○丸善・丸の内本店ギャラリー 慶應義塾創立150年記念貴重書展示会『いま鮮やかに甦る明治~ボン浮世絵コレクション~』
http://www.maruzen.co.jp/Blog/Blog/maruzen02/P/1876.aspx
慶応義塾大学図書館が、毎年この時期に、丸善本店で行っている貴重書展示会。2006年の『論語の世界』、2007年の『義塾図書館を読む』に比べると、ちょっとテーマが小粒で、触指が動かない企画だったが、東京に出たついでに寄ってみた。見どころは、文明開化の時事・風俗を描いた浮世絵の数々。主題は内国勧業博覧会、鉄道開通、帝国憲法発布式など。いずれも、摺りの状態がきわめてよい美品である。
私が興味を持ったのは、東京海運橋に建てられた第一国立銀行(現在のみずほ銀行兜町支店)の図。瓦屋根の天守閣が屹立する五階建て。当初は「三井組ハウス」と呼ばれた。なるほど、望楼には「三井組」の旗がなびいている。海を進む船のようだ。参考までに、会場で見たものとよく似た構図の別作品にリンクを張っておこう。開化のランドマークとして、このほか、さまざまな浮世絵に描かれたようだが、明治31年(1898)に取り壊されてしまった。
同じく築地ホテルも、中央にそびえる高い塔(鐘楼らしい)が印象的な建築である。黒地に白い籠目模様のうろこ壁が美しい。現在の築地魚市場の入口付近に、慶応4年(1868)に開業、水洗トイレつき、ビリヤード室、シャワー室、バーも備えた最新鋭のホテルだったが、明治5年(1872)に焼失してしまったという。惜しい! 私は明治・大正の「擬似洋風建築」が好きで、ずいぶん見て歩いているつもりだったが、こうしてみると、最初期の洋風建築って残っていないんだなあ。
ひととおり会場を見て、最後のパネルで私は足を止めた。この浮世絵コレクションの収集者であるボン教授、私は全くの先入観で、明治の人かと思っていたら違うのである。時は第二次世界大戦終結後、アメリカ占領軍は、日本の民主化と学術振興のため、日本の大学に図書館学科を設立することを企てた。候補には、東京大学、京都大学、早稲田大学、慶應義塾大学等があがり、専門家たちの視察・検討の結果、慶応大学が最適と認められた。『福翁自伝』の英訳本に記された「独立自尊」の精神が決定打となったともいう(→嘘かほんとか、詳細は上記サイト)。
そして昭和26年(1951)4月、日本初の図書館学校が慶応大学に誕生し、アメリカから教員5名が派遣されてきた。授業はすべて英語で行われたという。へえ~。まるで、明治の官立学校のお雇い外国人教師の再現ではないか。皮肉な見方をすれば、図書館学の日本への移植は、他の諸芸に比べて70年遅れているということか。
ボン教授は、この図書館学校で、昭和29~30年、図書館経営論やレファレンスサービス論を講じた人物である。戦後でもまだ、こんなに状態のいい明治の浮世絵を入手することができたということに驚かされた。それと、福沢諭吉の影響力の絶大さ。先ごろ「Googleブック検索」の提携先として慶応大学図書館を選んだグーグル社の社員たちは、やっぱり『福翁自伝』を読んだんだろうか。気になる。
http://www.maruzen.co.jp/Blog/Blog/maruzen02/P/1876.aspx
慶応義塾大学図書館が、毎年この時期に、丸善本店で行っている貴重書展示会。2006年の『論語の世界』、2007年の『義塾図書館を読む』に比べると、ちょっとテーマが小粒で、触指が動かない企画だったが、東京に出たついでに寄ってみた。見どころは、文明開化の時事・風俗を描いた浮世絵の数々。主題は内国勧業博覧会、鉄道開通、帝国憲法発布式など。いずれも、摺りの状態がきわめてよい美品である。
私が興味を持ったのは、東京海運橋に建てられた第一国立銀行(現在のみずほ銀行兜町支店)の図。瓦屋根の天守閣が屹立する五階建て。当初は「三井組ハウス」と呼ばれた。なるほど、望楼には「三井組」の旗がなびいている。海を進む船のようだ。参考までに、会場で見たものとよく似た構図の別作品にリンクを張っておこう。開化のランドマークとして、このほか、さまざまな浮世絵に描かれたようだが、明治31年(1898)に取り壊されてしまった。
同じく築地ホテルも、中央にそびえる高い塔(鐘楼らしい)が印象的な建築である。黒地に白い籠目模様のうろこ壁が美しい。現在の築地魚市場の入口付近に、慶応4年(1868)に開業、水洗トイレつき、ビリヤード室、シャワー室、バーも備えた最新鋭のホテルだったが、明治5年(1872)に焼失してしまったという。惜しい! 私は明治・大正の「擬似洋風建築」が好きで、ずいぶん見て歩いているつもりだったが、こうしてみると、最初期の洋風建築って残っていないんだなあ。
ひととおり会場を見て、最後のパネルで私は足を止めた。この浮世絵コレクションの収集者であるボン教授、私は全くの先入観で、明治の人かと思っていたら違うのである。時は第二次世界大戦終結後、アメリカ占領軍は、日本の民主化と学術振興のため、日本の大学に図書館学科を設立することを企てた。候補には、東京大学、京都大学、早稲田大学、慶應義塾大学等があがり、専門家たちの視察・検討の結果、慶応大学が最適と認められた。『福翁自伝』の英訳本に記された「独立自尊」の精神が決定打となったともいう(→嘘かほんとか、詳細は上記サイト)。
そして昭和26年(1951)4月、日本初の図書館学校が慶応大学に誕生し、アメリカから教員5名が派遣されてきた。授業はすべて英語で行われたという。へえ~。まるで、明治の官立学校のお雇い外国人教師の再現ではないか。皮肉な見方をすれば、図書館学の日本への移植は、他の諸芸に比べて70年遅れているということか。
ボン教授は、この図書館学校で、昭和29~30年、図書館経営論やレファレンスサービス論を講じた人物である。戦後でもまだ、こんなに状態のいい明治の浮世絵を入手することができたということに驚かされた。それと、福沢諭吉の影響力の絶大さ。先ごろ「Googleブック検索」の提携先として慶応大学図書館を選んだグーグル社の社員たちは、やっぱり『福翁自伝』を読んだんだろうか。気になる。