行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

S氏の霊前に立ち

2007年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

私の仕事の大先輩である、S氏が夕べ亡くなった。冥福を祈りたい。

遅くなって訃報が入り、雪の中を駆けつけた。長い闘病生活を送られたが、安らかなお顔だった。不安だったろうに、思い残すこともあったろうに…しかし、我々に「しっかりやれ!」と、いつもの優しい顔を見せてくれているのだと思う。S氏の生前功績に深く敬意を表するとともに、実際仕事を引き継いでいるから、遺志に添えるよう今後も精進を約束したい。

人に与えられた時間は、時に不公平がある。何度もそんな思いをした。私だけでないはずである。しかし、「時の流れ」ほど絶え間なく、正確に、世界中の生きとし生けるものの前に、公平に与えられたものはない。

私は、ここ数年、それを意識している。「時は金なり、1分1秒無駄にするな!」などと、強欲かつ利己的な考えではない。人間誰でもいつか死ぬ。死ぬときに、安らかに自らの生涯を振り返り、満足できるかどうかである。時間の長短ではない!

目標を持つことかな?まだぼんやりとしているけど…。自分の好きなことをして、それを極めるよう努力し、いつか人や世の中のため少しでも役立つなら最高?(役に立つなども大それた話であるが…)終わりがいつくるか分からない中にも、普段の生活の中でも、一定時間の中で、どれだけ自分の力や思いを出せただろうか?それは目標に近づけるものだったのか?輝く人も、輝かない人も同じ時間の中で生きていくのである。(ちょっと、坊さんの説法みたいになってる?)

「いい顔してるぞ」と、仏様の傍にいた北取締役が言う。私は「人生どうでしたか?」と尋ねてみるが、故人のその思いはなかなか分からない。ただ、自分自身を問う機会を与えてくれるお顔だった。

コメント
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