kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

室内で練習

2016-05-17 | 陸上競技
月曜日、この日は土曜日の代休のため学校は休みでした。それでも「練習をする」ことにはしていました。こういう部分は非常に難しい部分かもしれません。テスト期間中ですから「勉強優先」は当然のことだと思っています。だからといって「練習を全くしない」という選択肢はないと思っています。練習をする時間はそれほど長くありません。それ以外の時間を勉強に使えばいいだけ。そういう考え方でやっていくのは間違っていないと思っています。「自分がやるべきことをやる」という意識づけのためにもこういう部分は大切にしていきたいと思っています。

本来であれば競技場で「走練習」をしたかったのですが残念ながら朝から雨。数日前の予報では「午後から雨」という感じでした・・・。朝起きた時には降っていませんでしたが「雨雲ズームレーダー」を確認すると西の方から雨雲が近づいてきています。前日の段階で諦めて競技場での練習は取りやめていました。雨に濡れて風邪をひいてしまったら元も子もありません。特に考査期間中ですからこちらも気を使います。そのため学校の廊下での練習としました。できることをやるしかありませんから。

室内での練習ですからできることが限られます。その中で何をするかですね。階段が使えるので足運びをもう一度確認していきました。とはいっても指示を出してそれに従って各自でやっていくのですが。人数がそれなりにいますから1つの階段ではできません。男女に分かれてやるようにしています。廊下の東側と西側でやるので同時に見ることができません。そういう時だからこそ「各自が意識してやる」という部分が重要になります。付きっ切りで練習を見ることも必要だとは思いますが、時として「自分たちで意識してやる」というのも必要だと思います。「時として」です。毎回毎回「やっておけ」という流れでの練習はしません。本当はもう少し「自主性」に任せるほうが良いのかもしれませんが。

ドリルをやってからちょっと他のことをやりました。普段じっくりできない部分をです。ダイナマックスを使ってのスキップ走。これを何本もやりました。道具とスペースが限られているので「できる限りのこと」をやっていきます。それが終わってからはダイナマックスを使わずにスキップ走。スキップからランです。この練習は結構好きな練習です。ダイナマックスを使うと腕が使えません。さらには重心の移動の感覚をつかみやすいと思っています。走りの中で「前方向へのスイング」を重視していますからこういう練習で「より意識させる」ことができます。動きが変わってしまう選手はしつこくしつこく言い続けていくしかないと思っていますが。

ある程度やって今度はダイナマックスを使ってのランをやりました。10m+αですね。スパイクを履けない状況ですから滑りやすくなっています。そこの部分にだけ気をつけての練習。土曜日の練習で上手く加速できない選手が数人いたのでそこの部分の改善を意識しました。本当はもっと「ガツン」とスタートしてからやりたいのですがけがをしても仕方ないのである程度のところで我慢(笑)。そこから普通にショートダッシュ。流れの中で実施です。

ある程度の時間になったので最後に走ることにしました。走れるスペースが限られているのでどうすればいいか考えました。「折り返し走」をやろうと(笑)。廊下でやると危険かもしれませんからある程度の余裕をもってスピードを緩められるようにしました。単純に折り返しても面白くないので「並走」をしながら「折り返し走」を実施。行きは「1→2」「3→4」という感じでバトンを渡す。帰りは「2→3」「1→4」で相手を変えてやる。毎回の練習の中で「バトンに触れる」という時間を作りたいというのもありました。廊下でバトンが落ちようものなら「カラーン」という音が響き渡るので気持ち的にしんどいでしょうから(笑)。落ちたことはありませんが・・・。

ほぼ休むことなく折り返しをさせました。こういう部分でしっかりと走っておくというのは重要だと思います。細かい部分も必要だと思いますが「できる限り身体を動かす」という感じで十分かなと。1セットやってかなり疲れているようだったので3分休んでもう1セットやりました(笑)。室内ですからかなり暑かったようです(笑)。

ほぼ計画通りの時間で終了。できるだけ早く帰宅して勉強するように指示をしました。こう見えても心配性ですから何度も何度もしつこく指示します。家に帰って勉強をする。空き時間には不足する補強を行う。時間があるときに必ず身体のケアをする。しつこいようですが念押しをしています。本当であればもうそろそろ選手を信頼して言わなくてもよいくらいになっておかないといけないのですが。私が確認のために念押しをしているだけです。

少し思う部分があるのでこれはまた別に。練習はきちんとやっています。
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チーム作り

2016-05-16 | 陸上競技
前の話の続きを少し。取り組み云々ではないですが。

練習をやるときの服装、別に気にしないという指導者もいます。私はスパイクを履いた時にジャージを着ているというのを好みません。趣味の話ではなく「スピードを出すための服装ではない」と思うからです。実際にレースに出るときにジャージで走ることはありません。可能な限り試合に近い服装で練習をするべきだと考えています。

基本ロングタイツで練習をする。まーこれも感覚的な話です。長距離がトライアルやハイペースで走るときにはランパンでやります。これは学校によってこやとなると思いますがハーフパンツで練習をしているチームは「それなりのチーム」なのかなと。完全な偏見が含まれているかもしれませんが(笑)。長距離の指導者の方がその辺りは厳しく言うかもしれないですね。

昨年までは「競技場ではタイツを履く」というのがなんとなく決まっていたようです。学校ではタイツは履かない。理由は「恥ずかしいから」というもの。分からないでもないですが。強くなるとかいう前段階の話だったと思います。中学校では試合の時にタイツの上にランパンを履く、という変な服装で試合に出る選手が多い。羞恥心というのもあるでしょうが。

途中から学校でもスパイクを履くときにはタイツを履いてやる、という形にしました。恥ずかしいとかなんとかより「練習をする状態を作る」というのが最優先されるからです。強引な部分があるかもしれません。が、穏やかに「いつかその気になるだろう」という感覚ではいつまでたっても変わらないと思っています。

練習のときに着るジャージは「チームジャージ」で良いと思っています。わざわざ新しいジャージを購入して練習のときに別のモノを着用する必要はない。これも私の考え方ですから絶対的に正しいと主張するつもりはありません。が、チームジャージは部活に入って活動を継続するという段階で購入しています。これは高校を卒業してから着ることはほぼないと思います。そうであれば高校3年間の練習で毎日着れば良い。保護者の負担も減ります。もっと言えば「チームの一員」としての感覚を持つことができると思っています。そういう部分にはかなりこだわりがあります。チームとしての活動をする。

周りからすれば「別にどちらでも良いじゃないか」と思われるでしょうね。しかし、指導するにあたって私としては「こだわり」を持つようにしています。それが正しいかどうかは正直分かりません。でも「チーム作り」をする中ではこういう譲れない部分を持つことは重要だと思っています。もちろん万人に受け入れられるやり方ではないというのも分かっています。「なんでそこまでましないといけないのか」と言われる可能性は十分ありますが。

組織作りをするためにはやはり「こだわり」というものが必要になると思っています。それが「チームとしての色」になるのだと。チームによって特色が違うと思います。「見た目」はどうでも良いという指導者もいるかもしれませんが、私は「形から入る」というのは大切なことだと思っています。こういうのは「日本的な考え方」だと言われるのかもしれませんね。

少し「欲求」について書いておきます。マズローの欲求段階についてです。人の欲求は段階を追って変わっていくというものです。

人は「何かを食べたい」「寝たい」という生きていくために必要な欲求がその根底にあります。これが「生理的欲求」といわれるものです。そこが満たされると風雨にさらされることなく無事に生活したいという「安全欲求」が生まれてきます。常に命の危機に直面しながら生きていくというのは無理ですからね。この二つの欲求はもっとも基本的な欲求となります。

その欲求が満たされると「社会的欲求」「所属欲求」という段階に達します。普段の生活がきちんと送れるようになったときに初めて「集団の中に属して活動をしたい」や「仲間と共に過ごしたい」と思えるようになるのです。ここの段階にならなければ「孤独感」や「孤立感」という疎外されている感じを受けるようになります。

チームとしての活動。実は「所属欲求」がそこのベースにあると思っています。どのような集団であってもそこの中にいることで「安心する」という感じでしょうか。大半の部活はここで終わってしまう感じがあります。「みんなで集まって活動をする」というところで満足してしまう。一番の目的は「みんなで何かをやること」になる。

私が「チームとして」あれこれやるのはこの段階の欲求を早い段階で満たしてしまいたいというのがあります。「形」から入ることで「チームの一員だ」という感覚を持たせたいからです。競技に向かうためのスタートラインを早い段階で切らないといけない。「自分はチームに所属している」という部分が自覚できれば次の段階に進むのが早いと思うからです。

チームとしての活動。私としては色々と考えてやっているつもりです。細かいところを全て示してやるわけではないので理解してもらえない部分もあるかもしれませんが。それでも考えがあってやっています。第三者が「変わったね」と言ってくれるのであればそれは選手の成長ですね。こちらの求める「次の段階」に進んでくれているのでしょうから。

見守ってください。
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評価

2016-05-15 | 陸上競技
土曜日の練習後の話。

練習が終わってからある方と話をする機会がありました。話しかけてもらったという感じですが(笑)。昨年、新しい学校で部活の指導を始めてからの1年間近くで見続けてもらっていたようです。毎回競技場に行くわけではありませんから「成長」という意味では感じてもらえるのかもしれません。

昨年、バランスディスクなどを使っての指導をしているときに「面白いことをやっているね」という感じで話しかけてもらいました。スポ少のコーチをされている方なのでこういう部分には興味関心があるのだと思っていました。「見たことのない指導形態」という意味では関心を持ってもらえることは大きな意味があると思います。

私のやっている事に関心を持ってもらえるというのは本当にありがたいことだと思っています。そしてチームとしての様子を見てもらえるというのも。正直、県内で私のことを知っている人はそれほど多くないと思っています。社交的ではありませんし(笑)。自分からあちこちに顔を出して繋がりを作っていくタイプでもありません。ほぼ無名だと認識しています。が、こうやって私のやっていることを見てくださっている方がいるというのはありがたい。改めて思いますね。

「随分、チームが良くなったね」という言葉をもらいました。これまでのチームがどうだったかというのは私には分かりません。私は競技をするという視点で指導をしています。練習の流れもほぼこちらでコントロールしています。のんびりする時間を与えないので選手はキツいと思います。それでも明るく練習に取り組んでくれています。「競技をする」というチーム作りをしてきたつもりです。それが外部から見たときに「変わったね」と言ってもらえるのは選手の取り組みが認めてもらっているのだと思います。こういう評価は私自身の評価ではなく「選手に対する評価」だと思っています。

例えば同じカテゴリーで指導している方からはあまり「変わった」とは言われないと思っています。ライバル関係になるでしょうし。他校の評価というのはなかなか難しいと思っています。私的にはかなりのエネルギーを注ぎながらやっていますから「成長するのはある程度当たり前」という感覚があります。だから自分のチームに対しては「厳しい目で見る」ことになります。県全体で見てもらったときに「1年前と変わった」と言ってもらうことがあるかもしれません。社交辞令という部分もあるのではないかと考えていますが(笑)

春先から新入生の加入により大幅に競技力は上がった部分があります。これは私の指導が云々ではなく「力のある選手がうちを選んでくれた」という部分が大きい。しかし、本当に力がある選手が集まればいきなり「チーム」として機能するのかと言われたら「ノー」だと思っています。中学時代にそれなりに結果を残している選手が集まれば「集団」としていきなり機能するのは不可能だと思っています。それぞれがやってきたやり方が違うでしょうから。烏合の衆という感じなのでまとまらないと思っています。それがある程度「チーム」として周りから見てもらえるのはそれなりの理由があるからだと考えています。

それは今の3年生がチームを引っ張ってくれてきたからです。これまでとは異なるやり方である程度のコントロールの下で自分達で雰囲気作りをしていく。トレーニングに関してもかなりの負荷でやる。思うように動けない時もある中で下級生に気を配りながらやっていく。多少(?)理不尽なことがあるかもしれないですがきちんと受け止めて競技に向かっています。それがあるから「チームとして機能する」状態になってきているのだと感じています。ここで「土台」が出来ているから1年生が入ってきてスムーズに移行できたのだと思います。

「すごく変わったね」と言ってもらえるのは最大の賛辞だと思っています。それは私に対してではなく「選手に対しての賛辞」です。その方は他校の高校生(市外?)にまで「自分達のところと違うでしょう?」とアピールされていました(笑)。「雰囲気が違う」と答えていましたがどこまで本当か(笑)。それでも選手たちの成長を認めてもらえるのは嬉しいですね。

本当はこれからなのです。「チームが変わるのは3年間かかる」と様々な人に言われます。もちろん、まだまだ今のチームが成熟しているかといえば足りません。しかし、1年間の成長の度合いとしてはかなりのものだと思っています。「集団」としての土台は出来てきたかなと。1年間。私にとって多くのことを考えさせられる時間でしたが選手たちにもこれまで経験したことのない時間だったと思います。変わってきています。それを素直に評価してもらえることに喜びを感じます。

こうやって地道にやっていれば見てくれている人がいるのです。間違った方向に進んでいたらきっと修正してくれる。そう思うことができました。見守ってくださる多くの方の後押しを受けながら進んでいけたらと思います。

すごく嬉しい時間でした。選手を褒めてもらうとやはり嬉しいですね。ここに満足することなく進んでいきたいと思います。応援してくださる多くの方に感謝して。
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走練習

2016-05-15 | 陸上競技
土曜日、この日はとにかく暑かった。さすがの私も日に焼けるのではないかというレベルの暑さですね。まーほとんど気づいてもらえないのですが結構日焼けをしています。その事をアピールするのですが誰も興味を持ってくれません。扱いが悪いですね(笑)

この日は午前中が中間考査初日。PTA総会も実施されました。ありがたいことにこの代休が月曜日(笑)。日曜と月曜が休みですから普通と変わりません。可能なら中日に休みを持って行ってもらえると大変助かったのですが。私ではなく生徒が。

考査終了後に練習へ。競技場での練習もしました。少し時間が確保できるのでスピード練習ができます。考査期間中ですが総体に向けての準備を進めていかなければいけません。バトン練習なども含めてしっかりとやっていく必要があります。学校ではなかなかできない練習も競技場ではできます。普段は移動時間が確保できないので学内で済ませています。だからといって全く走らない状態で2週間を過ごすというのは考えられません。当然の話だと思っています。

練習話だといつもの流れで。ある程度の事をやってからバックストレート側で走りました。風が向かうのですがこちらの方が効率よく練習ができると判断。腿上げ、チューブ5歩と進めていって並走としました。先週は天候の関係でほとんど走れていません。1時間という限られた時間の中で何をするかという部分。雨が降れば外では走れません。可能な限りな練習をしています。

並走の辺りから一人上手く走れないので別メニュー。以前と比べるとかなり改善されています。計画的な練習が出来ていないので本人も不安があると思います。それでもやっていくしかありません。こちらとしてはできることを最大限にやっていきたいと思います。

並走である程度の調子がわかります。まずまずの者もいれば「うーん」という者もいます。走っていないこともありますし、体育の授業で1500mのタイム測定が連続であったということでした。それくらいで練習に大きな影響を及ぼすというのもどうかと思いますが。体力がないという感じなのでしょうか。こういう部分では有酸素能力を高めていうことが必要になるのかもしれませんね。あまりにも体力がない。

並走からはバトン合わせ。これはいつもと異なる形でやりました。以前県外で練習をさせていただいたときに教えてもらったメニュー。タイム測定をしました。マネージャーが初めて記録を計るのでアヤフヤな部分もありますが「目標設定」という意味合いで実施していきました。このタイム設定は私が行いました。ある程度計算してからの実施。

バトンがきちんと渡れば普通に走るよりは間違いなく速くなります。一人で走ると減速区間が生まれますが二人でつなぐとそこの区間が最小限になります。逆に上手くバトンが渡らなければタイムが大幅に落ちます。そこの部分を定期的にやっていけば「力の目安」がわかるようになると思います。この日のメインはスピード練習も含めてのバトンとしました。

150mを75mずつに分けて走るようにしました。前走者が75m、次走者が75mの150m。前の走者はスタブロから出て走る。次走者もバトンをもらってからきちんと走る。トータルで150mのトライアルとしました。 ひょっとしたら距離が怪しいかもしれませんが(笑)。ここは今後の課題ですね。朝の段階で「やっておきたい」と思ってパッと準備したことですからもっと丁寧にやっておかなければいけないですね。

とにかく課題は「減速なくバトンパスを行う」という部分ができるかどうかです。初めてやることですからなかなか上手くいかないところもあります。もう少し精度を上げておかないといけないなと感じています。勝負をするためにはここの部分は外せません。走力で勝負できなくてもロスをなくせばそれなりに対応できます。もっと言えば走力があってもバトンがきちんとつなげなれば走力は生かせません。まだまだ不安定というのは大きな課題となります。

また、「ミスをしたときにどうするか」という感覚も身につけてもらいたいと思っています。そこまで考えておかないと「万が一」のときに対応できません。「ミスは起こるもの」として考えておかなければ緊張した場面では対応できないと思います。「どんなことがあっても渡す」というのは徹底したいと思います。あと何度バトン練習ができるか分かりませんがしつこくやっていきたいですね。

最後に走練習を。150mからのセット走にしました。本数もそれなりに。走っていないのでどこまでスピードが維持できるか分かりませんが。思うように動かない者もいます。当然です。その中でどう練習をするか。休んだら疲れが抜けて走れるようになるというものでもありません。走る中で感覚をつかんでいくしかないという気はしています。それでも良く我慢して走っていました。スピードを保つためには意識して動かすしかないですから。短長はヘトヘトになっていました。こちらもやっていくしかないと思っています。

疲れてくると本人たちの意識と気持ちが伝わってきます。適当に走っているわけではありません。こういう気持ちに応えてあげられるかどうか。単純に全員が飛躍的に強くなることはありません。その中でどうやって力を上げていくか。戦うためには全員で力を合わせてやっていかなければいけないと思います。ある程度の手応えはあります。勝負できる水準まであと少し。

来週は短い距離を走る頻度を増やしておきたいと思います。走る中で動きを作っていけたらと思っています。

少し補足的に書きたいことがあるのでこれはまた別に。内容があまりないもしれませんがお許しを(笑)
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ノイジーマイノリティ

2016-05-14 | 陸上競技
ここ最近の世の中の流れ。まー別に私がどうこういう話ではないんでけどね。とにかく「他者批判」が多すぎる。ここに関しては多くの人が感じているのではないかと思いますが。

何か他の人と違うことをする。または目立つ事をする。そうすると驚くくらいの「非難」を受ける。震災に対して誰かが何かすると「匿名」で「売名行為だ」「偽善だ」と叩く。これにより「行動を起こす」事がすごくやりにくくなる。実際に震災に遭った方々が「有名人に何かをしたもらうことは迷惑だ」と口にしているのであれば考えないといけないと思う。しかし、ここで問題になるのは「無責任な第三者」の場合が多いということ。

目立つ所を批判する。これが大多数の意見なのか、少数派の意見なのか。「ノイジーマイノリティ」という言葉がある。「マイノリティ」とは「社会的少数派」という意味。「ノイジーマイノリティ」とは「声が大きい少数派」となるのかな。世の中では「声が大きい者の意見が正しい」と誤解されやすい。本当に正しいかどうかではなく「おかしいんじゃないか」と大々的に批判する人間の意見がまるで「正しい」と錯覚を起こす。

日本人の美徳というか「何も言わずに行動する」というのが好まれる。そして集団に属する者の大半は「どうでもいい」と思っていたりする。海外ではボランティアや寄付をした場合は「やっていますよ!」と公にするらしい。他者のために何かをやるというのは「ステイタス」だったりする。そこに関して「批判する」事は起きない。日本だから起きる出来事なのかもしれない。

今回は「ノイジーマイノリティ」が批判する部分は実は「何一つ生産性がない」というのが最大の疑問。他者を批判して「行動しにくい」状態を生み出す。それにより誰が救われるのか?この際、偽善だろうがなんだろが関係ない。人が行動することによって困っている人にプラスになるならそれで良いんじゃないか。何もしないで文句ばかり言っているよりは嘘でも行動するほうが良い。

前も書いたが「うどんカルタ」を発売する時にある読み札が「女性軽視だ」と批判があった。この時、どれだけ多くの人が「女性軽視」と感じただらうか。公務員は「税金で給料もらっているくせに」という見方をされやすいので少数派の意見でさえも反映させることが当たり前だと思われる。立場が弱いという気はない。が、実際はそういう見方をして公務員パッシングをする傾向は強い。

かと思えば都知事のように「ありえない」と思われる行為があっても「これから頑張るから良いでしょう?」という態度で物事を押し切る人もいる。感覚的には「アウト」だと思うが「辞任する気はない」といえば何とかなりそうな感じになっている。恐ろしいほどのお金を使って海外視察に行き、公用車で別荘に通う。「向こうに行ってきちんと働くために」とファーストクラスの席で海外に行く。

おいおい、我々は新潟国体はマイクロバスで15時間くらいかけて移動したよって話です。それでもキチンと選手のサポートはしました。当然の話です。無駄なお金を省くことで他の事に使える。

「都民が辞職を望んだらどのように対応するのか?」という質問に対して都知事が「あとは有権者、都民の皆さんの判断にお任せしたい。ただ、都民の声をどういうふうに測るのか」と応えていた。こういう場合「辞職を望む」と発する都民の声は「ノイジーマイノリティ」だと言われてしまうのだろうか?

前も書いたかもしれないが子どもがゲームを欲しがる時に「みんな持ってるから」という言い方をする。いや、その「みんなって何人?」って話になるよねって書いた気がする。主張する人間の感覚によってその「みんな」は変わってくる。全体の1割であってもその1割が自分の周りに集まっていたらその人にとっては確かに「みんな」かもしれない。統計を取っている「みんな」ではないから判断が難しい。

ノイジーマイノリティ。捉え方によっては誰がノイジーマイノリティで、誰がサイレントマジョリティ(物言わぬ大多数)なのかは分からない。
私のやり方はマイノリティなのかもしれない。こうやってblogであれこれ言うのも「ノイジーマイノリティ」だとして捉えられるのかも。もっともっと物事をしっかりと捉えられる人間になっていきたいと思う。

あー何を書いているのか分からなくなりました(笑)。どうしても物事を小難しく考えてしまうのでダメですね。まー読み飛ばしてください。思うことの一部を書きました。別に政治的な主張をしているわけではありません。あしからず。
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やれることをやる

2016-05-14 | 陸上競技
金曜日、かなり天気も良く過ごしやすい1日でした。私はすでにポロシャツ生活。明け方少し寒いかなという感じはありますが日中はちょうど良い感じでしょうか。


この日は朝勉強会をやって午後からは練習なし。翌日が中間考査初日なのでしっかりと勉強をするようにしました。代わりというつもりはありませんが他の日に少し練習が積めたら良いと思っています。1年生にとっては最初のテストですからやはり気になるでしょうし。考査期間中は勉強優先にしてきました。もちろん県総体に向けて練習はやらないといけませんが、学校の流れがありますから「最低限の練習」と位置づけています。「やれることをやる」というスタンスですね。

放課後は半強制的に残して勉強をさせる者が1人。他はクラスの生徒が何人か残って勉強するということなので付き合いました。どうせ付き合うならということで選手のケアも同時にやることにしました。選手は横になっているだけですから勉強をさせながらの治療です。翌日は暗記教科という事だったので可能かなと思って実施することにしました。これも時間の有効活用だと思っています。

治療をしながら身体を動かす。その繰り返し。2時間近くやったでしょうか。随分良くなったと思っています。あとは「大丈夫」という自信が持てるかどうかだけだと思っています。こちらは「最大限のことをやる」というスタンスを取り続けたいと思っています。どうせやるなら「真剣にやりたい」と思っています。本人が「絶対に強くなる」と思って取り組んでいるのであればそれに応えるのが我々の役割だと認識しています。

2時間して帰って勉強をさせることに。クラスの生徒達はそこからさらに30分程度残っていました。もう1人部員を残していたのでこちらも治療しながら勉強をさせました。私の時間は3時間以上使われましたがこれで選手が少しでもプラスになるなら苦にはなりません。もちろん、本人達が「本気でやる」という前提条件が付いていますが。それができないのであればこちらも労力を使う必要はないと思っています。

また、「指導を信じて付いてきてくれる」というのも必要なことだと思っています。なぜテスト週間中に時間を取ってこの子達に「勉強」と「治療」を同時展開でやっているのか。あれこれ言われるかもしれませんが、県総体で力を発揮してもらいたいと思っています。そのためには限られた時間をどう使うかだと。ここが出来なければ間に合わなくなります。最大限の力を発揮するためには「その時に出来ること」をやる必要があるのです。勉強をするな、なんてことは言っていません。可能な限り勉強しながら治療をしようと言っているだけです。

話は大きく逸れますがblogに「リアルタイムアクセス」とい動かす機能が付いています。何時に何人アクセスしたか?!というのが表示されるのです。別に気にしていなかったのですがふと見てみると「60アクセス」を超える時間がありました。たまたまだとは思いますが。同じタイミングで60人がアクセスするというのは通常では考えにくい。どこかで誰かが紹介したから一気にアクセスするというのはパターンでしょうか。

こうなると「どこに興味があってアクセスしたのか」というのは気になります。それほど万人受けする内容ではありませんから。トータルでも300人くらいのアクセスになっていました。これが多いのかどうか分かりませんが、私のような普通の人間のblogに300人が興味を持ってくれるというのはありがたいことなのかもしれません。目につくと批判の対象になりやすいというのもありますが(笑)。普段は200人くらいが見にきてくれているようです。そんなに沢山の知り合いはいないのですが。何かあった時にいきなり増えるというのがパターンですね。今回は何もないのですが(笑)

私は私のスタンスでやっていきたいと思っています。特に何かを変えるつもりはありません。注目されたから何かをやるというのは面白くないですから。やれることをやる。できないことはやらない。それだけです。私自身が「絶対に必要やるんだ」と決めたことに対してはやります。そうでないものはそこまで熱を入れません。「差別」だとか「不平等」と言われようが関係ないと思っています。何をもって平等なのか?なんて誰かが規定できる話ではないですよね?

私は私のやり方で信じる道を進みたい。もちろん前と比べると変わってきている部分もあると思いますが。

思うことはあるのでそのうちまた別に書きます。とりあえず記録として残しておきます。
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短時間で走る

2016-05-13 | 陸上競技
思う事がありすぎてなかなか書けません(笑)。全てを書けるわけではないから難しいですねー。まー当たり障りのないことをいつも書いているつもりです。かなり「納得できない」事があったりするのですが「対応する力」を私自身が身につけないといけないと思っています。

そんなこんなで木曜日、練習は走練習としました。色々と頼まれごとがあってそちらに対応しながらの指導でしたから細かい部分が見れていません。こういう部分は自分でももっと考えないといけないですね。こちらとしても「一生懸命にやろうとしている選手」に対してのサポートはやっていきたいと思っています。

練習自体は1時間程度をめどにしていました。が、今週はほとんど走れていないので少し長めに。天候が悪くとても走れる状況ではありませんでした。廊下で短い距離を走りましたがとても足りません。トレーニングとの兼ね合いもあります。連続で走ってもよかったのですが金曜日はテスト前日なので休みにしたいと思っていたので水曜日にトレーニング、木曜日に走るという形になりました。

練習はいつも通りの流れで。動的柔軟を行ってから膝締めのドリル。そこからチューブもも上げ、ハードル壁という感じです。特別書いておかなければいけないことはない感じです(笑)。ハードルを使った股関節周辺の動きをやってから連続抜き。そこからスパイクを履いてチューブももあげ、スピードスキップ、チューブ5歩、ショートというながれでしょうか。重石即ない練習ですが走るメニューの時にはこの流れで実施しています。

そこから並走4本。バトンの確認をしながらですね。久々のバトンということもありまだまだ精度が低いなという感じでしょうか。ここの部分は「生命線」といってもいいくらいです。どれだけ強い選手が集まってもバトンがきちんと渡らなければ勝負になりません。女子は「最低限のバトン」だとしても渡さなければいけません。まだまだ1年生主体ですからこちらが求めるレベルのバトンパスにはなりません。もう少し時間がほしい。逆に男子は「バトンで稼ぐ」という感じでなければいけません。走力的に負けているのですからほかの部分で稼がないと。

並走が終わってから30&60を2本ずつ。ここには総体で走らないメンバーにも協力をしてもらいました。女子と一緒に男子を走らせたり、男子の少し前からスタートしたりとそれなりの「工夫」をしていきました。練習の目的を果たすというだけではなく「競争させる」ことで高いスピードを出すということができます。ここが一番大切。本数が少ないのですから「質」を上げなければいけないからです。

さらには60mの併走を4本やって終了。本数的にはそれほど走っていませんが休息を取らずにいっています。技術的な部分もしっかりと考えないといけないのですがこの状況で細かいことはできません。高いスピードをできるだけ保つ。これだけです。学校の狭い範囲の中でできることを最大限にやっておく。ここしかないと思っています。それほど長い時間ではありませんでしたが終わらせることができました。

欲を言えばもっと私が選手に関われたらよかったかなとは思っています。もっと確認するべき内容もありました。これではダメですね。自分自身の反省が大きかった練習でした。総体に向けてもっともっと確認していくことがある。しつこいくらいに徹底すること、確認することが重要だと思っています。最後は選手次第ですがそこにたどり着くまではやはり私の仕事だと思っています。

とりあえず記録として残しておきます。
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価値を見出す

2016-05-12 | 陸上競技
人はそれぞれ「考え方」がある。何に対して「大切」を思うかは各人によって異なる。これも当然。同じものを見て「美しい」と思う人もいれば「嫌だな」と思う人もいる。これはどちらか一方が正しくてどちらか一方が間違っているというものではない。「見方が違う」だけだから。

陸上競技をやっていても同じこと。「身体を動かすこと」という部分に「価値観」を見つける。こういう場合は「競技」というよりは楽しくやりたい、という部分が強くあるかもしれない。逆に「競技志向」が大きければ「強くなるために努力するのが当たり前」という感じになる。私自身はどちらかというと「後者」の価値観で生きてきた。が、それ以外の感覚を否定する気はない。どちらかというと「突き詰めてやりたい」と思っていたので「別世界の陸上」と認識していた。

練習をしないで試合に出る。毎日の練習に対して「なんでこんなきついのにやらないといけないのか」と不平不満を言う。毎日の練習でサッカーをしたり野球をしたりする。この状態で「試合に出る」ことに意味があるのかどうか。これは私の感覚。「試合に出たいのだから良いじゃないか」という価値観の人もいて当然。こういう場合、どこかで「折り合い」をつけなければいけないと思う。

陸上競技は個人種目だからある程度好きにできる。そう思われやすい。一人でもできる部分があるから当然そうだと思う。しかし、私は違うと思っている。競技をする中で多くのことを学ぶのであれば「自分とは異なる他者」を理解する必要がある。まーお前が言うなという話でしょうか(笑)。部活動として陸上競技をやるというのは非常に難しいのかもしれない。「楽しくやればいい」「放課後に集まって話がしたいだけ」という生徒の受け皿になる学校もあるだろうから。私は「やるからにはしっかりとやりたい」と思っている。全国レベルで活躍できる選手だろうが県総体に出場できない選手だろうが「今の自分よりも力を上げたい」と思って練習ができれば「共存」できると思っている。

もちろん、高校生だから「すべてを全力でやる」というのは簡単ではない。その日の気分によって取り組む姿勢の変化があるかもしれない。本当に強くなりたいのであればそれではダメだが、高校生にそれはわからない。私のようにそれなりに年を重ねて何年も「失敗する選手」を見てきたから「それではダメだ」という話ができるだけ。本人たちは「今」の自分が基準なので「今の取り組みで上手くいく」と思っているかもしれない。いや、そこまで考えていないかもしれない。「競技者」として本気になれる選手はそれほど多くはない。

「今」目の前にあることに対してどう思えるか。そこに「価値観を見出せるか」が重要だと思う。「楽しくやる」というところに「価値がある」と思えばそれは「価値がある行為」だと思う。「それなりにやりたい」と思うのも「価値観」だと思う。

部活動は間違いなく「顧問に左右される」と思っている。その種目の専門の方が顧問に就くこともある。逆に全くの素人が顧問になる場合もある。「専門」といってもその競技をやった経験があるという方もいれば「必死に競技をやっていた」という方もいるだろう。自分がやるのは好きだが指導するのは好きではないという方も。その取り組み自体を「否定することはできない」と思っている。「自分たちは一生懸命にやりたいのに顧問が見てくれない」という高校生もいるだろう。逆に「それなりにやりたい」のに顧問が「全力強くなることを目指す」という方針で進めていくので「こんなところではやりたくない」と思う高校生もいるだろう。

価値観がマッチングするということは実は少ないのかもしれない。指導を受けたくても受けられない選手が多くいるのも事実。これは巡り合わせだと思っている。競技をやりたいと思っているところに偶然、新しい顧問が来ることだってある。逆に競技をやりたいと思ってその学校に行ったが顧問が転勤してしまったというのもあるだろう。こういうのは「巡り合わせ」だと思う。「いい指導者だ」と聞いてその学校に行ったが「全く合わない」ということもあるだろう。これも分からない。不確定要素が多いから。

私は「陸上競技」に多くの価値があると思っている。そう信じている。そう思わない人がいても当然だと思う。「価値がない」という人に「これは価値がある」といっても全く通じ合えないから。芸能人の「サイン」が欲しくてたまらない人はいくらでもお金を出して買うだろう。私は一切興味がないので芸能人にあって「サインをあげようか」と言われたところで「別にいいです」と断ると思う。もらっても困るし。

自分が「価値を見出したこと」に関しては人は貪欲になる。「もっと」と思う。そうでないものに関しては興味関心を持たない。競技を本気でやろうと思うなら「陸上競技」に関して興味を持つ必要がある。自分の身体に関して興味を持つ必要がある。食べるものに関して関心を持つ必要がある。練習の意味に関して興味を持つ必要がある。「本気でやる」とはそういうことではないか。

言われたことだけをやる。これは「価値を見出したこと」にはならない。自分から何かをしようとしているわけではないから。もちろん最初からそういう行動ができるとは思っていない。人は少しずつ気づいていくのだから。

思うことをそのまま書いています。別に何かがあったわけではなく。普段から思っていることを書いただけ。面白くないですね(笑)。お許しを。
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考える

2016-05-12 | 陸上競技
これまた雑記のような記事になります・・・。興味がない方は読み飛ばしてください。

「自分のスタンス」を持つことはすごく大切なことだと思っています。これは「譲れない」と思っていました。「軸」となるものを持ち続ける。それがブレてしまったらいいことにはならない。こういう性格ですから「最短距離をまっすぐ進みたい」と常に思っています。理不尽なことに対して「自分を曲げる」というのは違うのではないかとずっと思ってきました。もちろんそれが正しいかどうかは別にして。「処世術」というのが下手だと思っていました。

が、いろいろとあって「理不尽」でもやらなければいけないことがあるというのを感じました。「理不尽さに負ける」というのは自分の中で「これは違う」と思っていました。が、「まっすぐ進む」ことによりそれに伴う弊害が生まれる。いや、正確にいうと「間違っていない」という感覚は持ち続けています。が、それだけでは「上手くいかないことが出てくる」のです。「長いものに巻かれる」という生き方はしたくない。「おかしい」と思うことに対して「おかしい」と言う。が、それだけでは「単純に敵が増える」ことがある。いや、難しい。

世の中には「正しい」「正しくない」で判断できないものがたくさんあります。「論理的な考え方」で物事を考えていくことは大切だと思っています。しかし、「感情で動く」タイプの人にはその手の「考え方」は全く通用しないのです。客観的に見て「おかしいぞ」と思うことであってもそれは「感情で動く」人にとっては「正しい」のです。「嫌だからダメ」という感情が最優先になるので「粗探し」となり「できていない部分」をひたすら突かれるようになる。こうなると「やりにくいこと限りなし」です。「揚げ足を取る」というのと同じですから。

この年になってやっとそのことに気づきました。遅すぎますが(笑)。オリンピックの開催地を誘致するために「ロビー活動」といわれる活動があります。「活動を知ってもらう」「認知してもらう」「認めてもらう」ためには「競技の本質とは異なる」アプローチも必要になるのだと思います。ロビー活動の意味合いとしては「政治的に力を持っている人に対して優位にしてもらうためのアピール」みたいなものでしょうか。私自身はこういう活動が苦手なのでこれまで極力避けてきました。周りに対する気配りはそれなりにやってきましたが「ロビー活動」のようなことはしていません。

こういう「下準備」というか「根回し」というか、「どのようにすれば円滑に物事が進むか」という部分に対して「不足するもの」があったと思います。40歳になろうかという人間がいまさら何を言っているのかという話ですね。「正しい」と思うことをやっていたらそれでいいわけではない。世渡りが下手だという認識はありましたがこういう部分が不足しているのが明確ですね。純粋に「競技と向き合う」「選手と向き合う」だけで物事がスムーズに進むのであればいいのですが祖霊以外に事が多い。当たり前ですね。

自分を持つことは絶対に必要です。が、それだけではない。例え信念を曲げてでも「選手にプラスになる」ことであればやらなければいけないのだと思います。もちろん、法律を犯したりルールを破ったりするのは違うと思っています。取り巻く環境を整えることができなければ「本当にやりたいことができなくなる」という感覚は持たなければいけないと思いますね。

自分のスタンスを貫く。こうやって前の記事に書きながらも「環境に適応する」という部分も必要だと思っています。時と場合によって変わる必要もある。本来であれば「必要ない」と思っていますが私自身だけのことではなくなることのほうが圧倒的に多くなるなと思っています。私だけが批判されて物事が終わるのであればいいかなと思いますが。

ちょっとわかりにくい話ですかね。「自分のスタンス」を持ちながらも柔軟性を持つ。その部分だけ見たら「矛盾している」と言われるかもしれませんが・・・。思うことがあり書きました。
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自分のスタンス

2016-05-11 | 陸上競技
競技とは少し離れるかもしれませんが、書いておきたいことがいくつもあるのでそのうち一つを。

こう見えても他校の選手から話しかけられることが多い。それが何故かはわかりません。大学生や社会人選手、さらには高校生と幅広く話をすることがあります。これはほかの指導者とは違うかもしれませんね。先日の県選手権でも多くの選手と話をしました。うちの選手の保護者と話をしてたのですが競技が終わった大学生が話をしに近づいてきました。保護者が遠慮されて少し離れられました(笑)。おいおい、どちらが優先なんだ?!という感じですが(笑)。

こういう部分ではありがたいなと思っています。関わった選手たちがこうやって近況を報告してくれたり「どうでしたか?」と話をしてくれるというのは「自分らしさ」にもつながっていくと思っています。別に私が毎回毎回何かをしてあげているわけではありません。それでも話しかけてくれる。身近に感じてもらえているのかもしれません。もちろん全員がそのような形で関わってくるわけではありません。挨拶もせずに横を通り過ぎていく選手もいます。それはそれ。気づかないのかもしれませんし、関わりたくないのかもしれません。

別に話しかけられることにステイタスを感じるわけではない。正直、「どちらでもいい話」なのかもしれません。前任校でもありましたがチームが上手くいっていないときなどは「自分のところの選手からは嫌われる」「他校の選手から好かれる」という状況がありました。本当にかなり前ですけどね。全員から好かれるとは思っていませんし、そんなことがあったら「気持ち悪い」と思います。私の存在が「嫌で嫌で仕方ない」という人がいても当然だと思います。まー、そこまで嫌われるようなことをしてきたつもりはありませんが。

私自身は「人に好かれよう」と思って行動することはほとんどありません。こういう性格ですから。「長いものに巻かれる」という生き方はできません。納得できないことに対して素直に従って行動するというのはほぼ不可能。それが「選手のため」になるのであれば自分を押し殺してでも行動できますがそうでなければ・・・。尊敬できる方には「尊敬している」ということをきちんと伝えまし、そのような態度で接します。その方たちのためであれば自分の時間を削ってでも何かやろうという気になります。

生徒や選手に好かれようと思ったことは残念ながら一度もありません。そういう仕事ではないと思っているからです。最近はほとんど怒らなくなりました。とはいえ、ここ数日間で3回くらい切れましたが・・・。「やるべきこと」をやらないというのは許してはいけないと思っています。中学時代に「普通の子」として見られていた。が、よくよく見てみると「不足する部分がある」と思っています。中学では「義務教育」ですから「手がかかる子」もいるでしょう。その子たちに労力が割かれ「普通の子」はそれなりにやってきた部分があります。実は「面倒を見てもらっていない」という部分。これは仕方ないと思っています。

何かあった時に「仕方ないよね」という形で終わらせることはできません。「絶対にやるように」と言っていたことを繰り返しやらない。それはこれまで許されていたのかもしれません。しかし、それではこれから先に困る。別に私は困りません。「忘れた?仕方ないね」「次はきちんとやろうね」「なんでできなかったのかな?」なんて悠長な話をしていたらダメだと思っています。「ダメなものはダメ」というスタンス。

「○○くんはいろいろな事情があるから許してあげてほしい」という話もあるかもしれませんが、それは「不平等」だと思います。できていないことに関してはどのような「理由」があろうと「ダメだ」と伝える必要がある。もちろん、特別な事情があれば話は聞きます。しかし、それが突発的に起きることなのか。もし「特別な事情」があるのなら先に伝えればいいだけのこと。「仕方ないよ」で済ませていたら何も変わらない。次も同じことをしてしまう。

ある事について連続で注意をしました。それも複数の事が重なるので。今言ったことをやらない、できない。また前日に注意した事と同じ事をやる。難しい事を求めているわけではありません。「やれば出来ること」を求めているのです。それなのにやらないのは誰が悪いのか?誤解なきよう書いておきますが「やるのが当たり前のこと」を言っただけです。絶対にできます。時間も10分もかからず出来ること。それをやらないのは「やる気がない」と思われても仕方ないはず。

周りの人は親しげに話しかけてきます。激怒する姿を見ないからなのかもしれません。世間一般的に見ると私は「優しい人」なのでしょうか?いや、そんな事はないと思うんですが(笑)。かなり厳しく接しているつもりです。だからと言っていつもピリピリしているわけでもない。

以前は練習中にかなりピリピリした雰囲気の中でやっていたことがあります。こうなるとお互い疲れてしまいます。いい練習ができない。授業もクラスも同じ。私なんてクラスで野菜を育てているのですから。だからと言って「譲れないもの」はあります。そこを持ち続けているから子供達も「これはまずいな」と感じてくれる。なあなあでやってしまう事は避けたいからです。

距離が近いかどうかはよく分かりません。が、譲れないのを持つ。それは私のスタンスです。上手く書けませんが。自分の考え、スタンスは持ち続けたいと思います。

まとまりのない文章です。お許しを。
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