行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

三島町はテレサ・テンの心のふるさとだった

2021年07月27日 | 旅行記・まち歩き


奥会津、三番目の町の紹介。といっても、「第一只見川橋梁(6月3日記事)」や「アーチ三橋(兄)弟(6月8日)」などでもすでに紹介してきているのが三島町だ。
会津宮下駅がある宮下の旧宿場を中心街としているが、一時期(1950年頃)8,000人近い人口があったが、今は2,000人を大きく下回るという超過疎化の町でもある。

これも先に紹介した道の駅「尾瀬街道みしま宿」がある町でもある。(写真上:JR只見線の会津宮下駅と宮下宿の風景)
「尾瀬街道」とは?沼田(会津)街道のことか?それとも新潟と会津を結ぶ六十里越えのことか?
確かに国道252号は、尾瀬に続く道沿いになることは確かなので深くは追及しないが、宿場町であったことは、街並みを見てすぐに分かる。

第一只見川橋梁を紹介したときに、この田舎町に外国人観光客が大勢押し寄せていることを紹介した。台湾からの観光客が断然に多い。
橋を見に来ていると思いきや、実は台湾出身の歌手で、日本だけではなく世界的にも有名なテレサ・テンが訪れたことが由縁となっている。
テレサ・テンは台湾で14歳でデビュー。日本で「空港」が大ヒット。語学が堪能だったこともあり、世界中で彼女の歌が流れ、「アジアの歌姫」と呼ばれ、作品の累計売上は1億枚以上と言われる。



1977年(昭和52年)日本で発売された「ふるさとはどこですか」のキャンペーンで、「ふるさと運動」を行っていた三島町の特別町民にテレサ・テンが応募したことがきっかけだ。
人気絶頂の若い女性歌手が来るということで、町民は大歓迎!テレサ・テンも短い滞在期間の中で、積極的に交流をしたという。
三島町には随所にテレサ・テンの活動を伝える看板があり、それらを目当てに多くの外国人が訪れるのだそうだ。

何がきっかけになるかわかりませんなー。いっそ「テレサ・テン町」にでもしたら面白かったのに。(と軽々に外部の者は勝手なこと言う。ゴメン!)
(写真上:テレサ・テンが降り立った会津宮下駅の駅前に設置された看板と、特別町民に登録した役場前の看板。写真下:宿泊地でもあり町民との交流コンサートが開かれた「ふるさと荘」と、町内各地で交流の様子を伝える看板。)
(なお、三島町宮下より奥へは未踏の地でもあり、今後訪問の予定だが、続きをお伝えするのは少し先になることをご勘弁いただきたい。)


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