御坂峠への旧道を上るとトンネルの手前に1軒の茶屋がある。
その茶屋が天下茶屋である。 建築されたのは、昭和9年の秋。木造二階建で、八畳間が三間あって、富士見茶屋、天下一茶屋などと呼ばれていた。 『天下茶屋』と呼ばれるようになったのは、徳富 蘇峰が新聞に紹介した記事がきっかけとなったようです。
太宰 治が、滞在した天下茶屋から三代目にあたるこの建物は、昭和58年4月1日に開店されました。 二階の、富士山と河口湖を一望できる六畳間に、ささやかながら記念館を設置されたとの事であります。
一般にあるような記念館とは違い、太宰 治のすべてを知り得るようなものではなく、太宰 治が滞在した部屋を復元し、当時使用した「机」や「火鉢」などを置いて、太宰 治を偲んで頂きたいとの趣旨のようです。
特に床柱は、初代の天下茶屋のものをそのまま使用したものだそうです。
作品『富嶽百景』から抜粋
甲府市からバスにゆられて1時間。御坂峠へたどりつく。
御坂峠、この峯の頂上に、天下茶屋という、小さい茶店があって、井伏 鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもって仕事をして居られる。
私は、それを知ってここへ来た。
ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞえられているそうであるが、私は、あまり好かなかった。
まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割(かきわり)だ。
どうにも註文(ちゅうもん)どおりの景色で、私は恥ずかしくてならなかった。
3,778メートルの富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。
富士には、月見草がよく似合う。
太宰 治が、はじめて天下茶屋を訪れたのは、昭和13年9月13日との事です。 それまでの生活に区切りをつけ、思いをあらたにする覚悟での、天下茶屋滞在であった。
11月15日までの三か月余りを、2階の一室で過ごし、ここでの生活は作家としての意欲に燃え、大きな転機となったようです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます