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楢下宿の魅力、文化財の街並みと文化財級の人材も

2024年10月28日 | 旅行記・まち歩き


山形・置賜地方での滞在が長くなっているがもう少しだけお付き合いいただきたい。
最初に断ったとおり、山形県の地域区分によると、上山は「置賜」ではなく「村山」に地域区分されるのだが、置賜地域の石橋群を追いかけていると、南陽から上山に足を踏み入れてしまっていた。まあ、お隣ですからね。
先に紹介していたが、金山川に架かる新橋、覗橋があるところは楢下宿(ならげしゅく)。江戸時代、羽州街道の宿場町で、江戸方向からすると金山峠を越えて本陣を置く楢下宿は結構規模も大きく、今でも魅力的な風情を醸し出している。
宿場内の街道は、「コ」の字型に曲がるという特殊な形状をしていて(写真下:パンフの地図)、金山川を新橋、覗橋で二回渡る(写真上:宿場内の金山川と新橋、写真下:覗橋から山田屋を望む)。金山峠は仙台藩との国境で、楢下には上山藩の口止め番所(関所)が設けられており最前線の要害宿場ということからなのであろうか?



楢下宿は、江戸期の参勤交代で東北13藩が立ち寄る主要な宿場だった。出羽三山詣での行者や各藩の家中、商人も数多く宿泊したとの記録があるそうだ。最盛期には23軒の旅籠や民家も70戸ほど立ち並んでいた。
現在も200年以上の時間を超えて数件の古民家が保存(一部移築)されており、室内も公開されている。脇本陣だった滝沢屋をはじめ、庄内屋(写真下:外観)、大黒屋(写真下:内観)、山田屋、旧武田家などの古民家がタイムスリップを演出してくれる。
特に宝暦年間(1750年頃代)に建築された滝沢屋(旧丹野家)は県の指定文化財。宿場外れ(実は、峠に近い奥の方が宿頭)に1993年(平成5年)に移築・復元されたもので、上山市教育委員会からの委託を受けた地元の方々が常駐・管理し、来訪者を案内してくれる(入館料220円)。



案内人の木村富夫さんは楢下生まれ楢下育ちの82歳。歴史に詳しいことはもちろん、饒舌でユーモアたっぷり、熱い話し口は正に文化財級。床に落ちているカメムシを何気なく足で払いながら室内を案内してくれる(写真下:滝沢家外観と案内してくれた木村さん)。
滝沢屋は久保田(秋田)藩の佐竹氏と深い関りがあったようで、定宿(じょうやど)として使われていたそうだ。室内の展示物は年代もバラバラの感があって、説明も時代を行ったり来たりするが、佐竹氏関連のものが多く、説明にも力が入っていたような気がする。
宿場町の面影を色濃く残す楢下宿。石橋は明治期のものだが妙に風景にマッチしているし、お宝(文化財)の宝庫でもあり、そして木村さんのようなお宝(文化財級)地元民もいる。ぜひ一度訪問いただきたい。(「羽州街道楢下宿・金山越(かなやまごえ)として国指定文化財史跡になっている)
(滝沢屋では、説明時間を最初に告げたほうがベスト!あっという間に1時間が過ぎたのだが、まだまだ説明が続くところでした。この日は次の予定がキャンセルになってしまった。)



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