続き。ちなみにここに書いている内容はすべてミーティングで話したわけではありません。こんなに長く話しても誰も記憶に残りませんから。一部分は話していますし、一部分は書きながら加えています。
「チームとしてやる」ことに大きな意味を持っていると考えています。それも「一生懸命にやる」から価値がある。「試合に出られるから出る」というのではなく「大きな目標」としてそこに向かうから意味があると思っています。「勝てる」から出るのであればこれほど面白くないものはない。「出ること」に意味があるのではないから。ここは「価値観」として大きな差が出る部分だと思いますが。
ミーティングの途中で「言われていることが分からない者がいるとすればこの時点で辞めたほうが良い」という話をしました。私がどのような気持ちで何を思い話しているのかを感じ取れないようであれば間違いなく「チーム」としての活動はできないと思います。力があれば話を聞いていなくても関係ない。そういう考え方の選手は「個人」でやればよい。「チーム」としての方針は明確に示しています。もちろん、指導する中で幅を持たせていますが根本的に共有できない者がチーム内にいるとそこから「ほころび」が生じることになります。一生懸命にやる選手が可哀そうですから。
男子に関しては「目標値」の再設定を伝えました。ここ最近の練習の様子を見ていると微妙だからです。目標は高ければ高いほど良い。これは絶対に間違っています。到達できそうにない目標を目指してもモチベーションの維持はできません。もちろんん、最初から目標値を高く設定しないというのではありません。最初は「遠い目標」であってもがむしゃらにそこに向かえばよい。が、実際にレースが近づいてきたときに「実現可能な目標」を設定しておく必要があります。
よく高校野球のチーム紹介に「ベストエイトを目指します」と書かれています。または「緒戦突破」と。高校野球やるのであれば「甲子園を目指す」のが当たりまえと言われるかもしれません。が、実際にすべてのチームが「甲子園」に行けるわけではない。各県で1チームのみが出場できる。最初から諦めて「緒戦突破」と言っていると思われるかもしれませんが、「身の丈に合った目標」が必要になるのです。全員が「オリンピック出場」を目標に掲げても実際に達成できるのは一握り。ブロック大会に行けるかどうかの選手がそこを目指すのは「非現実的」です。目指すことが悪いと言っているわけではありません。あしからず。
目標を持って進むことを否定するつもりは一切ありません。できる限りやって欲しい。中国大会に進める実力がある。その選手が「中国大会に行けたら満足」と最初から思って練習をしているようでは強くはならないと思います。前の年に中国に行ったのであれば翌年はインターハイを目指す。当然の流れだと思っています。毎年「中国大会に進む」という目標では実力を上げていくことはできませんから。
男子の4継、43秒前半が目標でした。今でもその気持ちは変わりません。が、最低限でもクリアしたい目標が必要になります。以前、43秒4を準決勝で出したが決勝に進めなかったということがありました。悔しいですがそれが当時の実力。このタイムであれば通常は中国ですがその年は果たせませんでした。中国狙いでやっていましたから満足や納得はできません。9番目で決勝に残れなかったのは事実として残りますから。それでも「43秒4」という記録は当時の選手が最大限の力を発揮して出した記録です。評価します。今回は43秒台が出せればという気持ちがあります。最低でも44秒3は出したい。それくらいの競技力はあるはずですから。最後に3年生の力に期待したいと思っています。
「結果」は大切だと思っています。上述しましたが一生懸命にやってきて出場したレースでの「結果」はその選手のものです。「俺はもっと練習すればいい記録が出せた」というような言い訳は必要ないと思っています。意味がありません。それなら「もっと練習すればいい」だけのことです。それをやっていないなくて「やっていれば・・・」というのは違うと思います。「負け犬の遠吠え」でしかありません。やるだけのことをやって出した記録であればそれは評価するべきだと思っています。繰り返しになりますがこれは私の「価値観」です。誰かに認めてもらいたいとも思いません。
だからこそこの県総体、最後の最後まで力を出してもらいたいと思っています。そのためには大会に参加しない選手がどれだけチームに貢献できるかです。サポートに徹する。ここが重要。男子の3年生、県総体に出場できない選手もいます。その気持ちも汲みとってもらいたい。もちろん、一生懸命にやっているから「気持ち」を感じなければいけないのです。そうでない上級生であれば「マイナス」にしかなりませんから。今はそのような選手はいません。だからこそ出場する選手は走れない選手の分まで力を出さないといけない。それを感じ取れるかどうかだと思っています。
3年生男子、支部大会以降は1年生の練習を引っ張る形で練習に参加していました。前からスタートしてひたすら逃げる。それを下級生が追う。そういう練習の中で少しずつ力をつけていくのです。下級生が一人で強くなるわけではない。上級生に引っ張られて刺激をもらいないがらやってきました。そうであれば尚更、走る選手は「先輩の分まで」走らないといけません。苦しくなってきたときに力を出しきる。これができるかどうか。3年生男子は「真面目な子」ばかりです。こちらが求めることを一生懸命にやろうとします。この1年間、変革の中で一生懸命に練習に取り組んできました。だからこそ本当は全員を県総体に出場させてあげたい。
が、実際に走れるのはリレーであれば4人です。全員が走るわけにはいきません。走れない選手がいるからこそその分まで走れる選手は一生懸命にならなければいけない。そう思っています。
うーん、書いていると思った以上に長くなりますね。文才がないのでしょう。まとめきれません。また書きます・・・。
「チームとしてやる」ことに大きな意味を持っていると考えています。それも「一生懸命にやる」から価値がある。「試合に出られるから出る」というのではなく「大きな目標」としてそこに向かうから意味があると思っています。「勝てる」から出るのであればこれほど面白くないものはない。「出ること」に意味があるのではないから。ここは「価値観」として大きな差が出る部分だと思いますが。
ミーティングの途中で「言われていることが分からない者がいるとすればこの時点で辞めたほうが良い」という話をしました。私がどのような気持ちで何を思い話しているのかを感じ取れないようであれば間違いなく「チーム」としての活動はできないと思います。力があれば話を聞いていなくても関係ない。そういう考え方の選手は「個人」でやればよい。「チーム」としての方針は明確に示しています。もちろん、指導する中で幅を持たせていますが根本的に共有できない者がチーム内にいるとそこから「ほころび」が生じることになります。一生懸命にやる選手が可哀そうですから。
男子に関しては「目標値」の再設定を伝えました。ここ最近の練習の様子を見ていると微妙だからです。目標は高ければ高いほど良い。これは絶対に間違っています。到達できそうにない目標を目指してもモチベーションの維持はできません。もちろんん、最初から目標値を高く設定しないというのではありません。最初は「遠い目標」であってもがむしゃらにそこに向かえばよい。が、実際にレースが近づいてきたときに「実現可能な目標」を設定しておく必要があります。
よく高校野球のチーム紹介に「ベストエイトを目指します」と書かれています。または「緒戦突破」と。高校野球やるのであれば「甲子園を目指す」のが当たりまえと言われるかもしれません。が、実際にすべてのチームが「甲子園」に行けるわけではない。各県で1チームのみが出場できる。最初から諦めて「緒戦突破」と言っていると思われるかもしれませんが、「身の丈に合った目標」が必要になるのです。全員が「オリンピック出場」を目標に掲げても実際に達成できるのは一握り。ブロック大会に行けるかどうかの選手がそこを目指すのは「非現実的」です。目指すことが悪いと言っているわけではありません。あしからず。
目標を持って進むことを否定するつもりは一切ありません。できる限りやって欲しい。中国大会に進める実力がある。その選手が「中国大会に行けたら満足」と最初から思って練習をしているようでは強くはならないと思います。前の年に中国に行ったのであれば翌年はインターハイを目指す。当然の流れだと思っています。毎年「中国大会に進む」という目標では実力を上げていくことはできませんから。
男子の4継、43秒前半が目標でした。今でもその気持ちは変わりません。が、最低限でもクリアしたい目標が必要になります。以前、43秒4を準決勝で出したが決勝に進めなかったということがありました。悔しいですがそれが当時の実力。このタイムであれば通常は中国ですがその年は果たせませんでした。中国狙いでやっていましたから満足や納得はできません。9番目で決勝に残れなかったのは事実として残りますから。それでも「43秒4」という記録は当時の選手が最大限の力を発揮して出した記録です。評価します。今回は43秒台が出せればという気持ちがあります。最低でも44秒3は出したい。それくらいの競技力はあるはずですから。最後に3年生の力に期待したいと思っています。
「結果」は大切だと思っています。上述しましたが一生懸命にやってきて出場したレースでの「結果」はその選手のものです。「俺はもっと練習すればいい記録が出せた」というような言い訳は必要ないと思っています。意味がありません。それなら「もっと練習すればいい」だけのことです。それをやっていないなくて「やっていれば・・・」というのは違うと思います。「負け犬の遠吠え」でしかありません。やるだけのことをやって出した記録であればそれは評価するべきだと思っています。繰り返しになりますがこれは私の「価値観」です。誰かに認めてもらいたいとも思いません。
だからこそこの県総体、最後の最後まで力を出してもらいたいと思っています。そのためには大会に参加しない選手がどれだけチームに貢献できるかです。サポートに徹する。ここが重要。男子の3年生、県総体に出場できない選手もいます。その気持ちも汲みとってもらいたい。もちろん、一生懸命にやっているから「気持ち」を感じなければいけないのです。そうでない上級生であれば「マイナス」にしかなりませんから。今はそのような選手はいません。だからこそ出場する選手は走れない選手の分まで力を出さないといけない。それを感じ取れるかどうかだと思っています。
3年生男子、支部大会以降は1年生の練習を引っ張る形で練習に参加していました。前からスタートしてひたすら逃げる。それを下級生が追う。そういう練習の中で少しずつ力をつけていくのです。下級生が一人で強くなるわけではない。上級生に引っ張られて刺激をもらいないがらやってきました。そうであれば尚更、走る選手は「先輩の分まで」走らないといけません。苦しくなってきたときに力を出しきる。これができるかどうか。3年生男子は「真面目な子」ばかりです。こちらが求めることを一生懸命にやろうとします。この1年間、変革の中で一生懸命に練習に取り組んできました。だからこそ本当は全員を県総体に出場させてあげたい。
が、実際に走れるのはリレーであれば4人です。全員が走るわけにはいきません。走れない選手がいるからこそその分まで走れる選手は一生懸命にならなければいけない。そう思っています。
うーん、書いていると思った以上に長くなりますね。文才がないのでしょう。まとめきれません。また書きます・・・。