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何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

「山のげ」を乗り越え、まもなく100歳になる万内川石積堰堤

2021年10月16日 | 土木構造物・土木遺産


湯沢の奥清津発電所から家に帰るつもりだったが、足は魚沼・頸城の山中を抜けて、妙高方面へ向かっていた。
上の写真は、矢代川と妙高山。矢代川には歴史ある発電所があるのだが、なかなか人を寄せ付けない地にあることから、今回はもう一方の写真の美しい8連アーチ「あらい高架橋」の下を流れる万内川の上流部を訪ねることにする。
というのも、ここには新潟県の砂防発祥の地でもある「万内(ばんない)川石積堰堤群」がある。僅かの区間に18基の堰堤があり、うち11基は登録有形文化財に指定されている。古いものは、まもなく100歳を迎えるものだ。



ここにも川との戦いがあった。1902年(明治35年)、上流部で発生した土砂崩れにより村(西野谷集落)が飲み込まれという災害があった。これを「山のげ」と言っている(新潟県人なら、なんとなくニュアンスは伝わる)。
しかし当時の新潟県は、大河津分水の工事に予算をつぎ込むことを優先していたことから、なかなか他の砂防工事に着手することができなかった。ここ万内川もそのひとつで、工事を開始するまで24年の歳月が過ぎたそうだ。
当時、山の中の工事では、石こそ瓦のものを現地で加工したものの、砂やセメント、足場に使う資材などは人力で運び上げ、災害を目の当たりにした村人がそれらを運搬する重労働を引き受けたそうである(写真下:当時の写真が案内板に刻まれてあった)。



地域を守り、家族を守るため、「山のげ」に立ち向かった村人たちの努力の結晶が、100年近い年月が経った今でも機能しているという。
その精巧な石積みの技術だけでなく、妙高山ろくの自然とも見事に調和していることから、堰堤や用水(写真下)、床固などが2003年(平成15年)に国の登録有形文化財に指定された。
しかし、山の中にありながら、よく整備されている場所だ。東屋や見晴台などの施設や植栽、案内板、遊歩道、今でも地域の方々の思いを伝えるかのように、しっかりと管理されているというのも感動モノでした。




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