○岩村暢子『普通の家族がいちばん怖い:徹底調査!破滅する日本の食卓』 新潮社 2007.10
刊行まもなく、何かの書評で本書の内容を知って、うわあ、これは大変なことだ、と驚愕した。本書は、1999~2000年と2004~2005年の2回にわたり、総計223世帯を対象に実施された「フツウの家族の実態調査(クリスマス・お正月編)」をもとにしている。首都圏在住の子どもを持つ主婦たち(20~50代)に、各家庭のクリスマス・お正月の過ごし方(飾りつけ、食卓など)を写真と日記で提出してもらい、さらにグループインタビューを行ったものである。
提出された写真を見ると、「(菓子パンやシリアルを)テーブルに出しておいて、『各自勝手に起きてバラバラに食べた』四人家族の朝食」とか「元旦の食卓には残りご飯とハムエッグのみ」とか、私の想像の許容範囲を超える光景が次々に登場する。なるほど恐ろしい。これは話題沸騰のベストセラーになるにちがいない、と思っていた。
ところが予想は外れて、刊行から3ヶ月以上経っても、あまり話題になっていない。私は拍子抜けするとともに、少し冷静になって、ほんとにこれが普通の家族の実態なのか?伝統家族擁護の立場から針小棒大に書かれた煽り本じゃないのか?と、疑いながら読んでみた。その結果、タイトルや帯など、宣伝にかかわる部分には”煽り”が感じられるが、本文の記述は、事実に依拠しており、おおむね中立的に思えた。
では、なぜ、この驚愕の事実が騒がれないのか。よく考えてみると、いまの普通の家族には、これが”普通の風景”だから、誰も騒がないのではないか、と思い当たった。家族を形成していない私は、70代の母親に作ってもらう御節とお雑煮の正月を相変わらず続けている。もしも自分が主婦だったら?と胸に手をおいて考えてみると、やっぱり御節は作らなかっただろう。好きじゃないし。それに、「家族がいちばん」「食を大事に」なんていう、精力的な啓蒙活動をしているライターや評論家の方々も、売れっ子であればあるほど、実態は似たような食卓なんじゃなかろうか。
まあ食文化というのは、意外と短いサイクルで変わっていくものだし、人生これほどの楽しみはない(?)のだから、食べたいものを食べればよいと思う。世田谷文学館によれば、永井荷風先生だって、大正8年の元旦をショコラとクロワッサンで過ごしているのだし。
それよりも、私がうすら寒く感じるのは、中高生になる子供たちにサンタクロースの実在を信じさせておこうとする親たちである。それは、クリスマスを楽しく過ごすために必要な条件だからだ。クリスマスやお正月は「みんなで楽しく盛り上がる」ためにあり、そのことによって、ふだんバラバラな家族の一体感を(嘘でも)確認するのである。また、他の家がやってることは、つねに自分の家でもやっておきたい。「周りのみんな」に合わせるのは、とても大事なことなのだ。
こういう家庭と社会では、本当に自己決定できる人間は育たないだろうなあ。これって、内田樹さんのいう「みんなにちょっとずつ愛されたい」共生戦略の、負の側面が拡大された状態なのではないかと思った。どうだろうか。
追記。この調査を行ったのは、アサツー・ディ・ケーという広告会社である。こんな仕事が会社のためになるのだろうかと悩む著者に対して、同社の社長は、生活者の実態を探ることは重要なマーケティングの仕事であると言い、会長は「会社の仕事を利用して自己実現し、成長するくらいの気持ちでいてもらいたい」と諭したという。大学とか、本来の学術機関から、基礎研究の場がどんどん奪われている一方で、一私企業が、営利性のない調査研究を担保しているのは、少し皮肉な感じがする。
刊行まもなく、何かの書評で本書の内容を知って、うわあ、これは大変なことだ、と驚愕した。本書は、1999~2000年と2004~2005年の2回にわたり、総計223世帯を対象に実施された「フツウの家族の実態調査(クリスマス・お正月編)」をもとにしている。首都圏在住の子どもを持つ主婦たち(20~50代)に、各家庭のクリスマス・お正月の過ごし方(飾りつけ、食卓など)を写真と日記で提出してもらい、さらにグループインタビューを行ったものである。
提出された写真を見ると、「(菓子パンやシリアルを)テーブルに出しておいて、『各自勝手に起きてバラバラに食べた』四人家族の朝食」とか「元旦の食卓には残りご飯とハムエッグのみ」とか、私の想像の許容範囲を超える光景が次々に登場する。なるほど恐ろしい。これは話題沸騰のベストセラーになるにちがいない、と思っていた。
ところが予想は外れて、刊行から3ヶ月以上経っても、あまり話題になっていない。私は拍子抜けするとともに、少し冷静になって、ほんとにこれが普通の家族の実態なのか?伝統家族擁護の立場から針小棒大に書かれた煽り本じゃないのか?と、疑いながら読んでみた。その結果、タイトルや帯など、宣伝にかかわる部分には”煽り”が感じられるが、本文の記述は、事実に依拠しており、おおむね中立的に思えた。
では、なぜ、この驚愕の事実が騒がれないのか。よく考えてみると、いまの普通の家族には、これが”普通の風景”だから、誰も騒がないのではないか、と思い当たった。家族を形成していない私は、70代の母親に作ってもらう御節とお雑煮の正月を相変わらず続けている。もしも自分が主婦だったら?と胸に手をおいて考えてみると、やっぱり御節は作らなかっただろう。好きじゃないし。それに、「家族がいちばん」「食を大事に」なんていう、精力的な啓蒙活動をしているライターや評論家の方々も、売れっ子であればあるほど、実態は似たような食卓なんじゃなかろうか。
まあ食文化というのは、意外と短いサイクルで変わっていくものだし、人生これほどの楽しみはない(?)のだから、食べたいものを食べればよいと思う。世田谷文学館によれば、永井荷風先生だって、大正8年の元旦をショコラとクロワッサンで過ごしているのだし。
それよりも、私がうすら寒く感じるのは、中高生になる子供たちにサンタクロースの実在を信じさせておこうとする親たちである。それは、クリスマスを楽しく過ごすために必要な条件だからだ。クリスマスやお正月は「みんなで楽しく盛り上がる」ためにあり、そのことによって、ふだんバラバラな家族の一体感を(嘘でも)確認するのである。また、他の家がやってることは、つねに自分の家でもやっておきたい。「周りのみんな」に合わせるのは、とても大事なことなのだ。
こういう家庭と社会では、本当に自己決定できる人間は育たないだろうなあ。これって、内田樹さんのいう「みんなにちょっとずつ愛されたい」共生戦略の、負の側面が拡大された状態なのではないかと思った。どうだろうか。
追記。この調査を行ったのは、アサツー・ディ・ケーという広告会社である。こんな仕事が会社のためになるのだろうかと悩む著者に対して、同社の社長は、生活者の実態を探ることは重要なマーケティングの仕事であると言い、会長は「会社の仕事を利用して自己実現し、成長するくらいの気持ちでいてもらいたい」と諭したという。大学とか、本来の学術機関から、基礎研究の場がどんどん奪われている一方で、一私企業が、営利性のない調査研究を担保しているのは、少し皮肉な感じがする。