今日も良い天気です。
雪国の方には、申し訳ないくらいですが…
雪の心配が要らないということは、とても安心して暮らせます。
亡き実母は、新潟の上越の生まれで(もちろん、今介護している叔母も同じ生まれですが)、
雪が2㍍も降って玄関から出入りが出来ずに…2階から出入りして大変だったと、
私が小さい時に話してくれました。
昨年度、うちは、マンションの理事長になってしまい(輪番制でしかたなく…)、27日の日曜日に
総会が行われました。
築11年目に入り、いよいよ大規模修繕の相談に入り、この一月、理事長としての責任の
仕事があーだこーだと、細々とあり、管理会社の責任者からは、連日のように電話があり、
修繕委員の人との打ち合わせだとか、そばで見ていても大変でした。
27日の総会は、司会進行をすることになり、小学校以来の議長だと(主人は職人さんなので
会議とは無縁の世界で、プレゼンなれている細かな意見を言うような方もいる中での司会は、
考えただけでも、ストレスになっていたようでした)
前々日に、管理会社の人から司会進行のマニュアルをもらい、その内容が
何時何分に何を言う、みたいにことがこと細かく指示されていた。
ソレを見た、主人「俺は、人形じゃない!」と憤慨していました。
管理会社の人から、修繕委員の人(前に理事をしたときに中が悪くなった人が、文句や不満を
絶対に言うから、)が説明した時に…総会が紛糾すると…(少し紛糾したそうでした)
が、想定していたので上手く交わせたようでした。
きららの相棒のマンションは、1000戸以上のコミニティーで、役員同士で、
ケンカのようになり、怪文書まで、発展して大変な事態になったそうでした。
そんなことも聞いていましたので…不安な気持ちも…
私には、(私は、普段昔の話ですが…発表会でのご挨拶や子どものPTAの会長やら、
人様の前で話すことが多く、へでもないのですが)
「惠子は、平気だろうけど…自信がない…」と弱音をはいていました。
「パパなら、絶対大丈夫!」と太鼓判を押したものの、心配でした。
前日は、寝られずに、早くから起きてシュミレーションを頭の中で繰り返して、いたそうです。
無事に終わって、晴れ晴れと、「達成感を感じた!」と主人。
皆さんが拍手で「一年間 ご苦労様」と言ってくれた。
管理会社の人が「何度も、総会に立ち会っていますが今までの中で一番上手い議長でした」と。
満面の笑みでした。
やっぱり、年を取ると、達成感を得ることが難しくなりますので、
主人にとって今回の役は とてもよかったと思いました。
ほっとして、午後からは、大好きなギャンブル競馬を予想して、電話投票で馬券を
購入して、ラジオを聴いて、大喜び!!
当る当る!!
予想がバッチリ!!!
結局、儲かって、ご褒美を天から頂きました。
翌日の28日は(昨日)、主人の64歳の誕生日。
二人で前々から購入していた「綾小路きみまろのライブ」へ相模大野グリーンセンターへ
行ってきました。
昨年の夏も行きました。
きみまろを観て、聴いて、笑って…
不思議です。なんども同じような内容なのに…笑っちゃう……免疫力アップです。
やっぱり芸があるんですね。
私だけでなく、主人も足が悪いので(22歳の時に仕事で大怪我をして1年2ヶ月入院した、
そのときの足の踵の変形で骨がぼこっと出ていて足首も曲がりにくく)私の杖を付いて二人で、
のんびり始発電車や各駅停車を利用しながら、必ず座って電車で行きました。
私たち夫婦は、必ず手をつないで歩きます。
ゆっくりのんびり、これからも歩いていけばよいねー なんて、思いました。
まるで、70代の夫婦みたいですね。へへへ。
その日のお昼も夕食(お寿司)も主人がおごってくれました。
競馬で儲かったお金で。
私は、20代でバリバリと舞踊家として活躍していた時、周りは結婚なんてしない人ばかりでしたし、
結婚すれば、引退(舞台からは引退して教えだけになる)と誰もが思っていましたから…
さらさら結婚する気はありませんでした。
何故、結婚(27歳で)したかというと、私の父が亡くなって…心境が変わりました。
今思えば、結婚してからも、自分の舞踊のことしか考えず…
深夜まで、レッスンしていましたから… 食事の世話はもちろん 主人の世話はあまりしませんてした。
子どもの世話は母任せだったし、とんでもない、妻で母でした。
主人の誕生日が、楽しい一日になり、本当によかったです。
今年も仲良く、それなりに暮らしていければよいと思っています。
『変形性股関節症に負けないでね!』