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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

池澤夏樹編「日本文学全集25・須賀敦子」を読んで

2016-06-15 15:51:06 | Weblog


照る日曇る日第872回

「コルシア書店の仲間たち」、「ミラノ 霧の風景」「旅の合間に」「ヴェネチアの宿」「トリエステの坂道」「時のかけらたち」「ユルスナールの靴」などのエッセイを次々に読んでゆくと、このコスモポリタンというか、はんぶんイタリア人の手になる文章が、塩野七生の粗野な論文調の極悪文と違って、その繊細な感受性と知性の玄妙な営みの粒粒が、さながら干天の慈雨のように胸奥にしみ込む。

 そういえばむかし私がミラノを訪れたときも、毎朝霧がかかっていた。

 最近はもうそんなことはないらしいが、かつての運河の街を懐かしむように朝のラッシュアワーを茫洋と包む深い霧の彼方に大聖堂や元パルチザンを興したオリベッティ社があり、坂本龍一を好きなミラノ娘が満員の路面電車に乗っていたのだ。


  原宿の本社ビルの5Fに捨てられていたレッテラ・ブラック 蝶人


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小津安二郎監督の「秋日和」をみて

2016-06-14 15:53:21 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1022


デジタル修復版で再見。映像も音声も格段に向上していた。

いつもと同じような縁談話であり、いつもと同じような役者がいつもと同じような台詞を喋り、いつもと同じ丸の内のビルヂングを出入りし、いつもと同じようなバーや料亭や鰻屋、寿司屋、カフェで飲み食いし、いつもと同じような家屋の和室や廊下や赤い薬缶が出てくるのに、いつもと同じような風景をバックにいつもと同じような斎藤高順のあっけらかんとした晴れた音楽が流れてくると、じんわり涙が出てくるのはなぜだろう。

すべての役者が素晴らしいが、司葉子を佐田啓二の嫁にやった原節子のラストシーンは殊に素晴らしい。


    消費税を延期すれば大喜び安倍に与する愚かなやつらば 蝶人
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家族の肖像 その11~これでも詩かよ第181番

2016-06-13 10:18:37 | Weblog


ある晴れた日に第384回


「お母さん、ぼく、さいたま市好きですお」
「そう、それは良かったね」
「さいたま市は、浦和、大宮、与野市からできたんだよ」
「そうなの?よく知ってるね」


「お父さん、京王線、京浜東北線に似ていたよ」
「へえ、そうだった」
「そうですよ」

「お父さん、「再び」は再放送の再でしょ?」
「そうだよ」

「お父さん、無理しちゃだめでしょ」
「そうだよ」
「お父さん、無理の無って無いの無でしょ?」
「そうだよ」
「僕、無理しなかったよ」
「そうかい」
「無理よ、無理よ、無理よ」

「お父さん、小田急の回数券買った?」
「買ったよ。今日藤沢まで行って11枚買ってきたよ」
「wwwwww」 

「お父さん、みなさんの英語は?」
「レディーズ・アンド・ジェントルメンだよ」
「みなさん、みなさん」

「おとうさん大弱りってなに?」
「とても困ってしまうことだよ」
「大弱り、大弱り」

「お母さん、コレステロールてなに?」
「血液の中のあぶらのことよ」
「コレステロール、コレステロール」

「お父さん、ちょっと待ってねの英語は?」
「ウエイト・ア・モーメントだよ」
「ちょっと待ってね」

「ぼく、明日ふきのとう舎から帰ってきますよ! 帰ってきますよ!」
「耕君、ほんとうはファミリーナ宮下行きたくないの?」
「行きたくないお」

「ぼく「トイレの紙そんなに使うな」って言われちゃった」
「そうなんだ」
「「耕さんダメ」っていわれちゃったの」
「それでファミリーナ行かないの?」
「そうだお」

「お母さん、戦争ってなに?」
「国と国とが戦うことよ」
「戦争嫌ですねえ」

「お母さん、崖好きですお」
「ガケ?」
「崖、高いですお」

「お母さん、ぼく常用漢字いっぱい書きますよ」
「いっぱい書いてね」

「お母さん、哀愁って悲しいことでしょう?」
「そうよ」
「あいしゅう、あいしゅう」

「お母さん、侮辱ってなに?」
「馬鹿にすることよ」
「侮辱、嫌ですねえ」

「林さんの心臓止まったの?」
「そうよ」
「心臓止まるの、嫌ですねえ」

「お父さん、ワイドドア凄いよね」
「どこのワイドドア?」
「小田急だよ」

「お母さん、志ってなに?」
「思いよ」
「こころざし、こころざし」

「お父さん、分かりませんの英語は?」
「あいどんとのお」
「分かりません、分かりません」

「お父さん、入るときはお邪魔します、失礼しますでしょ?」
「そうだよ」
「失礼します」

「お母さん、火元責任者ってなに?」
「火の管理をするひとよ」

「お母さん、マナーモードってなに?」
「電車の中でうるさいくしないようにすることよ」
「マナーモード、マナーモード」

「お母さん、マナーモードってなに?」
「携帯が聞こえないようにするのよ」
「耕君、マナーモードをやめる?」
「いやだお」

「お母さん、心配の配ってくばること?」
「そうかあ、心をくばることが心配するってことなんだ」
「そう、そうですお」

「お母さん、麻薬ってなに?」
「痛い時のお薬よ」
「伊藤蘭が「麻薬なら私のところにあるわ」って言ってたよ」
「へええ、そうなの」

「こうぞうさん、先生だったでしょ?」
「そうよ」
「体調崩したのはこうぞうさんでしょう?」
「そうよ」

「横須賀って防衛大学があるとこでしょう?」
「そうよ」

「お父さん、いとこの英語は?」
「カズンだよ」
「いとこ、いとこ、いとこ」

「お父さん、さらには、ってなに?」
「もっと、だよ」
「さらにさらに」

「お父さん、陰は山陰線のかげだよね?」
「そうだよ」

「お父さん、残酷ってひどいことでしょ?」
「そうだよ。良く知ってるね」
「ざんこく、ざんこく、ざんこく」

「お父さん、意地っ張りって、頑固なことでしょう?」
「そうだよ」

「お父さん、約束の英語はなに?」
「プロミスだよ」
「僕、約束守るよ」

「お母さん、デートてなに?」
「待ち合わせて人と会うことよ」
「ぼく、デート好きだよ」

「お父さん、正面てなに?」
「wwww」

「お父さん、要らないの英語は?」
「ノット・ネセサリーかな」

「お母さん、圧死ってぺっちゃんこになることでしょ?」
「えっ、どうしてそんなこと知ってるの?」
「圧死、圧死、圧死」

「お母さん、早くいらっしゃいって、早く来なさいのこと?」
「そうよ」

「お母さん、つまらないってなに?」
「面白くないことよ。耕君、つまらないの?」
「つまらない、つまらない、つまらない」

「お父さん、支えるって助けること、でしょ?」
「そうだよ。耕君、誰を支えますか?」
「ぼく、お母さん支えますよ」

「お母さん、おっかさんてなに?」
「おかあさんのことよ」

「お母さん、バクダンってなに?」
「バクダンはねえ、バーンていうやつよ」
「バクダン、嫌ですねえ」


 二十四の高齢男子の一人とて三色丼に取り組む料理教室 蝶人

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スピルバーグ2連発

2016-06-12 10:29:26 | Weblog


○スピルバーグ監督の「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」をみて


1989年製作のシリーズ第3作。なんと父親役にショーン・コネリーが登場して親子揃って聖杯探しに夢中になる。

4年後にドラッグ中毒で夭折するリヴァー・フェニックスが少年時代のジョーンズ役を務めているが惜しい俳優をなくしたもんだ。

でもヒロインのアリソン・ドゥーディが色っぽくて一番いいなあ。



○スピルバーグ監督の「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」をみて


底なし沼に落ち込んだ主人公に息子が大蛇を投げ入れてこれに摑まれというんだが、ああいう仕事はいくらギャラをもらってもやりたくないのではなかろうか、ねえハリソン・フォード君。

年甲斐もなくこんなつまらぬ学芸会ドラマに出演しているうちに、まっとうな映画に出る機会も失ってしまった。少しは後輩のデカプリオ選手を見習ったらどうかね。



 消したはずの電気は朝まで煌々と点いていたわが海馬深々と眠りこけて 蝶人

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池澤夏樹編「日本文学全集16・宮沢賢治&中島敦」を読んで

2016-06-11 10:36:47 | Weblog


照る日曇る日第871回


 いったいどういう理由で「夭折」以外に共通項のない水と油のような2人をワンパックにするのか不可解なセレクションだが、読んでいるうちにそんな文句も消える。

 宮沢賢治では「春と修羅」「星めぐりの歌(楽譜付き)」などの詩篇に続き「水仙月の4日」「狼森と笊森、盗森」「土神ときつね」などの童話が並んでいるが、やはり最後の「ポラーノの広場」の感銘が深い。

 こういう中編をどのようにして終わらせるかについては私もいろいろ苦労してきたが、いちばん穏当なのは七五調の歌で終わらせることである。

「まさしきねがいにいさかうとも 銀河のかなたに ともにわらい なべてのなやみを たきぎとのしつつ はえある世界を ともにつくらん」

 という大団円を読んだ私は、三〇年前に書いた中編童話になんとか終止符を打てるような気がして、なんだか希望が湧いてきたのであった。

 後半の中島敦の巻では有名な「李陵・司馬遷」「弟子」の格調高い漢文脈に圧倒される。これが三三歳で夭折した作家の若書きにして最晩年の作品とは!

 どうしてわが偏愛の遺作「光と風と夢」が収められなったのかとても残念だが、そのかわりに日帝が南洋を統治していた頃の現地人を「土人」呼ばわりしてしまう無意識の偏見に満ちた滞在記が興味深い。

 彼ほどのインテリにしてこの差別、というより、当時のインテリゆえの差別意識なのだろうか。しかし彼が己を朝鮮人の警官に擬した「巡査の居る風景」は民族問題に対する鋭い社会意識が内含されているようだ。

 中島敦は一九四二年に喘息のために夭折したが、生き残っていれば必ず日本文学の正統派の旗手となっただろう。



  頭では新しさを受け入れているのだが肝心の身体の方が拒んでいる 蝶人

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家族の肖像 その10~これでも詩かよ第180番

2016-06-10 13:31:31 | Weblog


ある晴れた日に第383回


「お父さん、ハスは水の中でしょ?」
「そうだよ」

「お父さん、無理の英語は?」
「インポシブルかな」
「無理、無理、無理するなよ」

「お母さん、盲腸ってなに?」
「腸の仲間よ」
「盲腸、痛いといやですねえ」
「耕君、盲腸痛いの?」
「痛くないお」

「お父さん、直るって復旧のことでしょ?」
「そう、復旧は直るってことだよ」
「復旧、復旧」

武田鉄也が「学校へ帰ろう」っていったお。金八先生のドラマだお。
そうなんだ。

お母さん「なるほど」ってなに?
「そうかあ、分かった」ってことよ。
なるほど、なるほど。

「お父さん、正直の英語はなに?」
「オネストだよ」
「オネスト、オネスト、正直にいわないとだめだよね」
「そうだよ」
「正直、正直、正直」

「お母さん、メッセージてなに?」
「なにかを伝えることよ」
「伝える、伝える」

「お父さん、所により一時雨ってなに?」
「もしかしたら雨が降るってことだよ」
「お父さん、晴れたら青空でしょ?」
「そうですよ」

「お母さん、なんで仲良くするの?」
「喧嘩はいやだから、でしょ?」
「そうだよ」 

「お母さん、ショボクレルってなに?」
「ガックリすること」
「ガックリ、ガックリ」

「お父さん、さきほどの英語は?」
「サムタイムアゴーかな」
「さきほど、さきほど」

「お母さん、さけぶってなに?」
「ヤッホオー!」
「そ、そうですよ。そうですよ」

「お父さん、なにしてる、の英語は?」
「ワットアーユードウイング、だよ」
「なにしてるう、なにしてるう、なにしてるう」

「お母さん、じょうと、ってなあに?」
「じょうと? 譲渡か。譲り渡すことよ」
「横浜線205系、インドネシアに譲渡しました」
「へー、そうなんだ」

「ダブルシャープは、シャープが2つだよ」
「えっ、そうなの?」
「2つ半音さげる」

お父さん、公衆電話の英語は?
「パブリックテレフォンだよ」
「公衆電話、公衆電話」

「お母さん、アドバイスってなに?」
「こうしたらいい、って教えてあげることよ」
「アドバイス、アドバイス、アドバイス」

「お母さん、おもてなしってなに?」
「人に親切にしてあげることよ」
「おもてなし、おもてなし」

「お父さん、さびしいの英語は?」
「ロンリーだよ」
「お父さん、淋しいは、さんずいに木が2つですよ」
「ああ、そうだね」
「淋しい、淋しい」


  原爆を落とした国の大統領頭は下げず両目を閉じる 蝶人


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水無月の歌

2016-06-09 10:39:55 | Weblog


Voice Of Yoshimasu~吉増剛造の語りによる「我が詩的自伝」を読んで


ある晴れた日に第382回&これでも詩かよ第177番&照る日曇る日第870回




 これは詩人吉増剛造が物語る、いわゆるひとつの波乱万丈の人生と、その創造の秘密であるが、近頃これくらい面白い読みものもあまりないだろう。

 それは本書の折り返しで、当年とって77歳の文化功労者が、かのアインシュタインの真似をしてアッカンベーをしてみせる写真を見れば、一目瞭然だろう。

 あなたが、「素手で焔をつかみとれ!」という気恥ずかしい副題をつけられたこの本を読み始めても、あなたの期待は裏切られないだろう。だろう、だろう。

 そこには、この人物が、それぞれのエポックを代表するような、錚々たる人物と次々に遭遇しながら、切磋琢磨し、おのれの人生と芸術を築き上げて、今日の大をなしてゆく事の次第が、初めは処女の如く、終わりは龍虎の如き勢いで、鼻息も荒々しく、縷々陳述されているのである。であるん。

 彼の藝術的受容のキーポイントになっているのは、どうやら「声」らしい。 

 声、Voice、ヴォイス、ヨーゼフ・ヴォイス、Voice Of Yoshimasu

 例えば太宰治や柿本人麻呂や芭蕉、アレン・ギンズバーグの詩歌や散文には、エルヴィス・プレスリーやボブ・ディランに通じる生々しい声があって、これが心の奥底にまっすぐに届く、というのは、私のような門外漢でもたやすく追体験できる。

 声、Voice、ヴォイス、ヨーゼフ・ヴォイス、Voice Of Yoshimasu

 そのドーンとやって来る声=「内臓言語」は、彼が大きな影響を受けたと語っている聖句やエミリー・ディキンソンの詩、キェルケゴールの言葉、そして一休宗純の書にもどこか通じている、父母未生以前の原初的で普遍的な炎、のようなものなのだろう。

 そして彼はこの炎を自分のものにするために、心身を常に「非常時」に置き、原初的で普遍的な歌や声や踊りを宣揚するだけでなく、愛妻マリリア選手由来の“即席シャーマン”となって、それらに限りなく憑依するばかりか、夫子自身がそれらの発火源(詩魂の火の玉!)になろうと悪戦苦闘しているようだ。

 したがって彼にとっての詩的活動とは、幾たびも、また幾たびも詩魂の火の玉となって、この宇宙の創造主に体当たりせんとする特攻機のZigZag&螺旋運動、詩的テロルそのものであり、人はその軌跡を「作品」と称しているに過ぎない。
 この間の事情をば、わたくしめの詩で翻訳するなら、

『見よ韜晦の空あけて 旭日高く輝けばァ、
 今日も我らがGozo選手は単機Zero戦を駆って、紺碧の空の果て、言語も枯れる真空地 
 帯の極北を目指し、離陸していくゥ。

 かつてニーチェが「人間とは乗り越えられるべき何かである」(佐々木中訳)と定義したように。

 かつて「ゔぁれりー」が、「風立ちぬいざ生きめやもォ」と歌いながら「えらんゔぃたーる」の彼方へと飛翔したように。

 そしてまた、かつてセーレン・オービエ・キェルケゴールが、「反復とは繰り返しではなく、瞬間毎に生き直すことである」と喝破したように』

 ということになろうか。だろうか。そうだろうか。

 それでは、肝心の吉増剛造の詩の値打はどうなのかと問われたら、私は「あれらは出口なお刀自ではなく、出口王仁三郎が代筆した「大本神諭」のようなもので、その価値を論じてもあまり意味はない」と答えるだろう。だろう。

 それよりも「詩人は、すべからく詩作の内部で生きるほかはない。爾余は“半死にの余生”ということになるが、それもさして悪いものではない」というのが、私の吉増剛造観である。であーる。

 余談ながら本書を読んでいちばん感嘆したのは、著者が多摩美で「詩論」講座を受け持ったときに、ホテルに泊まり込んで200名のレポートを全部読んで、一人ひとりに全部違う出題をしたというエピソードであった。

 こういう離れ業は、学生と教育への愛と興味と誠実さがなければ、やりたくてもなかなか出来ないものである。

 声、Voice、ヴォイス、ヨーゼフ・ヴォイス、Voice Of Yoshimasu


 人はみな自爆装置を付けられて神様がスイッチを押す日を待っている 蝶人

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白井聡著「戦後政治を終わらせる」を読んで

2016-06-08 10:23:09 | Weblog

照る日曇る日第869回



殷鑑遠からず。ますます対米従属、貧民切り捨て、極右ファシズム傾斜、戦争への道へと転がり落ちる安倍蚤糞の病根への透徹した分析と根本的批判の書である。

平和憲法と民草のまっとうな暮らしをずたずたに破壊する最凶の政治的経済的社会的危機に直面した私たちは、迫りくる参院選において断固とした回答を突き付けなければなるまい。

それは、自公の犯罪的だが、安倍蚤糞を支持しているわけでもないのに「他にマシな政党も人物もいない」と称して選挙にも行かず、その癖なんらの意思表示もせず、結果的にこの国のイトレルの暴虐を是認してしまっている多くの無責任な人々の、「まともな現代人」としての鼎の軽重が問われる時でもある。

ところで本書の最後で、著者は戦後政治を終わらせるためには政治革命、社会革命、精神革命の3つが必要だと説くが、具体的にはそれはどのようにして可能になるのだろうか。

また日帝は戦後から現在に至るまで、必ずしものごとく米帝に跪従しているのではなく、雌伏しながら逆転的対決の時をひそかに窺っているのではないだろうか。


 ツバルよりキリバスより先に粛々と沈んでいくのはこの国ニッポン 蝶人
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ヨイコは眠れない~これでも詩かよ第176番

2016-06-07 11:23:42 | Weblog


ある晴れた日に第381回


怪しい男が、可愛い女の子と一緒に教室に入ってきた。
鈍く光るナイフを突き付けられて蒼ざめているのは、
なんと私の昔の恋人ヨイコではないか。

私は、いきなりヨイコの腕を摑んで、教室の外へ飛び出した。
すると男も、あわてて私らの後を追ってくる。
私らは、キャンパスの坂道を転がるように駈け下りて全速力で走ったが、男に追い付かれそうになってしまった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは、持っていたバッグの中からおそ松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になっておそ松君を追いかけ、やっと追い付くと自分のバッグに収めた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは、持っていたバッグの中から一松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になって一松君を追いかけ、やっと追い付くと自分のバッグに収めた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは、持っていたバッグの中からカラ松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になってカラ松君を追いかけ、やっと追い付くと自分のバッグに収めた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは、持っていたバッグの中からチョロ松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になってチョロ松君を追いかけ、やっと追い付くと自分のバッグに収めた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは、持っていたバッグの中からトド松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になってトド松君を追いかけ、やっと追い付くと自分のバッグに収めた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは、持っていたバッグの中から十四松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になって十四松君を追いかけ、やっと追い付くと自分のバッグに収めた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは着ていたジャケットを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男は夢中になってそれを拾い、自分の身につけた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコ子は着ていたセーターを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男は夢中になってそれを拾い、自分の身につけた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコ子は着ていた天使のブラを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男は夢中になってそれを拾い、自分の身につけた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコ子は着ていたスカートを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男は夢中になってそれを拾い、自分の身につけた。

その隙に私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコ子は身につけていた黒いパンティーを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男が夢中になってそれを拾おうとしたので、私は思わずヨイコの手をふり離し、それを拾って素早く自分の身につけたのだった。


   増税を止めたらすぐに支持率跳ね上がるさすが安倍ちゃんさすが臣民 蝶人



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鎌倉の鏑木清方記念美術館で「古きよき抒情を求めて」展をみて

2016-06-06 10:44:34 | Weblog


蝶人物見遊山記第208回& 鎌倉ちょっと不思議な物語第366回


鎌倉小町の鏑木清方記念美術館では、来る7月3日まで、珊々会出品作品を中心とした特別展が開催されています。高島屋美術部主催の「珊々会」は昭和9年から22年までに11回開催され、清方は明治時代の風俗や芝居などに取材した作品を発表しています。

私が鏑木清方作品のうちでいちばん好きな「朝夕安居」の夏の昼下がりの風鈴屋の巻も併せて展示されていましたが、これこそはファシストの戦争屋安倍蚤糞以外のすべての平和愛好国民が夢見る理想の光景でありませう。


   レトリックの限りを尽くしたオバマ氏の高踏的な哲学を聞く 蝶人
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横須賀の「カスヤの森現代美術館」を訪ねて

2016-06-05 11:00:45 | Weblog


蝶人物見遊山記第207回


 先月の下旬に横須賀市の衣笠の鬱蒼とした竹林の麓にある「カスヤの森現代美術館」をはじめて訪ねて「板津石版画工房による版画工房の仕事」展を見物しました。息子の版画作品(コメダ珈琲店の布巾)を見に行ったのですが、その背後にある広大な竹林に点在するおよそ280の仏塔に驚かされました。春ともなれば無数のタケノコがどんどん出現するので、それを料理して供しているのだそうです。

 企画展は本館で行われていましたが、その2階にはヨーゼフ・ボイス、新館にはナム・ジュン・パイクや李 禹煥、宮脇愛子の作品が目の前に展示されています。天井が吹き抜けになったラウンジの周囲にも現代美術の様々な作品がずらりと展示されており、ここで喫茶しながら贅沢なひと時を楽しむことができるのです。

 6月10日からはまた新しい企画展が開催されるようなので、現代美術に関心のある方は一度訪ねてみてはいかがでしょうか。


  最新作が最後作にして最高作思い新たに詩作に取り組む 蝶人


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五月の歌~これでも詩かよ第176番

2016-06-04 10:50:32 | Weblog


ある晴れた日に第380回



美しい五月よ
三里塚には、もう革命児サパタも戦うパンチョ・ビラもいない。
廃墟と化した巨大な空港の高みに、ミラージュやコンコルドが舞っているばかり。

美しい五月よ
西新宿の大通りには、もう夜鷹もルンペン・プロレタリアートもいない。
四谷区民ホールのガードマンが、夜鍋しているだけだ。

美しい五月よ
新宿御苑の広大な敷地で、草上の昼食を楽しむ中産階級の市民は、もういない。
日がな一日画眉鳥が、「再見再見」と鳴いているばかり。

美しい五月よ
甍が無惨に崩れ落ちた熊本城には、もう誰もいない。 
くまモンと鉄腕アトムと鉄人28号とドラえもんとのび太としずかちゃんと六つ子だけが、懸命に石垣を直そうとしている。

美しい五月よ
傲岸不遜な為政者たちは、もうこの国にはいない。
ビア樽ポルカのような奥さんと世界各地を訪れ、わが世の春を謳歌している。

美しい五月よ
十二所村の旧家の屋根の上では、もう親子の鯉幟は泳がない。
遠く旅立った一卵性双生児の息子が今どこにいるのか、誰も知らない。
 
美しい五月よ
時ならぬ横時雨に躑躅の花は忽ち散り失せ、もうアオバセセリはやって来ない。
はじめての恋は色褪せ、虚ろに開かれた四つの目を、夕闇がゆるやかに閉じる。


この国では可愛ければすべて許される可愛くなければ可愛くなりなよ 蝶人
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佐瀬睦夫著「福祉と介護「7K」職場の改善術」を読んで

2016-06-03 11:00:55 | Weblog


照る日曇る日第868回  


7Kとは「きつい、汚い、危険、帰れない、給料が安い、規則が厳しい、休暇が無い」。そんな悲惨な職場を「希望、期待、感謝、感動、感激、可能性、快感」の明るく楽しい環境に変えようよ、と著者は健気に説いている。

確かに福祉と介護の仕事はおのれを虚しうして利他に尽くす奉仕へのひそかな誇りと無私のよろこびというものがある。だからこそ昔からナイチンゲールに憧れる少女が厳然と存在し就職希望ランキングの上位を占め続けてきたのである。

さうして確かに職業に貴賎はある。安倍蚤糞や都知事などが賤の最たるものであるとすれば、福祉と介護はもっとも尊い仕事ではなかろうかと今でも私はひそかに考えているのだが、残念ながらその仕事に手厚く報いる政治も制度もないのである。

たまたま「保育所落ちた日本死ね」なるメールが政治問題化した結果、保育所職員の手当をちょっぴり上げるという選挙対策を講じることはあっても、これらの業界に日夜働く最底辺労働者の給料や職場環境はいつまでたっても改善されない。

心に大いなる希望と期待、感謝、感動、感激、可能性、快感を抱きつつ悪戦苦闘する善き志の持ち主たちが陸続と撤退したとき、この国は名実ともに死ぬのであろう。


   死ぬ死ぬ死ぬわれひとともに死んでゆく夢も希望もなき国の民 蝶人
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ロブ・ライナー監督の「ア・フュー・グッドメン」をみて

2016-06-02 14:16:47 | Weblog

闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1019



 キューバのグアンタナモ海軍基地を独裁する司令官ジャック・ニコルソンを追い詰める若い弁護士トム・クルーズの息詰まる法廷対決が最大の見もの。クルーズを支援するデミ・ムーアの3人の熱演を引き出して劇的な興奮を高めるライナーの演習も見事だ。

 それにしてもオバマが廃止すると約束したグアンタナモの強制収容所はその後どうなたんだろう。




 民草は今日もなんとか生きているかつかつかつかつがつがつがつがつ 蝶人
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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第35回

2016-06-01 17:03:14 | Weblog


西暦2016年皐月蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 230




とれたての魚は暫く寝かせた魚と食べ比べてみると、それほど美味しくない。処女との最初の性交が完全な快楽をもたらさないように。

禅とウェーべルンには共通性がある。禅には「捨閉閣抛」という言葉がある。何でも捨てて捨てて、もうこれ以上何も捨てられないというところまで捨てるというのだが、これがウェーべルンの音楽そのままである。湯浅譲二

私の音楽は、ミケランジェロが大理石の中から自分の作りたい彫刻を掘りだしたように、膨大な物の中から何かを抽出する、音楽の引き算的なアプローチによって作られている。ルチアーノ・ベリオ

西欧の音楽は無の空間に煉瓦を積み上げて壮大な建築物を作り上げていく。ところが武満徹は、自然と宇宙に有り余る音をどんどん削っていって最小限の音を残そうとする。私たち一音に万物を聴く。その一音から世界全体、宇宙中全体を聴くのである。

私は、現実より遥か遠くにいる。私は、現実を遠ざける。私は現実との沸騰的な交渉の後に、非現実に身を置く。武満徹

すべての音は、なにもない音が基本です。宇宙の音階、それは無です。宇宙間には人間の考えた音階だけでなく、けだもの、鳥類、山川草木たちの音階があるのです。海童道祖

宇宙心が、音のはたらきと化すことを知るのが、大事です。音は宇宙露現の境からみなすと、鳴らさなくとも、鳴っているのです。茶碗でも、箱でも、部屋全体でも、みな鳴っています。海童道祖

西洋の音楽という見地から見れば三味線のピーンという汚い音、義太夫の声を押しつぶしたような不愉快な音を、私たちは美しいとしたわけです。そして「さわり」という言葉が、いつのまにか美しいという意味に転化した。武満徹

西洋の音楽は一つの音だけでは音楽たりえない。Aという音にBという音が出会って弁証法的展開をする。日本は日本では「一音成仏」で、一つの音の中にすべてをこめてしまう。しかもその一つの音の中に「さわり」があって、たくさんの音が複雑に連動している。武満徹

一撥、一吹きの一音は、間を生みだす。複雑で洗練された一音の後に続く無音の沈黙の間は、実は複雑な一音と拮抗する無数の音の犇めく間として認識されているのである。武満徹「音、沈黙と測りあえるほどに」

もともとこの世界はドリームタイムに夢として創造されたのだが、或る時そこから分裂する形で現実世界が作られてしまった。そのため現実世界の住人達は夜夢見るとき以外は元の夢の世界に戻ることが出来ない。オーストラリアのアポリジヌは、毎日歌と踊りでそのかけ橋を繋ごうとしている。武満徹

できれば鯨のような優雅で頑強な肉体を持ち、西も東もない海を泳ぎたい。武満徹「海へ!」

この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう。野坂昭如「絶筆」

暴に報いるに、暴をもってしても始まらない。暴に報いるには、善をもってするしかない。野坂昭如「絶筆」

戦争は醜い。未来を担う若者が戦争のない世の中を考えるのは当然。戦争は何も生み出さないのだ。野坂昭如「絶筆」

僕はつまるところ、反戦芸人なのだ。心休まる平和な時代にあってこそ価値がある。しかし、いざ戦争になれば、たちまち旗を振って戦争芸人になるかもしれない。野坂昭如「絶筆」

モーツァルトの外耳は、耳たぶ、耳球と対耳球、耳殻が無かった。この形態の奇形は、慢性的な腎臓疾患の証拠と解釈される。だとすれば、腎臓病が彼の死因だった可能性もある。
クリストフ・ヴォルフ著「モーツァルト最後の四年」

モーツァルトの3大交響曲はどうみてもハイドンの模範(交響曲82番熊、83番雌鶏、84番)を追い越そうとする意識的で考え抜かれた対抗プロジェクトのようにみえる。彼がハイドンの弦楽四重奏曲に対して創造的に反応した時のように。クリストフ・ヴォルフ著「モーツァルト最後の四年」

モーツァルトの3大交響曲は実演されている。ト短調K550は1788から89年のシーズンに、ハ長調K551ジュピターは1789年5月12日にゲバントハウスで、そして恐らく変ホ長調K543もまた。クリストフ・ヴォルフ著「モーツァルト最後の四年」

(死の直前の)モーツァルトを2週間ベッドに閉じ込めた病気の成り行きは、避けがたい運命といったものではなかった。すべてが違う方向に向かうこともあり得たのである。クリストフ・ヴォルフ著「モーツァルト最後の四年」

むずかしい詩を書くのはたやすいが、やさしい詩を書くのはむずかしい。

私がこれらの膨大な記述をほんのちょっとしたミスタッチで消去しないでいるのは、奇跡的ともいうべき偶然の賜物にすぎない。

「無意味なものがいっぱいある世の中」であってほしい。三留まゆみ

とりあえずは自公の政策の正反対を支持することがこの国の崩壊を防ぐ唯一の道である。

どうぞ私たちが亡くなっても障がい者が生きていけるような社会にしてください。宮城まり子

昨夜滑川にかかる橋の上から一望したらおよそ20匹のヘイケボタルが乱舞していたので驚いた。きっと数日前から飛んでいたに違いない。今年はずいぶん発生が早いようだ。

サミットとオバマ広島訪問で何が変ったのか。広島と被爆者は米国への怒りの鉾を収め、安倍蚤糞の失敗は糊塗され、民草は望みもしない日米同盟のさらなる深みに拉致され、日本のイトレルは我が事なれりと高笑いしている。

丸一日化石ハンマーでたたいていたら、ある日突然カンっとやった途端にぱっと開いて、一億年前くらいのだろうかな、ウニが何百分の一秒ぐらい姿をあらわした。吉増剛造

太宰治の作品の中からは、完全に声が聞こえてくる。吉増剛造 


    大変だあ世界経済リーマンショック安倍蚤糞一人で大騒ぎィ 蝶人
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