見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

深川八幡祭り2023

2023-08-14 14:04:05 | なごみ写真帖

 富岡八幡宮の例大祭「深川八幡祭り」、昨日8月13日は53基の神輿が繰り出す「各町神輿連合渡御」が行われた。本来、本祭りは3年に一度なのだが、新型コロナの影響で、6年ぶりの本祭りとなった。

 私は2017年の春に門前仲町に引っ越してきて、その年がちょうど本祭りだった。転勤の多い仕事をしていたので、3年後もまたこのお祭りが見られるといいなあと思っていたら、6年後にめぐり合うことになって感慨深い。

 昨日は早起きしようと思っていたのだが、目が覚めたのは7時過ぎだった。長い1日になると思って、しっかり朝食を食べていたら、花火の打ち上がる音がした。あとで調べたら、神輿の出発にあたり、富岡八幡宮の前で「砂蹴り」という安全祈願の行事があるそうだ。「花火の合図と同時に砂山を蹴り崩す」というから、その花火だったのではないかと思う。急いで外へ出る。

 門前仲町の交差点の東側は、警察の大型車両が、がっちりガードをつくっていた。国会前のデモ警備みたいで笑ってしまった。

 鳥居の前でお祓いを受けた神輿がどんどん出発していく。今年は八幡宮のお膝元である「宮元」(富岡一丁目)が一番くじを引き当てたとのこと。祭礼の期間、門前仲町の交差点の北東に安置されているのは、この宮元の神輿である。

 富岡二丁目のガソリンスタンド前での豪快なおもてなし。

 前回(6年前)は近隣の地理がよく分かっていなくて、このへんで引き返してしまったと思う。今では江東区の地理がだいぶ飲み込めたので、木場駅前を通過し、大門通りを北上して、ずっと着いて歩く。木場の交差点近くでは「木場柏太鼓」の皆さんがおもてなし。道中、あちこちでお囃子や和太鼓が聴けて楽しかった。

 もちろん、水掛けのおもてなしも途切れなく続く。多くの家庭が、ビニールプールや収納ケースやポリバケツなど、さまざまな道具を「水桶」にして待ち構えている。トラックの荷台をプールにしている運送会社さんもあった。

 神輿の列は、大門通りから、江戸資料館通り・清州橋通りを西行し、清州橋を渡る。大通りあり、細道あり。個人の感想だが、橋を渡る神輿はカッコいい。そして箱崎のインターチェンジが近づくあたりで、私はようやく地元「永代二丁目南」(五番くじ)の神輿に追いついた!

 神輿は新川エリアで昼休憩となるので、私もいったん家に帰って昼食とする(疲れていたので茅場町から1駅、地下鉄で戻った)。

 昼時に激しい雨が降ったが、午後の神輿巡行が始まる時間には、また太陽が顔を出した。午後は門前仲町の交差点の西側も車両通行止めである。還御する神輿の列とすれ違いながら、私は永代橋を渡る。永代橋の西詰の五差路は、左右から高く吹き上げる放水の見せ場。ホースを持つのは若手の消防士さんが多いように思う。

 ずぶ濡れで意気上がる神輿は「まわせ、まわせ」の掛け声で永代橋へ。そして、いよいよ八幡宮へのラストスパートということで、女性を前に出したり、担ぎ手が全員女性に交代する神輿もあった。

 佐賀一丁目でトラックの荷台上からの水掛けを見ていると、突然、激しい雨。私を含め、多くの見物人がガソリンスタンドの屋根の下に集まって雨宿り。雨に濡れながら、半ばやけくそで神輿に水を掛ける人たち。

 その後も雨は降ったり止んだりで、傘を差したりたたんだりしながら、富岡八幡宮の前まで戻ってきた。このお祭り、最後も水掛けで締めるのである。お疲れさまでした。

おまけ:前日は、永代二丁目南町会のみなさんが、小型の太鼓山車を引いて町内を巡回するのに出会った。

 太鼓の上には、カミシモ姿で釣り竿を持った男子が鎮座している。浦島太郎だろうか?

 永代二丁目南町会の半纏(はんてん)は無地の青緑色。渋くて好きだ。八の字の鳩マークを背中につけているのは総代。青と白の派手な市松模様を着ているのは、神輿巡行の際も、旗を持ったりして、目立つところを歩く人。

 ふだんは絶対歩かないような距離を歩きながら、あ~ここも同じ八幡さまを信奉するエリアか!という不思議な一体感を得た。3年に1回、一体感を確認するにはちょうどいい範囲だと思う。むかしながらの祭りが機能している地域に住むのは楽しい。

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恐れ知らずのロードムービー/中華ドラマ『歓顔』

2023-08-13 19:12:49 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『歓顔』全18集(企鵝影視、新自序影視制作、2023年)

 出演者に好きな俳優さんが多かったので、軽い気持ちで見たら面白かった。物語は、1930年の広東省の汕尾から始まる。青年・徐天の父親は南洋で事業に成功し、中国共産党を支援していた。徐天は父親の言いつけで、金塊(延べ棒)を指定された共産党員に届け、親の定めた婚約者に会って結婚するため、上海に向かおうとしていた。

 上海まで徐天を護衛することになったのは中年男の老孫。しかし汽車の中で盗賊団に襲われ、金塊は三本に割れ、徐天は婚約者の写真と手紙の入った財布を奪われる。福建省(閩西)の田舎町の質屋で財布は取り返したものの、逆に金塊を強奪されてしまう。老孫は旧知の仲の王鵬挙を訪ね、王鵬挙は、馬天放・胡蛮の二人を誘って夜半に質屋を襲撃する。しかし金塊は、心変わりした胡蛮に持ち去られてしまう。

 老孫と徐天がたどりついたのは、巨大な土楼。二人は、この一帯を治める兪家の筆頭人・兪亦秀に助力を請う。しかし兪亦秀が招集した一族の重鎮たちは、二人が質屋を襲撃し、兪家の面目を潰したことを非難する。そして徐天が目を離した隙に、老孫は撃ち殺されてしまう。老孫を殺害したのは兪亦秀だった。老孫は自分の命を差し出して兪家の面目を贖うとともに、金塊と徐天の無事を守ることを兪亦秀に託したのだった。

 金塊を持ち去った胡蛮は、江西省の都会で賭け事に興じていた。徐天は兪舟と名乗る男に出会う。滅法賭けに強い兪舟は、思いを寄せる女性の声を電話でひとこと聴くため、徐天に仲介を頼み、徐天に条件として示された金塊を胡蛮から取り戻す。一方、老孫との約束を守ろうとする兪亦秀は、自分の命を賭けて兪舟との勝負に挑み、敗れる。

 ようやく金塊を取り戻した徐天の前に現れたのは馬天放。馬天放の正体は国民党の工作員で、徐天が上海で金塊を渡すはずの共産党員を狙っていた。二人は汽車の中で揉み合いになり、負傷した徐天は浙江省の田舎町で医師の手当てを受ける。隙を見て逃げ出した徐天を助けてくれたのは、共産党シンパの医師・章加義とその妻の刀美蘭だった。

 ついに上海に到着した徐天。しかし婚約者の仰止は、すでに国民党の監視下にあった。安徽省から連れて来られた孤児の賈若蘭は、ずっと仰止に成りすまして徐天と文通するうち、いつか徐天に恋をしていた。賈若蘭に出会った徐天は、彼女が偽物であることを見抜く。徐天の愛を得られず、絶望して死を選ぶ賈若蘭。そして馬天放を追ってきた章加義と、武器オタクの商売人・陶涛の協力で、徐天は仰止を救出し、共産党員に金塊を渡して任務を終える。まずまずのハッピーエンド。

 この荒唐無稽な物語に不思議な魅力があるのは、登場人物たちに一定のリアリティがあるからだろう。いちおう主人公は共産党を支持し、敵方は国民党ということになっているが、そこはあまり重要ではない。主義や思想ほど尊いものでなくても、自分の欲しいもの、あるいは自分が大事だと思うもの、金、権力、愛情、家族、たまたま交わした約束など、何かのために全身全霊を賭ける人々が登場する。その「何か」の前では、自分の命も通俗的な善悪も意味がないので、彼らはどんどん殺し合い、死んでいくが、湿った感傷はない。中国の史書や伝奇に登場する「侠客」の生き方・死に方に通じるものがあるように思った。

 徐天はのんびりしたお坊ちゃんで登場するが、最後は立派な過激派に成長する。董子健、やっぱり巧い。私が好きだったのは、張魯一が演じた兪亦秀。くせもの揃いの登場人物の中でも、極めつけに理解しがたい変人なのだが、童子のような無邪気さが魅力だった(Far away!)。中国語タイトル「歓顔」は笑顔の意味らしいが、英語タイトル「Fearless Blood」(恐れ知らずの血)との合わせ技が洒落ている。

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昭和の子ども時代/いとしのレトロ玩具(弥生美術館)

2023-08-10 21:32:55 | 行ったもの(美術館・見仏)

弥生美術館 『いとしのレトロ玩具-もう逢えないと思ってた、がここにある-』(2023年7月1日~9月24日)

 本展は、20世紀日本の玩具界に訪れた大きな二つの変革(時代の精神・価値観といった文化的変革、テクノロジーの発達による変革)を軸に、遊び心と夢にあふれたレトロ玩具を紹介し、玩具史に今も燦然と輝く100年間のムーブメントを追う。

 かなり幅広い時代を扱っているので、世代によって「なつかしい」と感じる対象は異なると思うが、私の場合、まず、なつかしい記憶がよみがえったのはこれ。1960~70年代に販売されていた「〇〇やさん」シリーズ。正確には、増田屋(マスダヤ)の「社会科玩具シリーズ」というらしい。現実にある、あるいはありそうな、おしゃれなパッケージを再現した、ミニサイズの缶詰やジュースの瓶、砂糖やバターの箱などが大好きだった。

 上の「〇〇やさん」シリーズは、特別な機会におもちゃやさんで買ってもらうものだった。母方のおばあちゃんのうちに遊びに行くと、おもちゃやさんか本屋さんで、好きなものを買ってもらえた。

 それとは別に、私の生まれ育った町では、五の日が水天宮の縁日で、夏の時期は商店街に露店が並んだ。駄菓子や金魚、ヨーヨー、鈴虫やカブトムシを売るお店に混じって、セルロイドのままごと道具を売るお店もあった。1つ10円か20円くらいだったように思う。たとえば今日は3つまで買っていいと言われると、大きな皿か、鍋か、それともアイスクリームのカップか、じっくり考えて買ってもらった。そして、何も載っていない皿とコップで、飽きずにままごとあそびをしていたと思う。

 これは1969年発売の「ママレンジ」! 電気コンロ機能を備えており、付属のフライパンで、実際に小さなホットケーキを焼けるというのが売りだった。欲しくてたまらなかったが、母親には「ホットケーキなら台所のコンロで焼けばよい」と言われて、買ってもらえなかった。

 これは1967年発売の初代リカちゃんハウス。持っていた、なつかしいなあ。あと、1970年代初頭に登場した、ピンクの屋根で、左右に開くタイプのリカちゃんトリオハウスも持っていた。

 リカちゃん(1967年発売)を買ってもらったのがいくつのときだったかは覚えていないが、もっと幼い頃のお気に入り玩具は、ぬりえと紙製の着せ替え人形だった。この前後を貼り合わせるタイプの着せ替え人形、おばあちゃんに手伝ってもらって遊んだなあ。なつかしい。

 当たり前だが、子どもの頃は、自分の遊んでいる玩具に「レトロ」なんて冠称がつくとは、考えもしなかった。いまのおもちゃも、やがて懐かしがられるようになるのだろうな。

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2023年6-7月展覧会拾遺(その2)

2023-08-09 21:57:20 | 行ったもの(美術館・見仏)

静嘉堂文庫美術館 『サムライのおしゃれ-印籠・刀装具・風俗画-』(2023年6月17日〜7月30日)

 武家文化の日常生活の中で育まれたサムライの装身具である刀装具、印籠根付と併せて、おしゃれな人々を描いた近世初期風俗画なども展示する。『四条河原遊楽図屏風』と『鞨鼓催花・紅葉賀図密陀絵屏風』を見ることができて嬉しかったが、実は本筋以上に興味があったのは、静嘉堂で発見された「後藤象二郎が1868年に英国ビクトリア女王から拝領したサーベル」の初公開だった。

 1868年3月23日(慶応4年2月30日:旧暦)、駐日英国公使パークスは、京都御所に赴く途中で攘夷派の志士の襲撃を受けたが、護衛の後藤象二郎らに守られた(詳細は、外務省の「外交史料Q&A 幕末期」が参考になる。→こんなページがあるんだな!)。その後、英国ビクトリア女王から感謝のしるしとして贈られたのが、この『サーベル形儀仗刀』である。私は「サーベル」というものをほとんど知らなかったので、調べたら「騎兵が片手で扱えるように軽く、できるだけ長く作られた刀剣」だという(本件は総長95.7cm)。優雅な曲線を描く湾刀で、剣身の唐草模様、獅子を模した象牙の柄頭など、手の込んだ美術工芸品の趣きがある。関連の新聞記事によれば、長年行方不明だったが「書庫の整理中に発見された」というのに笑ってしまった。すごいな、静嘉堂文庫の「書庫」、まだまだお宝が隠れているのではないかしら。

 あと静嘉堂文庫が、原撫松の描いた『後藤象二郎像』(油彩画)を持っているのも初めて知った。まあ後藤の長女は岩崎彌之助に嫁いで、小彌太を産んだわけだから、後藤ゆかりの品が静嘉堂文庫にあることは、何も不思議ではないのだけれど。

三井記念美術館 越後屋開業350年記念特別展『三井高利と越後屋-三井家創業期の事業と文化-』(2023年6月28日~8月31日)

 三井越後屋が延宝元年(1673)に開店してから令和5年(2023)で350年を数えることを記念して、三井文庫と三井記念美術館が開催する特別展。展示資料のかなりの数が、三井文庫所蔵の文書資料なので、全体に地味な展示だが、歴史好きには楽しかった。

 創業期の事跡は、以前読んだ『三野村利左衛門と益田孝』の復習になった。三井の創業者と言われるのが三井高安、高安の長男が高俊、高俊の四男が高利と続く。この高利が三井の基礎を築いた傑物で「元祖」とも呼ばれる。ここまでは知っていたが、実は、高俊の妻で高利の母・殊法という女性が、優れた商売才覚の持ち主で、息子たちを立派な商人に育て上げたらしい。また高利の妻・かね(寿讃)も賢夫人であったという。文楽の世話物に出てくる、しっかりものの商家のおばあさんをイメージしていた。展示品では、ぶあつい帳簿や証文、法度集に混じって、高利愛用の足袋・足袋沓(防寒用のもこもこのスリッパみたい)・手袋なども出ていておもしろかった。

 創業期の人々は節約を重んじたが、次第に大店にふさわしい趣味を楽しむ余裕が生まれる。三井各家が収集した茶道具、大井戸茶碗、赤楽茶碗、青磁茶碗なども展示されていた。

 私が、おお~とのめり込むように眺めたのは『大元方勘定目録』(木箱入りの大部な資料)や『宗竺遺書』(和綴じ冊子、三井高平が定めた同苗結束の家法)である。ここで定められた組織のありかたが、近世における三井の繁栄を生み出したわけだが、次の時代(近代)に適応するには、根本から組織改革に取り組まなければならなかった。それを成し遂げたのが、三野村利左衛門と益田孝だと私は理解している。

 また、三井の人々が、恵比寿・大黒という福の神や、伊勢神宮を信仰していたのはよく分かるが、向島の三囲神社を信仰し、三越本店や支店では神社の分霊を祀っていることは知らなかった(三囲≒三井の縁らしい)。三囲神社の一角には、三井11家の当主夫妻の霊(ただし没後100年を経たものだけ)を祀る顕名霊社もあるそうだ。機会があったら、訪ねてみたい。

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2023年6-7月展覧会拾遺

2023-08-07 20:30:04 | 行ったもの(美術館・見仏)

 気がついたら、たくさん書き落としていたので、覚えているものだけでも。

東京ステーションギャラリー 『大阪の日本画』(2023年4月15日~6月11日)

 3月に大阪で見た展覧会だが、また見てきた。再会した作品もあり、初めて見る作品もあった。冒頭には北野恒富が後期だけで9作品来ていて圧倒的だった。悪魔的で妖艶な女性もあり、清純な乙女もあり。四天王寺の聖霊会や浪速天神祭など、大阪の風俗を描いた菅楯彦、生田花朝の作品も、東京で眺めると、エキゾチックな旅情を掻き立てられる。

鎌倉国宝館 特別展『仏画入門-はじめまして!仏教絵画鑑賞-』(2023年5月13日~7月2日)

 おなじみの作品ばかりだろうと思って行ったら、そうでもなかった。「密教系」「禅宗系」「浄土教」などのカテゴリーに分け、絵画は約30件を展示。建長寺の絹本著色『水月観音像』(南宋~元時代)はウェディングドレスのような純白の衣に青い髪をなびかせる。見た記憶はあるが(宝物風入れ?)珍しかった。円覚寺の『五百羅漢図』(元時代)は仏画を掛けて供養する場面のようだった。みんな品のいいおじいちゃんで、恐ろしい異形の羅漢は見当たらなかった。光明寺の『阿弥陀二十五菩薩来迎図』(鎌倉時代)は、豊頬・赤い唇の母性的な阿弥陀さま。画面のところどころに、ピンクや水色などのパステルカラーが使われていて、雰囲気がやわらかい。

上野の森美術館 特別展『恐竜図鑑 失われた世界の想像/創造』(2023年5月31日~7月22日)

  恐竜を描いた絵画を集めた異色の展覧会。私の子ども時代、二本足の肉食恐竜は背筋を伸ばして立っていたが、1990年代には前傾姿勢が一般的になった。本展には、さらに古い時代、19世紀に描かれた、どこか神話的な恐竜の復元図も展示されていた。海外には、古生物を科学的に復元する芸術「パレオアート」の長い伝統があるようだ。そして福井の恐竜博物館からの出陳が多いことも印象に残った。同館、恐竜の化石や骨格だけではなく、恐竜絵画や恐竜模型も多数コレクションしているらしい。行ってみたい!

東京国立美術館・本館 特別1室・3室 特集『儒教の美術-湯島聖堂由来の絵画・工芸を中心にして』(2023年6月27日~8月6日)

 湯島聖堂由来の儀式道具や美術作品を展示。注目は狩野山雪筆『歴聖大儒像』で、明治以来、15幅が東博、6幅が筑波大学に分蔵されてきた。今回は、明治以来、初めての21幅展示となる。ちなみに筑波大学分は附属図書館の所蔵で、昨年、修復完成記念の展示会が開催されていたが、見に行けなかったので嬉しい。「歴聖」には神農・伏羲や堯舜の像もあった。関連で、鎌倉時代や室町時代に日本で制作された絵画『孔子像』が展示されていたのも珍しかった。

ちひろ美術館・東京 『没後50年 初山滋展 見果てぬ夢』(2023年3月18日~6月18日)

 没後50年の初山滋(1897-1973)を回顧する展覧会。大正時代、雑誌「コドモノクニ」に集まった画家たちによって「童画」という言葉が生まれ、初山は「日本童画家協会」の結成に加わる。展示作品で私の記憶に残っていたのは『ききみみずきん』(「うりこひめとあまんじゃく」も所収)。同館の図書室には関連展示で『おそばのくきはなぜあかい』(「おししのくびはなぜあかい」「うみのみずはなぜからい」も所収)も展示されていて、半世紀ぶりくらいに読みふけってしまった。こういう良質の童話・動画を家に置いてくれた母親には深く感謝そている。同館へは初訪問。いわさきちひろさんの自宅兼アトリエ跡に建てた美術館で、大人も子供も気軽に来ていて、居心地のいい雰囲気だった。

神奈川県立近代文学館 企画展『本の芸術家・武井武雄展』(2023年6月3日~7月23日)

 武井武雄(1894-1983)と言えば、私には子供の頃に読んだ絵本や童話の挿絵画家である。一番好きだったのは『九月姫とウグイス』だ。その武井が、童画・版画の創作と並行して取り組んだのが「真に芸術的な本」の創造だった。詞文、画、印刷技法、素材の調和を追究した画文集「武井武雄刊本作品」(ミニサイズの本が多い)を約半世紀にわたり139作品製作し、「親類」と呼ばれる限られた会員にのみ頒布された。初めて知ることばかりでびっくりしたが、岡谷のイルフ童画館、一度行ってみたい。

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夏のお楽しみ/怪談物のつくりかた(伝統芸能情報館)

2023-08-06 20:15:28 | 行ったもの(美術館・見仏)

伝統芸能情報館 企画展『怪談物のつくりかた-役者の芸と仕掛けの世界-』(2023年4月22日~8月20日)

 観客席からは知りえない怪談物のつくりかたの一端を、多様な資料を用いて紹介する。国立劇場の裏にある同館で、4月からこんな展示が行われていたとは知らなかった。ちょうど『長谷寺の声明』を聴きに行く機会があったので、開演前に覗いてきた。

 いきなり冒頭で出迎えてくれるのは、天竺徳兵衛ものの歌舞伎に登場する蝦蟇の縫いぐるみ。むかしから錦絵や読本の挿絵で気になっていた作品で、現代の公演記録写真を見ても楽しそう。これは一度、舞台を見ておくべきかな…。

 文楽『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)』に登場する妖狐ちゃん。ふかふかした九尾のシッポが重たそうである。勘十郎さんが遣っている写真が添えられていた。

 玉藻前のかしら。女性の顔からキツネの顔に一瞬で変わるもの。もう1種類、女性の顔を、キツネの顔を描いた幕で隠すタイプもあり、どちらも舞台(2015年、国立文楽劇場)で見た記憶がよみがえった。

 これは化け猫の手で、抱き枕くらいの大きさ。歌舞伎『梅初春五十三駅』で使うのだそうだ。舞台は見たことがないが、錦絵には記憶がある。にゃ~。

 このほか、怪談物の名作『東海道四谷怪談』の「仏壇返し」の大道具模型や舞台模型もあった。怪談といえば夏が本番のようだが、『東海道四谷怪談』のクライマックス「蛇山庵室の場」は雪の積もった冬に設定されている。

 展示は10分くらいで見ることができるが、シアタースペースでは、怪談物ばかり6作品の抜粋映像を流しているので、興味があれば、少し時間をとって訪ねてもよいと思う。入場無料。受付の警備員さんがフレンドリーで気持ちのいい施設。

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観音の大慈大悲/声明公演・長谷寺の声明(国立劇場)

2023-08-05 23:42:35 | 行ったもの2(講演・公演)

国立劇場 第62回声明公演『真言宗豊山派総本山 長谷寺の声明』(2023年8月5日、14:00~)

 長谷寺には何度か行ったことがあるが、これまで声明を聴く機会はなかったので、どんなものか分からないまま聴きに行った。今回のプログラム「二箇法用付大般若転読会(にかほうようつき だいはんにゃてんどくえ)」は、大般若経の転読と二箇法用(唄・散華)を中心とし、豊山派各寺院で、新春祈願などを主として様々な祈願に対応する法会として修されているそうだ。

 幕が上がると、中央には十一面観音の半身を描いた巨大な画幅。現在の本堂ご本尊が、天文7年(1538)に再興されたときに設計図として描かれた、等身大の「お身影(おみえ)」だという。説明してくれたのは、長谷寺・迦陵頻伽聲明研究会の川城孝道氏で、長谷寺の歴史・豊山声明・国立劇場の声明公演の回顧などをお話された。本公演のプログラム冊子には、第1回(昭和41/1966年)から今日まで、全62回の声明公演一覧が掲載されている。記念すべき第1回は、天台宗と真言宗の僧侶たちが協力して実現したもので、真言宗豊山派からは、まさに今回と同じ「二箇法用付大般若転読会」が公開された。法会を舞台上で観客の目にさらすことには、戸惑いもあったようだが、豊山派の青木融光師は、本堂にも劇場にも仏様はいらっしゃる、劇場では観客こそが仏様、とおっしゃっていたそうだ。

 以後、天台・真言の僧侶の交流による声明の研究が進み、国内外の作曲家や他の芸能とのコラボレーション、海外への発信も行われるようになった。プログラム冊子の記述で驚いたのは、中学校の音楽科教科書に東大寺修二会の「観音宝号」(南無観のこと?)が取り上げられたという話。へえ、私の時代は、中学高校の音楽で日本の伝統音楽に触れたことはなかったなあ。

 お話が終わって、あらためて法会の幕が開く。舞台の中央には、観客に正対する導師の壇。この三方を囲むように緋毛氈が敷かれ、大般若経らしい秩が置かれている。舞台奥には、出入り用の中央を空けて左右に7席ずつ。上手側に7席、下手側に8席。導師を含めて30人の僧侶が上堂して着座した。いずれもオレンジ色の袈裟をつけ、衣は黄・緑・紫で、とても華やか。はじめは、梵語の讃、云何唄(うんがばい、漢語の声明)、散華など、重々しく進むので、ちょっとウトウトした。

 それから導師の表白(漢文読み下し調、法会の趣旨などを述べる)があり、おもむろに大般若転読が始まる。長谷寺の転読は初めて見たが、薬師寺などと同じ方式で、黄色い紙の経典をさらさらと滝のように翻す様子がきれいだった。

 楽器はあまり用いないが、摺り合わせて鳴らすシンバルみたいな楽器と、ボーンと鈍い音を出す小さな銅鑼のような打楽器(あわせて鐃鈸/にょうはつ、と呼ぶ?)が、ときどき使われていた。二人組の承仕(小坊主)が黒子のように出入りして、必要なものを届けたり、片付けたりする。いつも顔の高さで合掌し、きびきび動く姿が微笑ましかった。

 転読のあとは「九條錫杖経」という、錫杖の功徳を説いた経典を全員で唱える。毎朝の勤行でも唱えるのだそうだ。4文字句を繰り返すところの多いリズミカルなお経で、承仕の一人が太鼓(釣太鼓)を力強く叩いて拍子をとっていた。特に「大慈大悲(だーいじだいひ)、一切衆生」というフレーズが耳に残ったが、プログラムの解説でも、これが長谷寺の声明の核心であることが述べられていた。

 個人的に驚いたことを2つ書き留めておく。今回、舞台で使用した大般若経は、江戸川区小岩の善養寺が所蔵する鉄眼版で、天明の浅間山大噴火の際、江戸川下流にも多くの死者が流れつき、その供養のために小岩・市川の人々が寄進したものという。私は小岩の生まれで、善養寺を遊び場として育った(善養寺のご住職にも可愛がってもらった)ので、浅間山噴火の犠牲者供養碑が境内にあったとことは覚えているが、鉄眼版の一切経があったとは知らなかった。もう1つは、声明公演で新作を手掛けた作曲家の中に近藤譲先生のお名前があったこと。母校の先生で、お世話になったことがあるのだ。

 今年10月から建て替えのため閉場する国立劇場。9月に小劇場の文楽公演は見に行く予定だが、たぶん大劇場はこれが最後だと思って名残を惜しんできた。ロビーに飾られている絵画や彫刻、どこかで預かって公開してくれないだろうか。

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水道橋でワインと和食ディナー

2023-08-04 20:31:29 | 食べたもの(銘菓・名産)

美味しいお店に詳しい友人の誘いで、水道橋駅前の「ワイン処Oasi(オアジ)」へ。ふだんはワインとピザのお店なのだが、平日ランチは和食で、この日は季節ごとに開催される恒例イベント、本格和会席コースのディナーだった。前菜から甘味まで全8品、どれも目に美しく、やさしい味で大満足。

鱧の湯引き、冬瓜、素麺、柚子。

豚バラ肉のたれ焼き、叩き長芋、酢取蓮根。

帆立真丈と無花果と満願寺唐辛子の煮おろし。

とうもろこし御飯釜炊きに鮭、赤出汁、漬物。

とうもろこしご飯、美味しかったのでやってみようかと思っているけど、うちの電気釜じゃ再現できないんだろうなあ…。

たまには時間とお金をかけて、ちゃんとした食事をする幸せ。大げさでなく、人間性が回復する感じがする。ごちそうさまでした。

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黒白無常の誕生の謎/中国の死神(大谷亨)

2023-08-01 22:37:58 | 読んだもの(書籍)

〇大谷亨『中国の死神』 青弓社 2023.7

 ツイッター(旧称)で「無常くん」を名乗る著者のアカウントをフォローしたのはずいぶん前のことだ。本書は、無常という名の中国の死神について論じたもので、著者が東北大学に提出して博士号(学術)を取得した博士論文を下敷きにしている。だから、当然「学術書」のカテゴリーに入るのだが、文体はやわらかめで読みやすく(「ビビビッときた」「ブサカワ」など)、図像満載(多くは著者が撮影したカラー写真)、さらに著者手書きのカラー無常MAPあり、ソフトカバーでお値段抑えめなのもうれしい。

 無常は白無常と黒無常がペアになる形態が最もオーソドックスである。ともに高帽子を被り、白無常は長い舌を垂らし、傘や扇子(団扇型の)を持ち、首に元宝(むかしのお金)をつないだものを掛ける。黒無常は鎖を持つ。

 中国では、伝統的に人を冥界に連れ去る存在として、お役人風の「勾魂使者」が考えられてきた。それが18世紀・清朝乾隆期に高帽子を被った無常(白無常)が登場する。著者は、「山魈(さんしょう)」と呼ばれるバケモノの影響(イメージの混淆)があったのではないかと考える。うーん、この部分はあまり納得できない。古いバケモノである山魈との混淆が、なぜ清朝中期にいきなり起きたのかがよく分からない。それはそれとして、本書に掲載されている『点石斎画報』の巨大な山魈の図、そのまま諸星大二郎のマンガの一場面のようだ。また、中国語wikiで山魈を調べたら『閱微草堂筆記』の用例が出てきた。紀昀先生、福建で山魈らしきバケモノに遇っているみたい。

 初期の無常はソロで描かれていたが、やがて黒白無常のペアが誕生する。清末~民国期に刊行された『点石斎画報』には、しばしば両手を前方に伸ばしたバンザイ黒無常が描かれている。著者はここから、人の魂を奪うバケモノだった「摸壁鬼」が、無常(白無常)の影響を受けて、黒無常に変化したと考える。これは納得。迎神賽会のパレードなどで披露される「摸壁鬼舞踏」の写真も掲載されていて興味深い。なお、さらなる変化形として、福建系の黒白無常では、ノッポの白無常とチビの黒無常(ブサカワ型)のペアを見ることができる。これはもう、本書掲載の写真を見て楽しんでいただくのが一番よい。

 私が「黒白無常」の存在を確実に意識したのは、2018年に見た『遠大前程』という中国ドラマで、「上海十三太保」と呼ばれる十三人の武侠高手の中に、黒白無常を名乗る二人組の殺し屋が描かれていた。最近見た『飛狐外伝』(舞台は乾隆時代)にも、チンピラが黒白無常を装って主人公たちを脅かそうとする場面があった。歴史的には新しい死神なので、民国・清朝より前に登場させると時代錯誤感があるのだろうな。

 私が個人的に気になるのは、無常の高帽子がどこから来たのかである。日本だと長烏帽子に当たるだろうか(最初に浮かんだのは加藤清正の長烏帽子形兜)。ネットで『豊国祭礼図』などの画像を探して眺めると、異形の風体として、高く尖った帽子を被った人物がときどき登場する。中国では、いつ、だれが、あんな帽子を被ったのだろう。何の根拠もないのだが、海外(西洋)の影響を受けてはいないのかな…丸谷才一さんの、阿国歌舞伎がイエズス会演劇の影響を受けたのではないかという仮説を思い出したりしている。あと、白無常の持ちもの、傘も気になるねえ。四天王が傘を持っていることもあるが。

 本編の間に挟まれた「無常珍道中」(旅ルポ)の章段も楽しい。多少、中国の田舎を知っていると、あるある~とうなずきながら笑える。著者が「地獄のゼリービーンズ」と呼んでいる、ベタッとした極彩色に塗り分けられたレリーフ画、私が見た雲崗石窟のいくつかの壁面もこんな感じだった。山東省の廟会の露店のカラーヒヨコ、すさまじい極彩色だが、私が子供の頃(昭和の日本)にもこういうお店が出ていたことを思い出して、なつかしかった。

 白無常・黒無常には、謝必安・范無救という名前があるのだな。謝必安といえば、ドラマ『慶余年』に出てきていた! 台湾では二人あわせて「謝范将軍」「七爺八爺」と呼ぶそうだ。いま見ている中国ドラマにも「七爺」と呼ばれる極悪人が登場するのだが、中国系の人たちの頭の中には無常のイメージが去来するんだろうか。次回、中華圏あるいは国内の中華系の廟に行く機会があったら、黒白無常を探してみよう!

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