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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

LIVE!オデッセイ

2025-02-14 19:06:38 | マンガ
作・狩撫麻礼/画・谷口ジロー 昭和57年 双葉社アクション・コミックス 全3巻
これは去年5月の古本まつりで3冊揃いで買ったマンガ。
『事件屋稼業』といっしょに並んでてねえ、そっちはタイトルくらいは知ってたのに対し、こちらはまったく知らなかったんだけど、勢いでこいつもいっちゃえと買った、まあ、谷口ジローに対する信頼がそうさせたんだろうな。
話はバンドマンのことでした、オデッセイと呼ばれている男、アメリカに行ってたのが5年ぶりに帰ってくるってとこから始まる。
今ぢゃマンガ家になったりとそれぞれ商売替えしてる、昔の仲間たちが出迎えに行くんだが、颯爽と登場なんてんぢゃなく、機内で胃けいれん起こして運ばれてくる。
回復したら、ぢゃあ音楽活動始めるかっていうと、その気で帰ってきたんぢゃなくて追われるようにアメリカあとにしてきただけで、オデッセイはやる気をなくしてる。
それどころか仲間がバンドの話を持ち出すと、それを言うなとばかりに怒り狂っちゃう状態。
かつてのバンドは、なんでも「五年前 ライブファンなら誰でも“憂歌団” “サウス・トゥ・サウス” “オデッセイ・バンド”をベスト3にしてたのよ」ということで、一部では人気絶頂だったらしいんだけど。
っていうか、人気絶頂だったとき17歳で、まだ22歳って設定かよっておどろく、17歳でハイエースにメンバー乗り込んで全国ツアーしてたのか。
で、音楽活動再開しないでなにするかっていうと、探偵やったりしてる、ボクシングに関する挿話もあったりして、狩撫麻礼的ハードボイルド世界。
第2巻のおしまいのほうになって、ようやく本題に入るというか、バンド活動再開する気になって動きだす。
そっからは、ビヤガーデンの演奏で強烈なインパクト与えて、レコード会社のそこそこ偉いひとが会社やめてバンドのプロモーターになってやるとか言って味方について。
そのオッサンの押しの力で、イギリスの人気パンクバンドの公演の音響チェックに参加して、東京・大阪・福岡のライブの前座をつとめることになって、そこで熱狂的支持を得て、ってトントン拍子に進んでく。
なにがどういいのか、よくわからんが、オデッセイの「黒いボーカル」が必殺で人気爆発ってことで、一挙に世界進出しようかって話になる。
展開早っ、って、まあ、天才の話なんでしょう、だけど途中まで探偵なんかしてた、長い助走期間はなんだったのかねって気はちょっとする。
各巻章立ては以下のとおり、音楽やろうとするのは第2巻の「we shot the…」から。第3巻には本編とは関係ない、谷口ジロー作品が3本入ってる(これはトクした気分)。
第1巻
 帰還(リターン)
 ペントハウス
 〈恋の正多面体(ダイヤ)〉
 ハード・タイムス
 銀の幕
 月光のピエロ
 スネークマン・ショウ
第2巻
 one night
 run,run,run
 rainbow
 night moves
 we shot the…
第3巻
 the man
 miner performer
 trouble in
 up tempo
 super star
 live

 野獣の夜(作・狩撫麻礼)
 ジェロニモ
 サバンナの風は赤く
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シカゴ・ブルース

2025-02-07 19:51:12 | 読んだ本
フレドリック・ブラウン/青田勝訳 1971年 創元推理文庫
これはたしか去年9月の古本まつりで買った文庫、読んだのは最近。
短篇集の『まっ白な嘘』とか読んでみたらおもしろかったフレドリック・ブラウン、SFも書くと聞いたんで読んでみたが、SFはもともとそれほど私の好みぢゃなく、ミステリも書くと聞いたんで、こんどはそっち方面読んでみようと思った次第。
予備知識もなんもなしでね、裏表紙の「エド・ハンター・シリーズ第一作。アメリカ推理作家協会賞受賞作」くらいの文字見ただけで決めてみた、シリーズものを途中からだと話つうじないおそれあるから。
読み始めて、おや短篇集ぢゃなくて長篇かい、って思うくらい何もわかってなかったんだが、そしたら、主人公のエド・ハンターってのは、名探偵かなんかだと思ってたら全然そんなんぢゃない、18歳の印刷見習工だった。
天才少年とかでもない平凡そうな若者で、同じ仕事している父と、ママと呼んではいるけど実母ぢゃない後妻と、その連れ子である14歳の血のつながりない妹と住んでる。
で、ある朝、父が帰ってきてねえなと思ってると、警官が来て、父が殺されたことを家族に告げる、横町で強盗にやられたらしい、何軒か酒飲んでまわって帰るところを殴られて、すでに死んでるところを見つかったんだという。
エドは家族の女性二人はほっぽっといて、汽車に乗ってアンブローズ伯父さんに会いに、父の死んだことを知らせに出かけてく。
アンブローズ伯父さんは、カーニバルの興行一座に加わって旅してまわってて、ボール当てゲームの出しものしてるんで、これまた名探偵とかそんなんぢゃない。
でも、エドの話を聞くと伯父さんは、シカゴぢゃこんなありふれた夜道の強盗殺人に警察は本気で取り組んぢゃくれないから、俺たち二人で犯人を追いつめるぞ、みたいに宣言する。
かくして、エドとアム伯父さんは独自の捜査をはじめるんだが、証拠品集めて科学的分析するとかってできるわけぢゃなし、夜の街などでつっついてまわれば何かを知ってる誰かがボロを出すだろう、みたいなハードボイルドものにあるような手法をとってく。
見世物興行師にしては妙に手慣れているなと思うんだが、途中で実は以前にロサンゼルスのある私立探偵社に勤めていたんだ、なんて伯父さんは言う。
それどころか、伯父さんの弟=エドの父親は、「向こう見ずの若者で、メキシコを放浪してあるき、決闘をやり、スペインで闘牛士になろうとしたり、魔術ショーで手品師になり、ボードビル一座で暮らした」(p.129)ことがあるんだと、エドの知らなかった父親のことを語ってくれる。
ということで、ほかの短篇集読んだとこから勝手に想像した、あっと驚く意外なトリックとかブラックユーモアみたいな味とかは特になくて、わりと淡々とすすんでくんだが、もちろん、それなりに冒険はあって、ミステリってよりもエド少年が大人になるためにどうしたらいいのか物語って感じ、後半ではだいぶタフになりますが。
原題「The Fabulous Clipjoint」は1947年の作品、訳者あとがきによれば原題の由来は、シカゴの街を見下ろす光景をまえに、アンブローズ伯父さんが「でっかい低俗なキャバレーさ、エド。ここじゃどんな気違いじみたことでも起こりうるのだ」(p.285)って言ったところらしい。
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桃尻語訳 枕草子

2025-01-31 19:25:26 | 読んだ本
橋本治 一九九八年 河出文庫版(上中下三巻)
これは去年5月の古本まつりで三冊まとめて(手ごろな値段だったんで)買った文庫、読むのはときどきちょっとずつって感じで時間かかってしまった。
前から読んでみたかったんだけどね、単行本は1987年かあ、私が橋本治を読み始めたのはたぶんもう少しあとで、そのころは古典をわざわざ読もうみたいなモチベーションはなかったと思われるが。
なんたって、「春って曙よ!」である、なんかそういわれると、そう訳すのが正解な気がしてくる。
下巻のあとがきで著者は、
>私は、平安時代の女流文学の置かれている位置は、現代の少女マンガと同じものだと思いました。普通の文章は漢文が常識だった時代に、かな文字で書かれた文章は、「くだらない」と思われたでしょう。(略)紫式部が源氏物語の“蛍の巻”で、「物語に熱中する女と、それをバカにする男」ということを、風刺をこめて書いたのは、「男はマンガっていうとバカにするけど、少女マンガってけっこうすごいのよ」という現代女性のせりふと重なるものでしょう。(略)
>(略)はじめのうちは、「そこまで日本語を壊してもいいのだろうか?」と思いながら、おそるおそるやっていたのですが、清少納言の文章は、実際問題として、“現代の女の子言葉そのもの”だったのです。私の方針は、「『枕草子』を現代の女の子の言葉で訳す」から、「『枕草子』は現代の女の子の言葉でしか訳せない」に変わりました。(下巻p.340-341)
と言ってます、だから直訳の逐語訳にしたんだと。
古文読むときって、なんかそこに書かれてないこと補わないと意味わかんない、みたいなことあったと思うんだが、「夏は夜よね。月の頃はモチロン!」って、そうとしか書いてないんだから、そう読んどきゃいいんだってことだ。
原文はろくに知らないんだけど、読んでって、「素敵」が「をかし」だな、「すっごく素敵」ってのは「いとをかし」だなって、わかってくる。「ジーンとくる」は「あはれ」なんだろうなと。
ちなみに、手元にある別の枕草子の目次と試しに比べてみると、
 すさまじきもの→ うんざりするもん!
 たゆまるゝもの→ かったるくなるもの
 にくきもの→ イライラするもの!
 心ときめきするもの→ 胸がドキドキするもの
 心ゆくもの→ 満ち足りちゃうもの
 あてなるもの→ 優雅なもの!
 にげなきもの→ 似合わないもん!
 おぼつかなきもの→ 不安なまんまのもの
 たとしへなきもの→ “くらべっこなし”のもんね
 ありがたきもの→ めったにないもん
 あぢきなきもの→ ガッカリ来るもん
 こゝちよげなるもの→ 得意になってるもん
 めでたきもの→ カッコいいもの
 なまめかしきもの→ セクシーなもの
 ねたきもの→ クッソォ! と思うもの
 かたはらいたきもの→ 内心ギックリするもん
 あさましきもの→ まいっちゃうもの
てな調子だとわかった。
しかし、
>(略)行列をお進めになってらっしゃるご様子が、メッチャクチャカッコいいの。これをまず拝見して、“感動しまくり大会”よ。(下巻p.188)
くらいになってくると原文が想像できない、なんて書いてあるんだろう古文で「感動しまくり大会」。
さてさて、それで、実際に読み始めるまで知らなかったんだけど、直訳とはいうものの、ところどころ「註」があります、「昔のことで分かりにくいと思うんで、あたくし清少納言がおんみずから註です」って、著者が清少納言になりきって書いてます。
これが、まずは平安時代の膨大な解説になっていて、建物のこととか、衣装のこととか、宮中界隈で勤めてるひとの役職とか、えらい貴族の関係とか、とても参考になります。高校生のときにこれあったら古文の時間にわかりやすく役にたっただろうなとつくづく思う。
邸のつくりがどんなだったか、この語は着てる衣装のどこをさすのか、とかってのは教科書によっては図が載ってたりするかもしれないけど、たとえば着るものの布の色について、
>あなた達は、「――(ナニナニ)色」って言ったら、それはもう決まっちゃった固定的な色だと思うのかもしれないけど、あたし達の時代の色は、動くのよ。動くことによって、着ているものの色もビミョーに動くのよ。それが、あたし達の作った“襲色目”っていう色の正体なのよ。だから、あたし達の時代の色がどんな色かを説明するのは、とってもむずかしいの。(下巻p.215)
みたいな解説は、はじめてお目にかかった。ちがう色の布を重ねることで色を表現するし、そもそも縦糸と横糸との織りかたで一枚の布でも単純な色ぢゃないとか。
そういう当時の事物の解説だけぢゃなく、数々の註は、枕草子っていう文学の解説として最適。
「山は――。小倉山、鹿背山、三笠山。」と、「市は――。辰の市、里の市」といった段のとこに、
>註:ここら辺がホントは、あたしの一番のエスプリの見せどころなんだけどさ、でもこんなもん一々説明してたってバカみたいじゃない。知ってる人間に「分かるゥ?!」って、言って言われてて、それで面白いんだから。どうして小倉山か、どうして小倉山の次で鹿背山か、とかさ、知らない人には関係ないもん。だからやめます。結局さ、あたし達っていうのはほとんどロマンチシズムの世界の中に住んでたのとおんなじなのよ。だってさ、よっぽどのことでもない限り、あたし達が京都の外に出るなんてことはないんだもん。(略)現実がロマンチックだからそこをエスプリで渡ってくのよ。どうしてそれじゃいけないのかあたしには分かんないわね。(上巻p.90-91)
ってあったりするんだけど、そうかあ、たとえ実際に見たことなくても「山は、海は、滝は、橋は」とか言い切っちゃって、わかるひとにだけウケればそれでよし、ってことだったのね、きっと、と妙に納得する。
でも、どうでもいいけど、船の旅について、
>註:あたし達の時代に、“舟に乗る経験をした女”なんて、そうそういないのよ。それは、旅行をするということで、都の人はそんなに遠くまで行かないもの。あたし達女房の多くは受領階級の女だからさ、(略)アチコチ旅行していろんなことを実際に見たり聞いたりしてたっていうことが、文学やる上での蓄積になってたのよ。(下巻p.263)
なんて言ってるとこもあるんで、いろいろ実際に見た経験はあるのかもしれないが。
あと、仕えてた中宮定子が道長のせいで不遇な扱いになってったことを延々解説したあとで、
>あたしはさ、宮がお可哀相だから、もう、そういういやなことは絶対に書かないの。書くんだったらいいことだけ書きたいの。そうじゃなかったら宮がホントにお可哀相だもん。あたしの口調が脳天気だからって「なんにも心配なんかなかったんだろう」なんてつまんないこと考えないでね。あたしは黙ってるけどホントは、もう、ホントにホントに大変だったんですからね。いい? 皆の者、そこら辺ココロして読むように。(上巻p.56)
って書いてるのは、もしかしたら枕草子の成り立ちみたいなものについて、すごく的確なこと言ってんぢゃないかという気がする。
それはそうと、学校の古文の時間がつまんないのは、つまんないとこばっか教材にしてるからぢゃねえのってのは、いつも思うことで。
>“情事の場面(シーン)”てことになると、夏が絶対素敵だわ。
>メチャクチャ短い夜が明けちゃったんだけど、結局眠んないまんまなのね。(上巻p.242)
とかってあたりを読ませれば、きっと退屈しないと思うんだよね、高校生のアタマん中なんてそんなことばっかりなんだから。
歌にしたってさ、実方の中将の詠んだ「あしひきの山井の水は氷れるを いかなるひもの解くるなるらむ」みたいの採りあげて、下の句は「どういう氷(ひ)も溶けるんだろう」と言いつつも、裏の意味では「どういう紐も解けるんだろう」って、「袴の紐を解こうか」みたいに口説いてる二重の意味をもたせてんだけど、
>外交辞令を真に受けて「あたし、OKです」って言ったら、ただのバカでしょ? (略)和歌なんて詠みかけられたらさ、「私、あなたの言う意味はよっく分かりました。でもね、だからなんだっていうのかしらァ、よく分からないわァ」ってことを、キチンと言えなくちゃいけないのよ。それが女の教養っていうもんなのね。(中巻p.31)
みたいに説明してくれてっと、なんだかよくわかんないやりとりぢゃなくて、しょうもない面白いこと言ってんだなあって、急に理解が深まるぢゃない、そういうこと教えてくれればよかったのに、古文の授業って。
あと、どうでもいいけど、本筋とはあまり関係ないかもしれないが、
>あたし達の時代の言葉で“月が明るい”は、“月が明(あ)かい”なのよ。別に赤くなくても“あかい”なの。それで、月のあかい夜にさ、「恋しさは同じ心にあらずとも 今宵の月を君見ざらめや」っていう和歌を女のところに送った男がいたのよ。月があんまりきれいだったからさ、「僕のことをあんまり好きじゃなくてもいいけど、でも今晩のきれいな月は見るでしょ? だとしたら、僕とあなたは、今晩おんなじことをするんですね。嬉しいな」って、そういう歌よ。(略)だから、その「恋しさは――」の歌は有名になったのよ。(下巻p.240-241)
って話を読んでたら、明治のころ、「I love you」を「月がきれいですね」って訳したって話の元ネタはこれなのか、みたいに刺激されるようなとこもあった。
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「鼎談書評」三人で本を読む

2025-01-24 18:56:04 | 丸谷才一
丸谷才一・木村尚三郎・山崎正和 一九八五年 文藝春秋
これは去年9月の古本まつりで買ったもの、なんか似たようなのあったよなーって思ったんだが、『固い本やわらかい本』ってのが同じ鼎談書評だった。
あっちは1986年の出版なんで、時系列的にはこっちが先かってことになる、媒体は文藝春秋だねえ、あとがきによれば「夕方六時から始まって、休みなくぶっ通しで、九時か九時半までかかる」という座談会だったそうだ。ちなみに座談会ってのは、菊池寛創案で文藝春秋が始めたものだという。
書評といっても座談会なんでむずかしいことなく、おもしろいんだが、私はやっぱ丸谷さんがきびしいこと言うのがお気に入りである。
>丸谷 (略)というふうに、褒めたいことは色々あるんですが、敢えて文句をいうほうに回ります。(笑)
>木村 さあ、どうぞ。(笑)(p.22)
とか、
>丸谷 (略)それと、これだけ褒めたあとだから勘弁してほしいんですけど、もうちょっといい文章だったら、どんなによかったかという感じがします。例えば一五七ページ……。
>山崎 丸谷才一「文章読本」。(笑)(p.68)
とか、
>丸谷 (略)この本がダメなのは、第一、書き方が下等である……。
>木村 もう始まった。(笑)(p.294)
とかって、もう文句のつけかたがひとつの藝になってると言えるんぢゃないかと。
もちろん書評に採りあげる本なんだから全然ダメってことはなく、褒めといてケナすのが藝のみせどころなわけで。
>丸谷 ちょっといいバーの、ちょっといいオツマミを、うんとたくさん食べた時みたいな感じになる本ですね。(p.365)
なんて言い方は、こっちが読んだことない本についてだっておもしろい。
かの薄田泣菫の「茶話」については、
>丸谷 (略)大体、こんなゴシップに夢中になって、しかも、こんなにうまい文章で書けるなんて、人間として少しおかしいんじゃありませんか。(笑)(p.230)
なんて言ってますが、かなわんなあって認めてるってことなんでしょう。
私は丸谷さんファンなんで、どうしても丸谷さんの発言にひかれてしまうんだけど、
>木村 したがって、私は歴史を学校で試験することには、本当をいうと反対です。入試科目からは除いたほうがいい。しかし、にもかかわらず教室で教えなければいけないと思っています。本来、正しい歴史の教科書などありえません。歴史叙述はすべて副読本としての扱いしか出来ないものなんですね。独特の史観、人生観、世界観がそこに反映されてこそ読むに値するからです。(p.248)
って歴史学者なのに言っちゃってる木村さんも、
>山崎 これはかなり深刻な文化論に結びつくんですが、良きにつけ悪しきにつけ、中国の詩は志を述べるものなんです。それに対して日本の詩は「あわれ」を述べる。志に対して「あわれ」ということを言ってしまったが最後、文学は極めて高級になるか、逆にナンセンスになるかどちらかなんですね。(p.204)
って劇作家にして、商品宣伝コピーってのは日本の短詩型芸術の伝統だとか言う山崎さんも、刺激になる発言いっぱいで、読んでておもしろい。
さてさて、それぢゃあ読んでみたくなる本はあったかというと、急にいますぐどうしようって感じになったもんはないんだが、
>山崎 (略)著者は、意図的に一見不愛想な、教科書風、官庁文書風の文体をつくりあげておいて、そこへ突然「泣く子と地頭」とか「腹のすわった大人」といった言葉を投げいれるのです。そこには著者の皮肉な目、悲しみを秘めたユーモアが感じられます。(略)
>木村 これは大変な本ですね。私が日ごろ、日本についていやだなあと思っていることが全部出てくる。「強気を助け弱気を挫く」とか、「虎の威を借る狐」とか「人間万事、色と欲」とか。(笑)(p.90-91)
って評されている、京極純一『日本の政治』とかは興味あるかも、むずかしそうだから、たぶんいかない気がするけど。
あと、
>丸谷 日本の学者が社会に向けて発言すると、以前は、おおむね、抽象的・観念的な説教になるのが普通でした。ところが最近、具体的な提案をするようになってきた。
>(略)いつも具体的に語って、しかもそれが高い識見に支えられている。学者が社会にむかって物を言うときの態度として模範的なものだという感じがしました。(p.257)
と言われてる、芦原義信『街並みの美学』正続二巻ってのも、おもしろそうにみえる。
>山崎 でも私には、海軍の参謀そのものがサービス業だという指摘は発見でしたね。人を動かすのが参謀、ましてや人を死なせるのが参謀。そのためには、まず自分の考えを味方に説得するのが最初の仕事になる。その説得の部分はまさにサービス業で、それはお座敷芸を含む宴会の技術にまでつながっているというんですね。(p.273)
っていう、田辺英蔵『海軍式サービス業発想』ってのも読んだら発見するものありそうとは思わされた。新橋第一ホテルの重役は元海軍の砲術参謀で、ホテルの部屋が狭くて合理的なのが潜水艦の艦内みたいだと思ったら、海軍の発想だったのかって山崎さんの感想がどこまで冗談なのかわからんがおもしろい。
コンテンツは以下のとおり。
草創期の無茶苦茶精神
 『星 亨』 有泉貞夫
 『明治の東京計画』 藤森照信
 『科学者たちの自由な楽園』 宮田親平
人間と性と芸術と
 『斎藤茂吉私論』 中村稔
 『結婚の起源』 ヘレン・E・フィッシャー
 『私のピカソ 私のゴッホ』 池田満寿夫
都市の“下半身”を診断すれば
 『水道の文化』 鯖田豊之
 『ある明治人の生活史』 小木新造
 『地球ドライブ27万キロ』 大内三郎
モーレツなる曲り角の時代
 『日本の政治』 京極純一
 『見栄講座』 ホイチョイ・プロダクション
 『グルマン』 山本益博・見田盛夫
天才ジャーナリストの時代
 『「ニューズウィーク」の世界』 オズボーン・エリオット
 『破獄』 吉村昭
 『人類の長い旅』 キム・マーシャル
“失われた生活”をめぐって
 『死と歴史』 フィリップ・アリエス
 『アメリカの男たちは、いま』 下村満子
 『木村伊兵衛写真全集昭和時代』
“辛口の読書”のすすめ
 『読書人 読むべし』 百目鬼恭三郎
 『文楽三代 竹本津太夫聞書』
 『糸井重里の萬流コピー塾』
英国で「資本論」が書かれたわけ
 『クラース』 ジリー・クーパー
 『完本茶話』 薄田泣菫
 『いいもの ほしいもの』 秋岡芳夫
公教育から「歴史」を廃止せよ!
 『戦争の教え方』 別技篤彦
 『続・街並みの美学』 芦原義信
 『海軍式サービス業発想』 田辺英蔵
西洋的時間と日本的時間
 『時計の社会史』 角山榮
 『絵巻切断』 NHK取材班
 『宮武東洋の写真』
衣食足りて、礼楽の再発見
 『御進講録』 狩野直喜
 『ハーバード通信』 板坂元
 『賭博師ファロン』 ルイス・ラムーア
日本は英国病にかからない
 『ジャパニーズ・マインド』 R・C・クリストファー
 『橋と日本人』 上田篤
 『さよなら、大衆。』 藤岡和賀夫
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激震!セクハラ帝国アメリカ

2025-01-16 20:05:42 | 読んだ本
町山智浩 2018年 文藝春秋
これは去年12月に買い求めた古本、出てたのも知らなかったんだけど、これまで何冊か読んだシリーズなんで、ひさしぶりに読んでみたくなった。
サブタイトル「言霊USA2018」ということで、週刊文春連載コラムの2017年3月から2018年3月分のもの。
当時はトランプ大統領だったんだけど、よくムチャクチャな発言するんで、そのネタが多い。
おどろいちゃうのは、トランプのツイートがノーチェックだってこと、広報とかのスタッフが文案とか推敲とか噛んでない、だから「Covfefe」とか打ち間違えと思われる意味ない言葉を発信しても本人が寝ちゃうとそのまま放置されてる、危機管理感まったくなし。
>(略)スパイサー報道官は、トランプが吐き続ける嘘やデタラメを、そのまま垂れ流してきた。記者に矛盾や事実との違いをいくら追及されても、スパイサーはまともに反論できず、イライラと顔を真っ赤にして「ピリオド!」と叫んで会見を打ち切ることが多かった。(p.163)
って、その報道官は半年で突然辞任しちゃったんだけど、そうだっけ、もう記憶ない、ちょっと前のことなのに、でも、また、そういうのが始まるのね、とほほ。
大統領本人だけぢゃなく、息子も娘も前面に出てきては、よくわかんないことをやらかす。
「長男ドナルド・トランプ・ジュニアは父を批判するツイートに突撃を繰り返す、トランプの番犬ナンバーワン(p.114)」なんだそうだが、大統領選挙中に、「ヒラリー・クリントンを罪に問える情報が、ロシア政府からのトランプ支援の一環としてあります」って言われたら、そいつはうれしいって答えて、ロシア政府とつながりがあると称する弁護士と面会したとか、だいじょぶなんか、そんなことして。
>さて、イヴァンカ絡みの言葉、「コンプリシト」が、ワード・オブ・ジ・イヤー、2017年の言葉に選ばれた。(略)
>4月、CBSテレビによるイヴァンカのインタビューが放送された。
>「あなたをコンプリシトと呼ぶ記事があります。どう思いますか?」という質問にイヴァンカはこう答えた。「コンプリシトであることが、善いことのための力になり、ポジティヴなインパクトを与えるなら、私はコンプリシトです」いや、そんないい意味じゃねえし。「コンプリシトがどういう意味か知りませんが」あてずっぽう言ったのか!(p.215)
とかって、ホントだいじょぶなんだろうか、大統領補佐官なんでしょ。
トランプ本人は、気に入らない相手いると徹底的に罵倒するし、都合のわるい情報に対してはフェイクニュースだとか決めつけるんだが、
>「トランプは精神的に不安定で大統領の執務には危険だ」
>去年2月、35人の精神科医がニューヨーク・タイムズ紙に意見広告を出した。リン・メイヤー博士は「大統領は『自己愛性人格障害』の疑いがある」と書いた。「この障害を持つ人は否定された時、激しい怒りを抑えられず衝動的に行動する可能性があります」
>そんな人に7000発の核弾頭の「デカいボタン」を預けておいていいの?(p.236)
って指摘されたこともあったらしい、困ったもんだね。
しかし、あのひとはビジネスマンだから儲かんないことはしないってのが、私のもってる印象、だから戦争は儲かんないからやんないんぢゃないかと、でも儲かるならミサイルのスイッチでも押しちゃうのかな。
イギリス国内での事件の情報を流出させちゃって、当時のイギリス首相はトランプと情報を共有しないことに決めた、とかって話もあるけど、たしかに機密保持とかできなさそうな感じではある、いっそケネディ暗殺の真相とかエリア51に何がどうなってるのかとか、ポロポロ出しちゃわないかな、みたいなヘンな期待をしちゃう。
トランプ・ファミリーの脇がちっとくらいあまくたってべつにいいんだけど、気になったのはロシアの工作の話。
30代白人女性というプロフィールのジェナ・エイブラミスのツイートは人気で、フォロワー数7万超えだったんだが、だんだん政治的内容の発言が増えてきて、保守的な意見で支持を集めてたんだけど、2017年10月にアカウントが凍結された、ってエピソードで始まる「Russian Troll Army」ロシア釣り軍団って一節。
>実はジェナ・エイブラミスという女性は実在しなかった。ロシア政府が対米プロパガンダのために作ったトロール(釣り)アカウントだったのだ。
>今年9月、ロシアの入金によるプロパガンダ広告を掲載してしまったと、フェイスブックが発表した。2016年の大統領選期間中、ロシア政府のプロパガンダ機関インターネット・リサーチ・エージェンシーからの入金で、フェイスブックは3000もの政治意見広告の載せた。(略)
>ロシアが出す広告は右寄りでトランプ支持なものが多い。たとえば「アーミー・オブ・ジーザス(キリスト軍)」という実在しない宗教団体のフリをした広告では、悪魔サタンがキリストと腕相撲をして「この腕相撲に勝てば選挙でヒラリーが勝つ」と言っている。(略)
>その逆もあって、たとえば「LGBTユナイテッド」という架空の団体の広告では反ゲイのキリスト教団体との戦いを、「目覚めたる黒人」という広告では、70年代風アフロヘアーの女性の写真を使ってアフリカ系アメリカ人に白人との闘争を呼びかけている。つまり、ロシアの目的はアメリカ国民を宗教や人種、イデオロギーで互いに対立させ、分断することらしい。(略)(p.190-192)
っていうんだけど、まんまと引っ掛かってるよね、うーむ、怖いっす。
それはそうと、本書のタイトルが「セクハラ帝国アメリカ」ってなってんのは、べつに政治家がその手の発言するからってだけなわけぢゃなくて、2017年10月ころから明らかになってきた映画界の話が注目を浴びてた時期だからってことがある。いわゆる「#MeToo」運動ですね。
>ハリウッドにはサイレント時代からキャスティング・カウチという言葉がある。(p.174)
ってことなんだが、当時セクハラの告発の中心だったのは、プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインなんだけど、追及のきっかけをつくったのが、
>「ノミネーションおめでとう!」2013年のアカデミー賞候補発表式で司会のセス・マクファーレンは助演女優賞候補の5人に行った。「もう、ワインスタインを好きなフリしなくてもいいですね!」(p.175)
ってとこからだった、ってのは知りませんでした。

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