月曜日、この日は朝から一日新体力テストと身体測定でした。前日まで降り続いた雨の影響でどうなることかと思いましたが何とかグランド状態も持ち直し実施できる運びとなりました。グランドで行う種目は少し開始時間を遅らせてから行うことに。暖かいを通り越して「暑い」という状況でしたから乾くのも早いですね。寒暖の差が激しすぎる気がします。体調管理がものすごく難しい天候ですね。
私は50m走の担当でした。グランド状態は乾いてきたとはいえ少し緩いなという感じ。それでも誰一人怪我をすることなく走ることができました。この状況ですが女子で1人6秒台で走りました。スパイクを履かずグランドも緩いという状況では十分すぎる気がします。ここ一番の集中力というのはすごいですね~。まー手動ですしタイミングなどもあるのでタイム自体の評価はすごく難しい部分ですが。それでも走れているというのは大きいと思います。
午後からは陸上競技場で長距離走。男子は1500m、女子は1000mです。全校生徒の前で学年ごとに走ります。異常な盛り上がりがあります。(笑)。生徒は最初はかなり嫌がりますが実際に走るとなるとほとんどの生徒が一生懸命に走ります。これはすごいと思います。陸上競技部の選手も同様。基本的に短距離なのですがそれでもそれなりに走れます。男子の400m選手は4分40秒くらいで走りました。まだ多少余力がありそうですが。全体のトップは4分30秒台で走っていました。めちゃくちゃ速い(笑)。恐るべし潜在能力です。もちろん、これは他の部活動ですが・・・。
短短にはこの距離での期待は一切していません。それほど走れるはずはないですから。しかし、短長はある程度走れないといけません。本当に強い時にはほとんどの選手が3分20秒前半で走ります。インターハイに行った選手は3分10秒くらいだったのではないかと。練習をしていなくてもある程度の距離は走れる。それが短長の「武器」です。女子の短長、完全にばてていました。動きに精彩がありません。タイムを出そうとして前半から行って大幅失速。これはレースに出ます。ちょっと考えなければいけません。さすがにこの状況では厳しいですね。危機感を持てない状況で指導者側として何ができるのか・・・。うーん。
練習はトレーニングとしました。本来であれば走練習をしたいところなのですが、さすがに疲労感があるでしょう。午後は3時間近く日に当たっています。身体のだるさはあると思います。少しだけ配慮してウエイト、シャフトの流れで。が、「疲れている」という感じがありました。何度も言い続けていますが総体まであと2週間を切っています。この「危機感のなさ」というのは致命的ではないかと感じます。「疲れているから集中できない」というのでは勝負はできません。毎日の練習には課題があってそれをどう克服するか。一つ一つの動きや練習にどのような意識で取り組むか。ここで大きな「差」が生まれます。
この日、私は珍しく椅子に座って練習を見ていました。屋外での練習終了後、コーンの片づけなどを目の前でしていました。私は立ちましたが椅子の片づけをしようとする素振りはない。ここは考え方の部分があるので私が絶対に正しいとは言い切れないかもしれません。しかし、普通であれば顧問の椅子を片付けようと動くのではないか。自分が座った椅子だから自分で片づけろと言われたらそれまで。それはそれで正論ですし、部活以外の状況であれば自分でやります。自分が練習で使ったコーンは片付ける。これで「気を配っている」というのは違うと思います。ここは「当然」ですから。それ以外にももっと「気を配る」ことができるのではないかと思います。
何人かは「自分は気を配っている」と思い込んでいる節があります。本当に気を配らなければいけない部分には気づいていない。その場その場での状況判断ができないのです。その部分を育てるために「意図的」にやっていることがいくつもあります。ここが分からなければ練習中に話している内容もきちんと伝わらないと思いますから。「椅子くらい自分で片づければいいではないか」という意見があるとは思います。自分で片づけるのはすごく簡単です。しかし、そこに気づけるかどうかだと思っているのです。「試している」と言うと語弊があるのですがそこは大事な部分ではないかと。
練習にしても同様。「一生懸命にやっている」という部分だけみれば本当にやっていると思います。しかし、「一生懸命にやる」ことが一番の目標となり「強くなるため」という部分が欠落しているのではないか?一生懸命努力をすることを競うのではありません。そこを考えていかなければどれだけ練習をしても結果は付いてこないと思います。進む方向性が異なるのですから。「気を配る」「努力をする」というのは表面的には違うかもしれませんが、根本的な部分は同じだと思っています。ここに対する「考え方」ですから。なかなか伝わりません。
最後に話をしていたのですが後ろのほうにいる者がキョロキョロしてこちらを向いていません。長距離の者でしたがさすがに酷い。このような状況が続くのであればうちで競技をする必要はないと思います。最低限の礼儀であったり大切なことが見落とされてしまいます。時間を守れなかったり、補強などで見ていなければ楽をするというのに加え、話を聞けないというのであれば間違いなく方向性が異なります。本気で考えないといけないと思いますね。こちらは無理に部活動に所属してほしいと言っているわけではありません。こういう書き方をすると「顧問が変われ」と言われるのかもしれませんが。大半の選手が競技に真剣に向き合おうとしてる。それでも数人がその方向性とは違う。どちらを優先すべきでしょうか?「どちらも」が正しいとは思います。が、正論だけでは物事は上手くいかないと思います。「やろうとしてできない」のと「やろうとしない」のは全く別物ですから。
ちょっと考えさせらます。「方向性」の部分だと思います。
私は50m走の担当でした。グランド状態は乾いてきたとはいえ少し緩いなという感じ。それでも誰一人怪我をすることなく走ることができました。この状況ですが女子で1人6秒台で走りました。スパイクを履かずグランドも緩いという状況では十分すぎる気がします。ここ一番の集中力というのはすごいですね~。まー手動ですしタイミングなどもあるのでタイム自体の評価はすごく難しい部分ですが。それでも走れているというのは大きいと思います。
午後からは陸上競技場で長距離走。男子は1500m、女子は1000mです。全校生徒の前で学年ごとに走ります。異常な盛り上がりがあります。(笑)。生徒は最初はかなり嫌がりますが実際に走るとなるとほとんどの生徒が一生懸命に走ります。これはすごいと思います。陸上競技部の選手も同様。基本的に短距離なのですがそれでもそれなりに走れます。男子の400m選手は4分40秒くらいで走りました。まだ多少余力がありそうですが。全体のトップは4分30秒台で走っていました。めちゃくちゃ速い(笑)。恐るべし潜在能力です。もちろん、これは他の部活動ですが・・・。
短短にはこの距離での期待は一切していません。それほど走れるはずはないですから。しかし、短長はある程度走れないといけません。本当に強い時にはほとんどの選手が3分20秒前半で走ります。インターハイに行った選手は3分10秒くらいだったのではないかと。練習をしていなくてもある程度の距離は走れる。それが短長の「武器」です。女子の短長、完全にばてていました。動きに精彩がありません。タイムを出そうとして前半から行って大幅失速。これはレースに出ます。ちょっと考えなければいけません。さすがにこの状況では厳しいですね。危機感を持てない状況で指導者側として何ができるのか・・・。うーん。
練習はトレーニングとしました。本来であれば走練習をしたいところなのですが、さすがに疲労感があるでしょう。午後は3時間近く日に当たっています。身体のだるさはあると思います。少しだけ配慮してウエイト、シャフトの流れで。が、「疲れている」という感じがありました。何度も言い続けていますが総体まであと2週間を切っています。この「危機感のなさ」というのは致命的ではないかと感じます。「疲れているから集中できない」というのでは勝負はできません。毎日の練習には課題があってそれをどう克服するか。一つ一つの動きや練習にどのような意識で取り組むか。ここで大きな「差」が生まれます。
この日、私は珍しく椅子に座って練習を見ていました。屋外での練習終了後、コーンの片づけなどを目の前でしていました。私は立ちましたが椅子の片づけをしようとする素振りはない。ここは考え方の部分があるので私が絶対に正しいとは言い切れないかもしれません。しかし、普通であれば顧問の椅子を片付けようと動くのではないか。自分が座った椅子だから自分で片づけろと言われたらそれまで。それはそれで正論ですし、部活以外の状況であれば自分でやります。自分が練習で使ったコーンは片付ける。これで「気を配っている」というのは違うと思います。ここは「当然」ですから。それ以外にももっと「気を配る」ことができるのではないかと思います。
何人かは「自分は気を配っている」と思い込んでいる節があります。本当に気を配らなければいけない部分には気づいていない。その場その場での状況判断ができないのです。その部分を育てるために「意図的」にやっていることがいくつもあります。ここが分からなければ練習中に話している内容もきちんと伝わらないと思いますから。「椅子くらい自分で片づければいいではないか」という意見があるとは思います。自分で片づけるのはすごく簡単です。しかし、そこに気づけるかどうかだと思っているのです。「試している」と言うと語弊があるのですがそこは大事な部分ではないかと。
練習にしても同様。「一生懸命にやっている」という部分だけみれば本当にやっていると思います。しかし、「一生懸命にやる」ことが一番の目標となり「強くなるため」という部分が欠落しているのではないか?一生懸命努力をすることを競うのではありません。そこを考えていかなければどれだけ練習をしても結果は付いてこないと思います。進む方向性が異なるのですから。「気を配る」「努力をする」というのは表面的には違うかもしれませんが、根本的な部分は同じだと思っています。ここに対する「考え方」ですから。なかなか伝わりません。
最後に話をしていたのですが後ろのほうにいる者がキョロキョロしてこちらを向いていません。長距離の者でしたがさすがに酷い。このような状況が続くのであればうちで競技をする必要はないと思います。最低限の礼儀であったり大切なことが見落とされてしまいます。時間を守れなかったり、補強などで見ていなければ楽をするというのに加え、話を聞けないというのであれば間違いなく方向性が異なります。本気で考えないといけないと思いますね。こちらは無理に部活動に所属してほしいと言っているわけではありません。こういう書き方をすると「顧問が変われ」と言われるのかもしれませんが。大半の選手が競技に真剣に向き合おうとしてる。それでも数人がその方向性とは違う。どちらを優先すべきでしょうか?「どちらも」が正しいとは思います。が、正論だけでは物事は上手くいかないと思います。「やろうとしてできない」のと「やろうとしない」のは全く別物ですから。
ちょっと考えさせらます。「方向性」の部分だと思います。