見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

雪の近畿周遊(3):琵琶湖文化館~細見美術館

2008-02-13 23:14:43 | 行ったもの(美術館・見仏)
■琵琶湖文化館 収蔵品特別公開:近江の美術 第2期『かざり kazari』

http://www2.ocn.ne.jp/~biwa-bun/

 琵琶湖文化館に行ってきた。同館が直面している「存続の危機」については、以前、書いたとおりである。休日の朝の館内には、数人の先客があった。お互いに声はかけなかったけれど、私同様、同館の公開中止(休館)問題を案じている人々ではないかと思った。それにしても、館内が寒い。2階の常設展示場は小さなヒーターが入っているだけ。3階の絵画ギャラリーはそれもなかったように思う。これも経営努力なのかと涙ぐましい。

 さて、この展示会は、近江の風土に根づいた、さまざまな装飾美術品を紹介するもの。近江の美術には、京(みやこ)の飾りと異なる味わいがある。たとえば、国宝『金銀鍍透彫華籠』など、精緻を極めた手仕事には、深い祈りが宿っているように感じる。それから、直感的に感じるのは、朝鮮文化との親近性である。園城寺に伝わる高麗時代(918~1392)の銅鐘には「太平十二年」という銘が入っているが、Wikipediaで調べると、ぴたり該当する年号がないのが、かえって興味深い。「太平(遼)」は10年までしかないのである。

 最大の見ものは、文句なしに『紙本墨画淡彩楼閣山水図屏風』(近江神宮蔵)だろう。別名を『月夜山水図屏風』ともいう。曽我蕭白の傑作中の傑作である。参考までに、画像はこちら(個人サイト)。私は、この作品を題材に(狂気を装う蕭白でなく)「醒めた蕭白の恐ろしさ」を語った文章を読んだ記憶があるのだが、いま、筆者を思い出せない。特に左隻がすごいと思う。霞んだ遠山は亡霊のようだし、黒ベタと白で極端なツートンカラーに塗り分けた岩の表現もすごい。引っかいた平行線のような霞の表現は、2005年、京博の曽我蕭白展の図録を引っ張り出してみたら「この霞の表現のみなもとにあるのは、断言してもいい、岩佐又兵衛である」という。とろりとして、美しい山水図なのだが、どこか鬼気が染み出るようで怖い。蕭白の描く美人画に通ずるかもしれない。

 しかし、琵琶湖文化館、上記サイトにせっかく載せた展示品リストから、どうして蕭白の名前を落とすかな~。東博が長谷川等伯の『松林図屏風』だけで常設展に客を呼んでいることを思えば、この一作品だけで、吸い寄せられる美術ファンは絶対いると思うのに、もったいない!

 このほかでは、尾形乾山のハマグリ形菓子鉢が、あまりにもそのままで笑った。また、揉み紙の第一人者だった松田喜代次という名前を覚えた。3階の絵画ギャラリーは「瑞祥の造形」を特集。蘆雪の『鶴上寿老人』は飄然として可愛い。狩野常信『南山寿星図』は、梅林に囲まれ、鹿を連れた老翁を描く。構図はコテコテだが、淡彩で嫌味のないところが、日本の中華料理みたいだと思った。


■細見美術館 特別展『芦屋釜の名品:筑前、釜の里が生んだ鉄の芸術』

http://www.emuseum.or.jp/

 京阪大津線で京都に戻る途中、思いつきで、細見美術館に寄る。全く期待していない展覧会だった。私は、茶道でいう「芦屋釜」の芦屋が福岡県遠賀郡芦屋町を指すということさえ知らなかったのである。

 これが意外と面白かった。3合炊きの炊飯釜くらいの大きさ(1人暮らしサイズ)の鉄釜がずらりと並んでいて、観客はこれを神妙な顔つきで見ている。その状態が、まず可笑しい。芦屋釜の特徴のひとつは「真成(しんなり)」と呼ばれる自然な丸みである。まれに甘栗みたいな下膨れの釜があると思ったら、香炉を転用したものだった。

 釜というのは、底部が壊れやすい。壊れても使い続けるには、別の底を付けて鋳なおすのだそうだ。このとき、小さめの底を当てると「尾垂(おだれ)」と呼ばれる形態になる。もちろん、リサイクル品であることが目立たないように、同型の底を当ててもいいのだが、生活の必要が生んだかたちに、敢えて興趣を見出しているわけで、その姿勢が面白いと思う。

 表面の装飾には、植物・動物・幾何学文などが用いられる。あまり繊細な文様は表現できないので、素朴で大胆なものが似合う。上記サイト(過去の展覧会)にも図像のある『芦屋霰地楓鹿図真形釜』は、細見古香庵が、芦屋釜の蒐集に没頭するきっかけとなったものだそうだ。紅葉の下で群れ遊ぶ鹿の姿が愛らしい。蓋には若草山をあらわす稜線が描かれ、鳥居形のつまみに作り手の遊び心が集約されている。
コメント (1)
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