今更ですが。ちょっと考えていることを記録しておきたいと思います。
走ることについて。今まで色々なことを学んできました。走る動きを抜き出して「ドリル」のようにしてやる練習というのもやったことがあります。スプリントのためのドリルですね。様々な情報が行きかう世の中で「何が正しいか」というのは分かりません。判断するのは自分自身でしかない。膝締めをする。そのまま接地局面を考える。この手の練習をひたすら繰り返して「動きの改善」をしていた時期があります。そのときは「絶対的に正しい」と思ってやっていました。間違っているとは思っていません。
が、勉強していく中で「ドリルに割く時間」というのが走りに直結するのかどうか疑問に思うようになりました。ドリルだけがうまくなってそれが「速く走るため」に繋がっているのかどうか明確に見えない部分があるからです。関西では「動きづくり」がどれくらい行われているのか。これまで練習を見たチームではほとんど実施されていません。それでも「速い」という事実。
「膝締め」が必要だと思います。が、そこだけに特化してやっていても「走りにつながらない」部分が出てくるのであれば勿体ないなと。そうであれば別の形で走りを作っていくほうがいいのではないかと感じています。「走っていれば自然に走りが良くなる」という考え方もあるかもしれませんが、それは「遠回り」になる。できるだけ「最短距離」で速く走るための練習はないのかというのを考えています。それはどこも同じかもしれませんが。
これまでは「走る」という部分を重視してきました。そういう種目ですから当然といえば当然なのですが。が、そこに「落とし穴」があったのではないかなと感じています。実は「走る」という部分を作るためには「そこまでに何をするか」のほうが重要なのではないか。何を言っているのか?と思われるかもしれません。予測の範囲内です(笑)。
「走る」という行為は大半の選手であればできます。小学生でも高校生でも「走る」という部分はできる。単純に「走る」というだけではなく「速く走る」という部分が重要になる。そうであれば「速い人」と「遅い人」の「差」について考えていく必要があると思います。
技術的な部分の改善をしなくても「もともと速い選手が存在する」という事実は紛れもない事実です。何もしていないのに「突然速くなる」というのは考えにくい。小学校の頃からリレーの選手になっていたりすると思います。ここは「意識しなくても自然に必要な動きが出来ている」という部分かもしれません。「作っていく走り」と「自然に速い走り」では違うと思います。
「速いから正しい」というのは違うのかなと思います。バイオメカニクスなどは「速い選手」の動きを分析して「~だから速い」という「理由付け」をします。間違いなく「後付けの理由」です。共通する動きがあるかもしれませんが、「本人の意識」と「現象として現れる動き」の差を埋めることはできていないと思います。
ここで話が戻るのですが。「ドリル」を徹底しようと思っていた時は「速く走るために必要な動き」を追い求めていました。ある程度の「型」があってそれに近づけば速く走れる。脚運びなども同様ですが。「速く走るためには」という「枠」を自分の中で作っていてそれをにはめていく感じで「走りを作る」という感覚がありました。「走ったら強くなる」と考える指導者には絶対に理解してもらえない感覚だと思います。「走っていたら強くなる」というのは「当たり外れ」が出ます。「元々足が速い選手」であればその形がハマるかもしれません。だって「元々速い」のだから。走っているうちに体力がついて速くなるということはあり得る。
13秒台の選手が12秒1まで行く。この部分を経験する中で「型にはめる」という練習から少しずつ抜け出してきました。「やりたい動き」はある。が、それは人それぞれによって異なる部分がある。それを引き出すための練習というのが存在するのではないか。そう考えるようになりました。その時点で前任校から転勤したので確証を獲る前に終わっていたという感じでしたが。
新天地では「練習をする」という部分から始めていったので「流れ」ができませんでした。その中で選手と出会うことができてIHへ進む。不器用な選手たちでしたから「型にはめる」という部分が合わないなというのもありました。腕振りなどに関しては「何故直さないのか」と言われることも。そこも本当は必要だと思うのですがそれ以外のことが多すぎて。
で、現在。県新人でリレーで2位となりました。これは普通考えたらなかなかできない話だと思っています。ある程度の成果なのではないかなと。が、この冬は本当に「速く走ること」について考えていきたいと思っています。「走る」練習も大切だと思っていますが、走るまでに「速く走るために必要なこと」を徹底する。走る量はそこまでではなくても「必要なこと」をしっかりやることで結果として「速く走る」ことにつながるのではないかなと。
非常に表現が分かりにくいと思います。月曜日の練習であれば2時間しかない時間の中でスパイクを履いている時間はトータルで「30分」くらいだったと思います。走っている時間が「30分」だったらかなり走っていることになりますが(笑)。スパイクを履いている時間が30分程度かなと。歩いて戻る時間なども含めてですからかなり少ないのではないななと思っています。実質走ったのは10バトン2本、25並走2本、120m-90mの走練習、40-50-60のバトン走2本ずつ。距離的にも500mに足りないくらいかなと。
それがどうなのか今のところ分かりません。しかし、「走る」という部分を求めていくとそこまでの「準備」が必要な気がしています。走っているときに「細かい部分の修正」はできません。「走るときに意識する部分」を「走る以外の練習で意識」する必要があるのではないかと思っています。「走る」という行為の前までに「速く走るために必要なこと」をやっておくことで「走りの質」が自然と上がるのではないか。
ほぼ意味の分からないことを言っていると思われるでしょう(笑)。もちろん、「やるべき動き」が理解できないと上手くいかないと思います。そこに対しては「速く走りたいという想いの強さ」が大きく影響すると思います。「何が必要か」をしっかりと考えてやれる選手にならないといけない。「与えられたこと」をなんとなくやっているだけでは何も変わらないと思います。
うーん、まとまりませんが。このことに関してはもう少し書きたいと思います。意味が分りにくい内容だと思うので。