こんにちは。
第19期生佐々木辰也です。
ここ数日で新型コロナウイルスの検査陽性者数が急増したという首長の会見がありましたが、これが1~2週間程度前の感染を示していることから、まだまだ油断できない日々が続いています。みなさまにおかれてもご家庭、事業への心配事が絶えない状況とお察しいたします。
人類はこれまで疫病との戦いを何度も繰り返してきました。古くは紀元前16世紀の聖書に出てくる疫病や14世紀欧州のペストの流行がありました。さらにコロンブス以後は様々な感染症が海を越えて拡がるようになって、人の移動が激しくなったこの21世紀においても続いています。
これらの疫病との戦いには、常に人類が勝って命をつないできました。今回も戦いに勝つために私たち生活者ができることは、自らが感染しないこと(3密を避けること)、感染有無にかかわらず他に感染させないようなふるまいをすることの2点ではないかと思います。
みなさま、一日でも早い勝利宣言ができるよう、それぞれの生活空間の中で頑張っていきましょう。
さて、話は変わりまして暦は4月となり、新年度・新学期を迎えました。みなさまの中にも、今週から生活環境が変わったもしくは変わる方も少なくないと思います。
我が家ではこの春から、長女が大学に進学すると同時に離れた土地で一人暮らしを始めるようになります。今週末はその引越しを行う予定です。 (ウィルス対策のための都市封鎖になる心配もあるので、その前に自家用車で引っ越し荷物だけは運び込もうと思っています。)
息子ならともかく、娘を人一人暮らしさせるなんて思い切ったねえ、と周囲から言われました。
とはいえ、18歳になった娘が一人暮らしを通じてひとまわり成長してほしい。親としてそう願って送り出すことにしました。
「親子は時に別々でもいい」
そんな言葉が思い浮かんだとき、リゾナーレ(ホテル)のことを思い出しました。
リゾナーレは山梨県にあるリゾートホテルです。かつては、リゾナーレ小淵沢という名称で法人会員制のホテルでした。 八ヶ岳の麓という自然豊かな環境にあって、静かで雰囲気が良い施設でかつ都心から近いため、東京からやってくる若いカップルをターゲットとしていたそうです。レンガ調の低層の洋風建物はイタリアの建築家が設計しており、レストランや食事も洋風で、まるでイタリアの田舎にあるお城を改装したアグリツーリズモのようでした。
勤め先の厚生宿泊施設でしたので我が家でもかつては数回利用したことがあり、当の長女が生まれて3か月のころにも行きました。目的は、家族や妻の母・妹に日常を離れてくつろいでもらうためで、いわば家族サービスでした。(もっとも私の密かな目的は、ホテルの南にある河岸段丘を下り、そこに流れる釜無川で早朝マヅメ時にアマゴやイワナを毛ばりで釣ることでしたけど。)
しかし、子供たちが成長するにつれ足が遠のき、ここ10年くらいは思い出の記憶の中だけのホテルになってしまっています。
その後、ホテルは不振が続き、親会社の破綻後に星野リゾートに買収されてリゾナーレ八ヶ岳と名称を変えました。
リゾナーレを買収した星野佳路社長は、業績回復のためのコンセプトづくりメンバーに従来からの社員をあてて、一切を任せました。
検討の結果、ターゲットについては「若いカップル」から、「小さな子供のいるファミリー」に変えるという大英断をしました。しかし、これでは他のリゾート地に競合が多くあります。そこで、差別化するためにかなり時間をかけて顧客を観察したそうです。
小さな子供のいるファミリーは家族サービスのためにリゾートホテルにやってきます。
観察では、「サービスする側」である父親もしくは母親と「サービスされる側」である子供という構図が固まっているという気づきがありました。そして、「お父さんお母さんがせっかくの休みなのにくつろげていない」という顧客課題に辿り着きました。
そこで検討の中では顧客価値を考える前提として、「親子がいつも一緒でいるべき」という固定観念を捨てることにしました。
「親子は時に別々でもいい 」
メンバーが考えたリゾナーレが生まれ変わるためのサービスは、「子供向けにはホテルスタッフによる様々な体験教室、お父さんお母さんには読書室」という画期的なものでした。さらに、楽しんでいる子供の姿を親たちが遠くから見ることができるように、読書室の窓をガラス張りにしました。
コンセプトは「親のためのファミリーリゾート」 に決まりました。
その後のV字回復や、リゾナーレブランドの全国展開はご存知の方も多いかもしれません。
週末に引越しを控えた娘とともに私の妻は一人暮らし用生活用品を買い集めています。それがこれから心配を紛らわせるプロセスなのか、それとも遠くから子供を見守る決心をつけるための儀式なのかわかりません。我が家では、別々に暮らす不安や期待が入り混じり、さらに新型コロナウイルス問題も絡んで、それぞれが複雑な気もちで日々が過ぎていっています。