見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

はみ出し者の世界/江南の発展(丸橋充拓)

2020-02-11 22:37:56 | 読んだもの(書籍)

〇丸橋充拓『江南の発展:南宋まで』(シリーズ中国の歴史 2)(岩波新書) 岩波書店 2020.1

 「シリーズ中国の歴史」第2巻も面白かった。新石器時代の長江流域の諸文化、稲作の始まりから書き起こし、最後は南宋の滅亡で終わるという、超絶遠大な射程にもかかわらず、まとまりがある。「江南」というひとつの文化圏が、長い歴史の中を脈々と生き続けている姿を見るように思った。そして江南は周辺の海域世界と、文化的にも経済的にも強いつながりを持っており、日本もその文化経済圏の一部であることを実感した。黄河流域の「古典中国」をイメージしながら、日本と中国が一衣帯水とか同文同種とか言われても、ちょっと首をかしげたくなるが、日本と江南世界には、まさにそういう関係が成り立つと思う。

 黄河流域と長江流域の南北関係史が本格的に幕を開けるのは、春秋戦国時代の楚、呉、越。特に楚は、中原王朝に対抗する勢力のシンボルと見なされるようになる。漢帝国の崩壊後、江南には孫呉政権が成立した。孫権は、海上を通じて遼東半島や朝鮮半島、さらに東南アジアからその先(ローマ帝国の商人も来朝)まで、視野の広い国際戦略を展開した。昨年の『三国志』展でも、そのような孫呉の姿が紹介されていた。そして、積極的な全方位外交は「江南立国の王道パターン」となる。

 中原が五胡十六国の混乱期を迎えると、江南には亡命政権の東晋が成立する。東晋南朝は、次第に統一王朝の再建をあきらめ、江南を中華の中心として、海域諸国に朝貢をよびかけ、新たな華夷秩序を創出しようとした。そうか、梁の元帝が編纂した『梁職貢図』には倭国使の図があるのか(ただし倭国は梁に朝貢していない)。西方の胡蜜檀国の使者が梁武帝を「日出処大国聖主」と呼んだ記述があるというのも気になるのでここにメモ。

 より重要なのは、日本の貴族たちが六朝貴族の典雅な世界に「心をわしづかみ」にされていたこと(この表現、とてもよい)。日本の「国風文化」と思われているもの、かなりのところは六朝貴族文化へのオマージュだと思う。

 前漢後期に台頭した豪族は、累代にわたって朝廷の高官を独占し、地域一円に影響力を広げ、南朝(六朝)の貴族へと成長していく。ただし彼らが西欧中世のような、自立した「領主」にならなかったことに著者は注意を促す。中国の「貴族」とは、上は国家権力に依存し、下は地域社会の輿論に支えられる「領主未満の中間層」なのである。このことは、終章で、なぜ中国は近代的な諸価値(議会制民主主義や法治主義)と不調和を起こすのか、という問いを考えるときに再び参照される。ここには「世襲的身分制の解体が戦国時代から始まった中国社会には、利害調整・合意形成の当事者となるべき法共同体(中間団体)が存在しなかった」という一文を引いておく。

 隋唐と江南について、特筆すべきは煬帝。煬帝の陵墓が2013年に発見されたことも初めて知った(私が2000年頃に見学した旧煬帝陵は誤りだったことになっているらしい)。唐太宗の王羲之偏愛も江南文化への憧れと言える。文化だけでなく、法制や礼制の面でも隋唐両朝は南朝の制度を取り入れた。

 唐滅亡後、五代十国の混乱を経て北宋が成立する。貴族の没落、科挙官僚の台頭、皇帝権の強化、私的土地所有を前提とした両税法の定着など「唐宋変革」と呼ばれる大変革が行われた。江南では塩湖対策など技術的発展に後押しされて農業生産が増大し、商品経済も大きく発展した。しかし金の軍事侵攻によって華北を失い、杭州を仮の首都とする南宋が成立する。

 金の朝廷の内紛もあり、有利な条件で和議を成立させた南宋は、名君・孝宗のもとで繁栄する。江南の開発は順調に進み、流通経済は活性化した。海外貿易の利益は貴重な収入源となり、海域諸国との間には、定期的に朝貢使節を送る「華夷秩序」が形成された。さらに金軍やモンゴル軍に対抗するため、強大な水軍(海軍)も編成された。正直、南宋がここまで積極的な対外政策を取っていたとは思わなかった。

 唐帝国の後半から宋代にかけて、著者はときどき日本の歴史を参照している。たとえば南宋の孝宗は平清盛や後白河院と同世代という具合。海を隔てた両国の同時代性が分かって大変よかった。人物では、南宋の孝宗を初めて認識した。同時代の金の世宗も名君だったというのが興味深い。王安石の新法の説明も詳しくて面白かった。「構成員による広く薄いコスト負担のもと、労働とそれに対する報酬をガラス張りにする」と聞いて、ものすごく現代的な発想だと思った。

 中国社会には、垂直的な一君万民の「国づくりの論理」に対し、水平的に人をつなぐ「幇(ほう)の関係」があるという整理には全く同意。そして東方や南方は「一君万民体制と相性の悪い人びと」の溜り場であったというのも、知っている歴史や文学作品を思い出すと、微笑みながら同意できる。

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出土品でたどる古代/出雲と大和(東京国立博物館)

2020-02-09 23:54:12 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 日本書紀成立1300年特別展『出雲と大和』(2020年1月15日~3月8日)

 2020年は「日本書紀」が編纂された養老4年(720)から1300年にあたる。まあそれはよいとして、本展の開催趣旨をあらためて読んでみたら、日本書記の国譲り神話において、出雲大社に鎮座するオオクニヌシは「幽」、天皇は大和の地において「顕」を司るとされていることにちなみ、「幽」と「顕」を象徴する出雲と大和、島根県と奈良県が東博と共同で展覧会を開催するのだという。なんだか、取ってつけたような開催理由だなと思った。むしろ日本書記より古事記のほうが、出雲とオオクニヌシに親和的なイメージがあるのだが、私の記憶違いだろうか?

 ともかく、上記のようなコンセプトなので、会場の冒頭には天理図書館所蔵の『日本書紀・乾元本』(鎌倉時代・巻子本)の該当箇所が広げてあった。このほか天理図書館からは『古事記・道果本』(南北朝時代)や『播磨国風土記』(平安時代・三条西家旧蔵本)も来ていて、さすがだった。

 はじめの会場は出雲を中心に。2000年に出雲大社境内で出土した『宇豆柱』と『心御柱』や巨大な出雲大社本殿の模型が来ていた。そのほか、出土品の勾玉、銅矛、須恵器もあったが、鎌倉時代の釘、室町時代の鎧、江戸時代の御簾などが混然としていて、ちょっと時代感覚が混乱した。

 次の部屋へ進むと、加茂岩倉遺跡出土の銅鐸、荒神谷遺跡出土の銅剣・銅矛・銅鐸などがびっしり並んでいて(数で圧倒される)ようやく「古代出雲」の空気に触れた気になる。両刃で中央に鎬(しのぎ)を持つ、細身で扁平な銅剣は、後世の日本刀とは異質な姿だが、中国古装ドラマではなじみの武器である。倚天剣を思い出しながら見ていた。

 後半は大和が中心。黒塚古墳から出土した三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面が全て来ていた。橿原考古学研究所附属博物館の特別展『黒塚古墳のすべて』で見たことを思い出し、さらにドラマ『鹿男あをによし』を思い出して、懐かしかった。三角縁神獣鏡は島根県でも出土していて、その1面は「景初三年」の年号を持つ舶載品であることから、卑弥呼に贈られた可能性が高いとされている。魏の宮廷では司馬懿が曹叡(明帝)に手を焼いていた頃だな、とまた中国ドラマを思い出したりする。

 大和地方の古墳は、それぞれ出土品に個性があって面白かった。石釧や車輪石など石製品の多い島の山古墳、巨大な野焼き焼成の埴輪を有する宮山古墳、準構造船部材(8メートルを超える大型船の一部)が出土した巣山古墳など。ヤマト王権は大陸との交流により、さまざまな文物や技術を導入した。

 五條市五條猫塚古墳出土の『蒙古鉢型眉庇付冑』(5世紀)には驚いた。ドラマ『三国機密』で使われていた冑にそっくり。ただし眉庇を付けたのは日本オリジナルだそうだ。石上神宮の七支刀、藤ノ木古墳出土の馬具などは、初めて見るものではないが、じっくり見ると新しい発見があった。藤ノ木古墳出土の『金銅装鞍金具』には、さまざまな動物や異形の怪物(鬼神?)が描かれているのだな。

 初めて存在を知ったのは、石上神宮で「日の御盾」と称されているという鉄盾2面。シンプルな長方形で、大人が身をかがめて後ろに隠れるに十分な大きさだ。全体に鉄鋲で補強されており、儀礼用ではなく実戦用に思える。これもよく中国ドラマで、盾を隙間なく組み合わせて、敵の飛び道具を避ける場面が出てくるヤツだ。

 最後は「仏の伝来と政(まつりごと)」と題し、大和・出雲の古仏が紹介されていた。島根からは鰐淵寺の観音菩薩立像2躯、萬福寺(大寺薬師)の四天王像など。記憶を掘り起こすと、島根県立石見美術館の『祈りの仏像-石見の地より-』や京博の特別展観『山陰の古刹・島根鰐淵寺の名宝』で見たものではあったが、再会できて嬉しかった。特に私は、生命感にあふれる萬福寺の四天王像(平安時代)が好き。大和からは、当麻寺の持国天立像が来ていた。悪そうな顔で、曹操のイメージである。石位寺の浮彫伝薬師三尊像は初めて見た。おにぎりみたいな三角形の石(やわらかそう)に倚像の薬師如来と立像の脇侍を刻む。屋内で保管されていたせいか、7-8世紀の作とは思えない明確な彫り。寺外で公開されるのは初めてだそうで、これを見るためだけでも、本展は行く価値がある。

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まだ地下にいる/映画・パラサイト 半地下の家族

2020-02-08 23:51:57 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇ボン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』(2019年)

 話題の映画を見てきた。なるべくネタバレは避けていたが、「怖い映画だ」という感想は聞いていたし、数種類あるポスターの一部には、横たわる死体(?)の足が映し込まれたデザインがあることも知った上で、不穏なストーリーを覚悟して見に行った。しかし怖かった。前半の、不可解で不合理だが、なんとか日常とつながった世界が、終盤で一気に崩壊して「別世界」に行ってしまう感じが怖かった。

 失業中のキム・ギテクと妻・息子・娘の四人家族は、半地下アパートに住み、わずかな内職収入をたよりに極貧生活をしていた。あるとき、息子ギウは、大学生の友人ミニョクから、自分が留学する間、パク家の家庭教師をつとめてくれないか、と頼まれる。学生証を偽造し、大学生になりすましたギウは、丘の上の豪邸に住むパク家を訪ね、若くて単純なパク夫人に気に入られ、女子高生ダヘの心もつかむ。

 パク家の幼い息子ダソンはインディアンごっこに夢中の悪戯っ子で、パク夫人を悩ませていた。絵の家庭教師を探していると聞いたギウは、知り合いの専門家を紹介すると言って、妹ギジョンを送り込む。さらにギジョンはパク氏の運転手として、父キム・ギテクを送り込む。こうして一家四人のうち三人が高収入の仕事を得ることに成功するが、唯一目障りなのは、長年パク家に仕えている家政婦だった。三人は計略をめぐらせ、ついに家政婦を追い出し、代わりにキム家の母チュンスクを送り込むことに成功する。

 パク家の四人がキャンプ旅行に出かけた晩、キム家の四人はパク家の豪邸で酒盛りをし、我が家のようにくつろいでいた。天候が悪化し、大雨の中、解雇された元の家政婦がインターホンに現れ「地下室の忘れ物をしたので取りにきた。入れてほしい」と哀願する。

 以下【ネタバレ】になるが、パク家の豪邸は、地下室のさらに下に隠し部屋(北朝鮮のミサイルに備えたシェルター)があり、そこに家政婦の夫が、借金取りから逃れて隠れ住んでいたのだ。はじめは低姿勢だった家政婦だが、キム家の四人がぐるであることに気づくと、パク家にばらすと騒いでキム家を追いつめ、キム家に代わって、パク家のリビングで堂々とくつろぐ。そこへ、大雨のため、予定を変更して帰宅するというパク夫人からの電話。進退窮まったキム家の四人は、力づくで家政婦とその夫を地下室へ押し込め、悪事の露見を回避する。チュンスクをパク家に残し、ずぶ濡れで我が家に戻ったギテクと子供たちは、半地下の家が屋根近くまで水に浸かり、家財の一切を失ったことを知る。

 翌日は天気も回復し、パク家の庭ではダソンの誕生日パーティが開かれることになった。招待に応じて集まっていくる上流人士たち。キム家の四人もその中に紛れていたが、ついに自力で地下室を脱出した家政婦の夫が刃物を持って現れ、復讐の惨劇が始まる。

 惨劇の直前、ギジョンはチュンスクのつくる料理を味見しながら「これを地下の二人にも持っていってあげよう」と話してたが、パク夫人が話に割り込んだため、実現しなかった。それから、鼻持ちならないエリートのパク社長は、キム・ギデクの「臭い」が我慢ならないと言いながら(これはギデクに聞かれてしまう)、別のところでは「一線を踏み越えない態度はとてもよい」と評価している。こうした好意が相手に伝わっていたら、惨劇は避けられたかもしれないのに、小さなボタンの掛け違えから、とてつもなく大きな不幸が起きるところに現実味があって、とても怖い。

 また、物語の序盤に、ギウが友人ミニョクから「富をもたらす」山水景石を貰うシーンがある。ここからキム家の幸運がスタートするのだが、惨劇の引きがねになるのもこの山水景石で、因果応報の昔話のような怖さもある。

 キム・ギテク役のソン・ガンホは、ひとつの役の中で、ユーモア、卑屈さ、狡猾さ、怒りなどの複雑な変化を表現している。映画『タクシー運転手』のときも思ったが、私の見た韓国映画(そんなに多くない)の八割方は彼の出演作品である。パク社長役のイ・ソンギュン(声がよい)、パク夫人役のチョ・ヨジュンは、本人に悪気はないが、庶民の反感を買うセレブ夫婦役にぴったり。

 結末では「実はまだ地下にいるのです」というつぶやきが胸に浮かんだ。つげ義春『李さん一家』の「実はまだ二階にいるのです」を思い出したのである(もう話の筋は忘れているにもかかわらず)。

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蘭州牛肉麺「思泊湖」@末広町

2020-02-03 22:21:35 | 食べたもの(銘菓・名産)

ずっと気になっていた神田末広町の「思泊湖」で蘭州牛肉麺を食べてきた。

麺はスタンダードな細麺にした。もちもち柔らかくて好み。ラー油は控えめ。パクチーは物足りなかったので、追加を頼んで正解だった。

このお店は、ほかにも牛肉焼きそばとか牛肉醤油煮込み麺とか、さまざまなメニューがある。中でも注目は陝西省のビャンビャン麺。まずは蘭州ラーメンにしたが、次回はビャンビャン麺を食べに行こう。マニアックなメニューにもかかわらず、気軽に入りやすい店構えなのもよかった。

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理事・副学長の回想/危機に立つ東大(石井洋二郎)

2020-02-02 21:21:07 | 読んだもの(書籍)

〇石井洋二郎『危機に立つ東大:入試制度改革をめぐる葛藤と迷走』(ちくま新書) 筑摩書房 2020.1

 東大の経営事情に特別な関心はないし、著者の名前も知らなかったが、たまたま貸してくれる人がいたので読んでみた。著者の専門はフランス文学で、東京大学大学院総合文化研究科(教養学部)に籍を置き、2015年から2019年まで五神真総長の下で理事・副学長をつとめた。

 本書には4つの大きなトピックが取り上げられている。その1は、濱田純一前総長の任期中に生じた「秋入学問題」。外国人留学生の受入れと東大生の留学を増やすため、大学の学事暦を国際標準に合わせようというものだ。著者によれば、この問題は30年以上前から政府の審議会等で議論されており、新しいアイディアではないという。東大では、2011年4月に秋入学検討のための懇談会が立ちあげられていたが、一般の教員は何も知らないまま、同年7月、新聞が「東大、秋入学へ」を報道するに至った。このニュースを見たことは覚えており、私はただの野次馬として、東大も思い切ったことをやるなあ、と感心したものだった。

 しかし、秋入学への移行だけで大学の国際化が進むわけではなく、合格から入学(授業開始)までのギャップタームのケアがなければ、学生は無駄に遊び暮らすのではないか等、著者が指摘する懸念はもっともである。最終的に秋入学構想は後退し、代わって「総合的教育改革」が議論されるようになった。

 以下は五神体制下で著者が理事・副学長として経験したトピックになる。その2、2015年6月のいわゆる「文系軽視」通知。これに対して著者は、文系/理系という二分法に疑問を呈し、科学知(自然科学・社会科学・人間科学)/人文知という学問分類を提唱している。

 その3「英語民間試験問題」について、2014年9月の有識者会議の報告書に始まる経緯を振り返る。ここで奇妙に感じられるのは、文科省以上に民間試験利用に積極的な(と見える)国立大学協会の動きである。東大は、2018年3月に入試担当理事が民間試験利用は「拙速」という表明をしたにもかかわらず、4月には、国立大学協会のガイドラインに従って民間試験を活用するという「方針転換」を発表する。本件は、本書の4つの事例の中で最も分かりにくかった。

 その4「国語記述式問題」。私は、このことについては政府の方針があまりに馬鹿馬鹿しくて、本気で情報収集し分析する気になれなかったが、2017-2018年に実施された記述式プレテストについて紅野謙介氏が『国語教育の危機』という著書で綿密な批判的分析を行っていることを知った。本書の「記述式」批判は、「人文知」を支える「言葉にたいする敬意」に基づく理念的なもので、共感はできるけれど、むしろ紅野先生の分析を読んでみたい。なお、その3とその4の問題が、昨年末、思わぬかたちの暫定的結論に至ったのは周知のとおりである。

 どの事例についても、著者の批判はたいへん真っ当だと思う。だが、著者が現状批判の鑑とする「あるべき大学(東大)の姿」が、私にはとても心もとない。「国の政策なのだから従うのが当然である」という諦念・思考停止を表明する人々が学内外(重要なのは学内)にいることに、著者は「驚かずにはいられなかった」というけれど、過去の大学はそうでなかったということ? そんな雰囲気はいつまであったのだろう?

 最後に著者は、大学の本来の使命は「思考を熟成させる静謐なゆとりの時間(スコレー)と、自由に言葉の飛び交う白熱した空間(フォーラム)を醸成し、可能な限り多くの人々に提供すること」だと述べている。東大の先生方、特に人文知にかかわる方々が、同様の理念を掲げ、実現に努力してこられたことを思い出す。一方で、年々貧しくなるこの国を、経済的に豊かにしなければ、医学や工学の金のかかる研究も、修学支援も実現できないことも明らかだ。稼げるタネがそこにあるなら、大学は、この国の未来のために稼がなければならないのだと思う。著者のいう「変わらぬ良識と矜持」「知的興奮と感動」だけでは、もはや学生を世に送り出し続けることはできないのではないか。

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意外な機能性/ひだ(文化学園服飾博物館)

2020-02-01 22:03:03 | 行ったもの(美術館・見仏)

文化学園服飾博物館 『ひだ-機能性とエレガンスー』(2019年12月20日~2020年2月14日)

 久しぶりに同館を訪ねた(日祝休館なので、なかなか行けていなかったのである)。本展は、世界各地の民族衣装やヨーロッパのドレスなど、ひだが作り出す機能性とエレガンスを紹介する。

 展示のはじめに「ひだの種類」の解説があって、ギャザー、シャーリング、スモッキング、プリーツ、タック、フリル、ドレープという名前が並んでいて、そうか、確かにあれもこれも「ひだ」だな、と妙に感心する。フリルとかプリーツとか、服飾的にはフェミニンなイメージで、自分が着るのは苦手に感じていたが、最初の展示室は「機能的なひだ」がテーマだった。

 華やかなイブニングドレスや可愛い民族衣装に混じって、男性用のデニムの上下を着せたマネキンがあって、え?どこにひだ?と思ったら、注目すべきはジャケットの袖付きの後ろ。アクションプリーツと呼ばれる折り込みによって、腕の動かしやすさを実現しているのだ。

 モンゴルのハラート(袍)は全体にゆったりと大きく、腰のあたりにタックを取って、スカート状の下衣をさらに広げている。馬の乗り降りがしやすいようにできているという説明に納得した。日本の袴(男性用・女性用)も韓国のチマ・チョゴリも、「動きやすさ」のためにひだを取り入れているのだな。

 中国の苗(ミャオ)族の女性の衣装、台湾のパイワン族の男性の衣装は、ひだの細かいプリーツスカートを用いていた。山岳地帯に暮らす民族は、険しい山道を歩くため、足や膝の動きを妨げないものを下半身にまとう。なるほど~。世界各地で男性がスカート(状のもの)を穿く理由が「機能性」にあることがやっと分かった。ギリシャのフスタネラという男性用民族衣装は、白のブラウスに白のミニプリーツスカート、紺のベストがとてもおしゃれだった。もっと日本でもスカートを穿く男性が増えればいいのに。たぶん見慣れてしまえば何ということもないと思う。

 昔の技術で細かいプリーツをどうやって作るのかは不思議だったが、板の上でひだを寄せながらしつけ糸で縫い、蒸して固定するそうだ。苗族のスカートは、卵白などを塗布してコーティングし、固く張りを持たせるという説明があった。

 続いて「寒い地域」「暑い地域」「昼夜の寒暖差が大きい地域(砂漠地帯など)」における、ひだの機能性。寒い地域では、暖かい空気を身体のまわりに溜めて逃がさないようにするために、ひだが用いられる。襟元や袖口は締めるのがポイント。布地の厚みも増すし、確かに暖かそうだと思った。一方、暑くて湿気のある地域では、ひだのある1枚布でゆるやかに身体を覆う。すると空気が通りやすく、入れ替えもしやすいのだそうだ。インドのサリーは、むかしシンガポール旅行でお土産に買って帰ったことがあるが、きれいなひだをつくって着るのは難しかったなあ。ドーティという腰布を巻き付けてパンツに見せるものも、不器用な私には穿ける気がしない。

 寒暖差の大きい地域では、空気を「溜める」「入れ替える」2つの機能を併せ持つ衣装が必要となる。布地をたっぷり使ったギャザーパンツが紹介されていたが、どうやって着る(穿く)のか、よく理解できなかった。

 もう1つの展示室は「魅せるひだ」。ひだを用いた衣装は、布をたくさん使うことで豊かさやステイタスをあらわす。男性の衣装としては、身体を大きく見せる効能もある。なるほど、日本の武士の正装である裃(特に肩衣)もそうだな、と思う。武家の女性用の火事頭巾が出ていて、ひだというより、丈の違う生地の重ね方が、ティアードスカートみたいで愛らしかった。

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