プロ野球も始まっていましたか?とか言って、中日・横浜戦、日曜日に少しはチャンネルを合わせたのだが、0-6ではねー。横浜、3連敗と予定通りのスタートである。
横浜ベイスターズ第2弾。大好きだった外国人選手に触れてみたい。ジョー(正確には「ジョン」なのだが…)・ホワイト・シピン。そう、もみあげから鼻の下までヒゲで覆われ、長髪のボサボサ髪がヘルメットから大きくはみ出ていた「ライオン丸」のことだ。
その風貌とともに、来日の際はバットではなく釣り竿を抱えて降り立ったとか、ヒッピー風のスタイルで現れたりと、やたら問題児的な行動が話題を呼んだが、グランドに立つとヒットメーカーであり、長距離砲であり、セカンドで素晴らしいプレーを見せる。不良っぽいのに、「やるときにはやる」といったスタイルが、実にかっこよく見えた。
大リーグ経験は来日前に僅かばかり。前回紹介の松原同様、日本でもタイトルに恵まれなかったのは不思議なのだが、それまでない攻走守3拍子揃った外国人選手として、多くのファンがいたはず。
肩が強く、捕球後至近距離からファースト松原に豪速球を投げ、松原がミット外しながら手を振って痛さを和らげるというシーンは有名で、投手力に泣く大洋ホエールズは、ピッチャー転向を本気で考えたとか…。なんか、かこいいでしょ?彼が私の大洋(横浜)ファンを確固たるものにしたんですよ。
油ののりきった時にジャイアンツの横取りされ、自慢の長い髪とヒゲをバッサリ落とし、そりゃもう優等生に変身!ファンは「どうした?シピン」との声を挙げるが、これがかなりのフラストレーションになったのか、むしろジャイアンツ時代に投手に殴りかかるなど、乱闘事件を起こしている。移籍後、膝のケガに泣いて、3年目でしたかねー、帰国することになった。
以後、ミヤーン、ポンセ、パチョレック、ローズと、横浜の外国人は職人肌が多く、日本球界でも活躍。外国人の脱大砲、新しいスタイルを確立していく。
蛇足だが、私が所属した草野球チームのユニホームは、初代横浜ホエールズのホームモデル。もちろん背番号は11。しかし、シピンはこのユニホームに袖を通したことはない。