ついに佐渡の金銀山が世界遺産候補に!という話題でも書き込もうと思ったのだが、報道などではどうもしっくりこない解説がされている。
20年来の佐渡の世界遺産登録の活動は、文化庁の諮問において、文化審議会で審議が行われていたが、年末に「推薦が適当な候補に選定」という答申をした。これまでのケースでは、この答申があれば「推薦決定」という流れがあった。
しかし、政府は「推薦は決定ではなく、今後総合的に判断していく」と前例を無視した形で、異例の注釈をつけて決定を先延ばしにしたものだから、そりゃ地元は困惑しているし、佐渡ファンの私も不満を持っての書き込みだ。
ご承知のとおり、佐渡金山の歴史の中で戦時中の僅かな期間において朝鮮半島出身者が強制労働を強いられていたと韓国側の主張で、韓国外務省は推薦候補の撤回を求めるとともに、ユネスコにも抗議をしているという。
日本の立場からすると、強制的ではなく「募集に応じて自発的に佐渡に来たものだ」としているのだが、どちらの主張が正しいかということは定かではないし、そこが議論の焦点になるのは何とも寂しいような気がしている。
江戸幕府開びゃく以来、平成元年(1989年)までの間、佐渡の金銀山は400年近く幕府や、明治期から昭和にかけて官民挙げて、様々な手法により鉱山開発がされ、時代時代に幕府や国、そして佐渡においては経済だけでなく生活・文化にも大きな影響を与えてきた。
世界遺産に登録されるとなると、観光で成り立っている佐渡には朗報。今の生活が懸かっているだけに佐渡市だけでなく新潟県、そして国や県、市の議会なども巻き込んで、推薦・選定を国に要望していることは言うまでもない。
しかし登録には、「遺産」という文化的・伝統的・歴史的な価値や、難しい言葉であるが「普遍的価値」として時代を超え、時代が流れていったとしても、継承保存していかなければならないものとされている。
単に観光資源としてではなく、様々な困難や負の遺産たるものを含めて歴史がつくられたことを考えると、実は佐渡そのものが流人の島としてだけでなく、揺れ動く時代時代の政権抗争の中で高貴な人が島流しにあって、高い文化、独特の風土が形成されてきたことを見逃してはならない。
そんな佐渡島の普遍的価値こそ「遺産」に値するというのは飛躍し過ぎかもしれない。だた、日本政府も韓国政府も、広くその普遍的価値という部分を議論し、折り合いをつけていただくことを願いたい。
いつまでも過去のことを大声で批判しつづけたり、気を使うばかりに国際的、政治的な駆け引きに使うことだけはしてほしくない。過去に登録の世界遺産を考えても、長い歴史の中で揺れ動きながら登録されたものも多いはずだ。
こんなことを語るとは自分でも思ってもみなかったが、佐渡ファンと言いながら「金山」関連の写真は意外に少なく、この記事への掲載も苦労した。普遍的な価値を認めていないのは自分もそうなのかもしれない。ごめんなさい。
(金山関連の写真の少なさに気が付き、上段は佐渡汽船ターミナルのポスターを使用。中段の2枚は相川金山の坑道、下段は関連施設の北沢浮遊選鉱場跡と大間港跡の写真をやっとこさ見つけた。)