稼げる!プロコン育成塾コースマスターの太田一宏です。
昨年の暮れに渡辺恒雄氏が亡くなられましたね。阪神ファンの筆者にとって、その印象は強引な企業家というものです。
ですが、そこに至るまでの記者としての生き方は、取材対象の気持ちを汲む素晴らしい聞き役だったようです。先日、再放送されていたインタビュー番組でも、その認識を新たにしました。
その取材対象は主に政治家でしたが、その一人が自民党副総裁を務められた大野伴睦氏。そのインタビュー番組でも語られていましたが、大野氏が渡辺氏へ贈られた言葉に「義理と人情とやせ我慢」というものがあるそうです。
義理と人情、という言葉にはある程度の馴染みがあるでしょう。では、意味はどうでしょう。
義理は、「人が他者に対し、交際上のいろいろな関係から、いやでも努めなければならない行為やものごと」という意味で「義理と人情」というフレーズのなかでは使われていますが、もとの意味は、物事の正しい筋道であり、そのから転じて、人間関係上の務め、という用法が生まれたようです。英語に訳しにくいですが、dutyが近いようです。
人情は、自然に備わる人間の愛情です。こちらの英訳は、heartが近いそうです。
筆者は二つとも大切な徳目と考えていますが、その語義が示すように、これらの徳目を尊重することは、行動を保守的にする傾向が生じるように思います。
では、やせ我慢はどうでしょう。やせ我慢は無理に耐えて平気な振りをすること。筆者は、変化を受入れるのに必要な振舞いだと考えます。
「義理と人情とやせ我慢」、矛盾する要素を示した意味深い言葉ではないでしょうか。
やせ我慢に相当する英単語は見当たらないようです。
義理と人情はベクトルが相手に、やせ我慢はベクトルが自身に向いていて、両方必要なのではと思いました。が、その考えだと、義理と人情を通すにはやせ我慢が必要、やせ我慢をしていない人は義理人情に薄い、という論理になるので、それは違いますね。要はバランスなのでしょうか。
考えが堂々巡りしたままですが、やせ我慢を自覚したシーンが最近ないので、背伸びした変化に挑んでいこうと思いました。
>やせ我慢について、困難を耐えている様→変化を受け入れ、立ち向かう様と考えると、品... への返信
今村さん
コメントありがとうございます。
やせ我慢は、我慢しても体面を保ちたい相手がいるからこそ、我慢するのでしょう。このベクトルも外向き、社会性ある行為だと思います。
たしかに、相手がいるからこそのやせ我慢ですね。これから診断士活動を積極的に広げていく中で、やせ我慢する場面も出てきそうですが、それも楽しんでいこうと思います。
コメントありがとうございます。
渡辺恒雄氏は、ビジネスとしてプロ野球をとらえておられたのでは。だから、「たかが選手が...」という言葉が出るんでしょうね。
大野伴睦代議士にとっても政治はビジネスだったのかもしれません。地元の農地の中に新幹線の駅は作ることが、将来の集票と利権に結びつくと考えれば、肯定はできないけど、理解はできます。
2つ合わせて覚えておこうと思います。
コメントありがとうございます。
贈った大野伴睦氏は、義理も、人情も、やせ我慢も肯定的な意味合いだったろうと推測しています。
いずれも処世に必要な徳目ですし。
やせ我慢の英単語は見当たりませんが、prideを使って表現しているようです。なんとかかんとか from prideみたいな感じで。