あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

吉田司著「宮澤賢治殺人事件」を読んで

2021-05-06 11:30:05 | Weblog

照る日曇る日 第1571回

さすがに殺人こそ犯さないが、宮澤一族によって意識的か無意識かはいざ知らず、かの天空まで高く聳え立つ「賢治聖人伝説」を一挙に突き崩そうとする「伝説の」1冊である。
著者は大方の「賢治教」の信者とは異なり、彼の人間的・芸術的特徴は、1)ふしぎな「遊民」階級の文学、2)古い旦那衆の血筋としての「放蕩感覚」、3)新しい地方財閥につながりの中から生まれた「内弁慶」的芸術である、と喝破し、花巻の商人階級の暗黙の庇護のもとに賢治の遊民の文学が花開いたと総括している。
生来病弱で農業の過酷な重労働に絶えず、その弱さを自覚してみずからを「デクノボウ」視していた賢治は、祖母の子守歌のような「不惜身命」の教えに強迫されて、激しく生き急ぐのだが、そんな彼を突き動かしていたのは3つの衝動だった。
1) 金持ちの放蕩息子の貴族的快楽主義→東京モダンへの傾斜と脱出。
2) 「法華経」行者的禁欲主義→国柱会への傾斜と脱出。
3) 転換期の「商人倫理」の利他主義→農民芸術と農村改造の夢
これら3つの情熱は、質屋の父、政次郎や故郷花巻の厳しい現実の前に何度も挫折したが、賢治が挫折すればするほど、おのれの脳内の仮想世界たる「イーハトーブ」という名の「王道楽土」では、そのすべてが成就した。
そしていまや精神界の絶対者となった賢治の武器こそは、彼の創造性豊かな言葉の魔力の産物としての「詩」であり「童話」だったのである。
同時代の誰にもない3つの特徴と3つの情熱を備えた宮澤賢治!という存在は、彼の肉親や信奉者たちの助力によって権力者から無産階級者、右翼から左翼までの広範な支持を集め、今やかつての二宮尊徳に代わる「聖者」として君臨しているが、それは賢治自身とは無関係な、彼を取り巻く時代的偶然と必然性によるものだと、著者はいいたげである。


 街に出ればいつ事故に遭うか分からないいつもきれいなパンツをはこう 蝶人
コメント
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