には「並べ方がね」と映る。安宅英一直伝の「1ミリ単位のディスプレイ」について語った段は興味深い。さてこそ、『安宅英一の眼』展の素晴らしい空間が実現できたんだな、と納得できた。
こんなブログを書いているが、美術について、私はただの素人である。昨年、『美の求道者 安宅英一の眼』という展覧会(東京展)を見るまで、安宅英一という名前を全く知らなかった。それだけに、安宅コレクションの名品を、実際に目にしたときの驚愕は忘れがたい。
展覧会の途中には、安宅英一の年譜が掲げられていて(どれだけの観客が気づいたか)、簡素な記述を追っていくと、初めて知る驚くべき物語が浮かび上がって来た。かつて安宅産業という大商事会社があったこと、1970年代半ば、事実上の倒産によって消滅したこと、大阪市は、安宅コレクションの寄贈を受け入れるために東洋陶磁美術館を設立したこと、安宅産業の社員だった伊藤郁太郎氏が今は同館の館長をしていることなど、小説どころか、「○○縁起絵巻」も顔負けの、数奇(すうき)で、壮大で、華麗な物語に、私は呆然となった。
本書は、安宅英一のもとで、美術品の収集・購入実務に携わった著者の回想を主とする。著者は、そうした自分を「安宅さんという確固たる美の王国の領主に仕えた一介の猟犬」「狙う獲物を指示されれば、脇目も振らず驀地(まっしぐら)に疾駆していった忠実なる美の猟犬」であった、という。「猟犬」という比喩に卑下はなく、むしろ自尊の響きさえ感じられる。それは、同じように美神を奉ずる「領主」と「猟犬」の連帯感、信頼感に基づくのかもしれない。
安宅英一は、狙った美術品を手に入れることに執念を燃やし、時にはかなり悪辣な手段も用いたという。けれども、そうして心血を注いだコレクションを、ついに手放すに至って、「さぞお気落ちのことでしょうね」と話しかけられると「どうして?」と不思議がり、「だってコレクションとは誰が持っていても同じでしょう」とつぶやいたという。これは印象的なエピソードだ。私は、ふと、大和文華館の塚本麿充さんが語った、清の乾隆帝を思い出した。
参考までにWikipediaを引いてみたら、「安宅英一」や「安宅コレクション」という項目はなく、「安宅産業」と「安宅産業破綻」が立っている。当時、十代だった私は、全く記憶がないのだが、石油ショックの只中で発生した安宅産業の経営危機と破綻処理は「”日本株式会社”の総力戦」と呼ばれるほどの大事件だったようだ。そして、Wikipediaの記述は、安宅一族に対して、きわめて批判的である。「安宅一族は公私混同も激しく、現在大阪市立東洋陶磁美術館に『安宅コレクション』として保管されている朝鮮・中国陶磁器の膨大なコレクションは、英一のために安宅産業が美術品部を作って購入したものである」という。うーむ。市民派だなあ、このトゲのある言い回し。世間一般の「公正」な認識は、たぶんこういうものだろう。結局、心のうちに美神を奉ずる者は、市民社会の余計者なのかもしれない。
しかし、そんな悩ましさも、本書に収められた図版・解説を眺めていると、たちまち吹き飛んでしまう(図版の写真が抜群にいい)。いったい、安宅コレクションと肩を並べられる、東洋陶磁コレクションが、世界中のどこにあるだろうか。台湾故宮やイギリスのデヴィッド・コレクションでさえ、著者の眼には「並べ方がね」と映る。安宅英一直伝の「1ミリ単位のディスプレイ」について語った段は興味深い。さてこそ、『安宅英一の眼』展の素晴らしい空間が実現できたんだな、と納得できた。