叔母が、体調を崩して昨日入院しました。
金曜日の夜から、いつもの食事の量の2割しか食べられず、まったく薬も飲めないくらい
水も飲めなくなりました。
それでも、翌日の朝食の食べ具合の様子をみて、翌日、食べたくない、という叔母に
せめて、ポカリスエット(脱水症状を心配して)を50cc…
なんとか、飲めました。
用意した食事に手も付けず…
今日は、土曜日。明日は日曜日。医療機関は、半ドンと休みになります。
点滴に行くなら、午前中のうちに、と洗濯も途中でやめて、自分の食事もとらず、
読経だけ終えて、そうそうに叔母を車いすに乗せて、いつも月に2度往診してくれている
叔母の主治医のいる、近所の診療所へ。
主人も息子も仕事なので、自力で。
診療所は、すごく混んでいました。
車いすに座って待つことは、叔母にとって苦痛ですから…訳を言って、ベッドへ。
診察まで、待つこと45分
とにかく 点滴500ccを入れましよう、ということになり、
看護婦さん2人がかりで、悪戦苦闘!!
針が血管に入らない。。
血管が細くて、入ってもすぐ漏れる。
注射針4本、もっと細い針?3本 ダメになりました。(失敗した針は、次に使えないようで
捨てる)
8回目にようやく、35分かかって、足の血管に入りました。
その間、35分あっちにさしてこっちにさして、叔母の右手左手のあっちこっちは、
内出血で真っ青に!!
その間、主治医は系列の病院(いつも叔母が入院しているところ)へ連絡を入れてくれて、
そちらで、対処してほしいと、紹介状を書いて、電話連絡をしてくれた。
が、点滴が落ちたので…流れたので、とりあえず、様子をみて、明日以降、症状が
改善しなければ、病院の救急外来へかかるように言われました。
お年寄りの点滴は、ゆっくりと落とすので1時間半後の1時半に迎えに来てくださいと。
急いで買い物して、急いでそのスーパーで買ったお弁当(朝食を食べていなかったので)
を食べて、お迎えにいくと、時間外の対応だったのに(土曜日は半ドンで)私服で、
3人の看護婦さん(全員往診で来てくれているので顔見知り)が待っていてくれた。
家に戻り、叔母に4時間後水が飲めるか何か食べられるか?聞いて、アイスを一口食べた。
が、水を飲ませたら、吐いた。
いつもの悪循環パターンの始まり。これは、このままにしていたら脱水の熱中症も、
になる、のでは、と、急いで指定された病院へ電話。紹介状を持って。
夕方6時に病院へ着き、(これは、入院になるはずと入院の支度をして)
(叔母は、ベッドへ、私は椅子で一時間待って 待機)
救急外来も混雑。
一時間後に点滴が始まり、救急の医師が、どこも悪くないようなので、
夏場だから、お年寄りだし
食べられなくなったのでしょう、、と、点滴の終る頃1時間30分後に迎えに来てくださいと。
今までのいきさつを説明するのに、診療所で血液検査をしていない、前回の同じような症状で
入院した時は、白血球の数値が高くて…とお話しすると、それでは、血液検査と尿検査を
しましょうと。おいおい、一時間も何にも検査しなかったの?なまじ、紹介状に症状が
書いてあるのもよくないのかしら? なんて、思いました。
それで、抗生物質を処方されて帰宅になると説明を受け、さきほどの、水を飲んでも
吐いた話をすると、それでは、こちらで飲ませます。と、。
病院から自宅まで車で20分、その間に病院から仕事から戻った主人に電話があり、
やっぱり、水と薬を吐いたので入院になります。と。
また、戻るのね。何度も何度も、今日は行ったり来たり。猛暑の中、ごはんも食べずに
ふらふらする(私、まだ一食だけ)
指定された、20時30分に行くと、入院の書類書きが、書き終わり、点滴の
場所を確認すると…(診療所で8回目に入ったから)手の甲の痛そうな場所に。
本人も痛いといっているから、点滴も落ちていないし(一時間半経っているのに
…100ccも落ちていない)大丈夫? 痛がっていますが、大丈夫ですか?
と肩書が(看護技術師長、ユル・ブリンナーのような坊主頭のガタイの良い男性)
が、いきなり、私につっかかってきた!!
原因は、「点滴針おき忘れ事件」のことを根に持って。
叔母のパジャマを着替えさせていたら、ビックリ仰天!
右の足の静脈に点滴のハリが残っていました。
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=0ac40db98ba4dc3aeadda2edc6b4e49a&p=19&disp=10
入院中、一度目は、手に点滴針が刺さって点滴が落ちていたのに、、、足に点滴の
置き針が…私は、知らずにテープをはがしてしまい血がドバっと…
その時に、看護婦さんに注意した。その時の退院して家に戻ると、足に置き針が。
二度も同じ間違えをして、許せなかったので、ケアマネに相談して、その病院の
相談員にも話して、病院の看護部長に直接電話をして、謝罪を要求しました。
翌日、二人の看護婦さんが謝りに来てくれました。
そんなこともすっかり忘れて、いた私は、点滴事件のことを気にしている
5階の看護たちが、叔母の受け入れをまた、私にクレームをつけられるのではないか
と、、戦々恐々で、ビッビっていて…
5階で受けられなければ、他の階でも受けられないと、まるで、入院することを
遠まわしに断るように、私に敵対の目を向けました。
あーいえば、こういう。
私は、看護技術師長の〇〇です。なにか、あればいつでも言ってくれていいですから、
名前を覚えてください、、というから、わかりました、〇〇さんですね、覚えました、
というと、すぐそういうことを言って、文句をつける、と言い、
わざと、私のカンに触るようなことを言う。
いまさら、受け入れられなくて、他の病院へ行けって、言うように。
脅してきた。と思った。。
点滴事件のことも、正当に自分の権利として謝罪をしてもらったのに、命に別状ないような
大したことでないのに、、、家まで呼びつけて謝罪させるとは何事だ…
とでもいうように、顔に書いてある。。
私は、ただ、置き針が前回あったので、、気を付けてください、、と言った、
あれはあれで、済んだことなのに、、まだ、文句をいうのか?と言ってきた。
ただ、気を付けてください、と言ったのに。。
患者の家族を怒らせる師長って、なに!!
ついに、私は、堪忍袋の緒が切れた。。声を荒げた。
この人は、何を言っても 私をただひどい、クレーマー としか 思わない、
無駄だ!!と思い、ただ、ひとこと言った。
「患者の立場は、弱いということがよくわかりました!」と。
怒った私に、叔母がびっくりして、切なそうにやめてやめて、と。。
それで、やめた。
それから、病棟の5階に上がるまで、 まだまだまだ嫌な海坊主と待つ。
家に戻れたのは、22時35分。朝から約12時間。。一食で、耐えた。
帰りは、フラフラで、海坊主のことが癪に障り、ウイスキーの晩酌をがぶ飲みした、
寝られるように、余計寝られなくなり、明け方4時まで悶々と。。ムカッとした。
さっき、病院へ叔母の様子を見に行くと、なんで、ここにいるのか、昨日のことを
全然覚えていなかった。。食事もまだ、食べてよい許可が出ず、水も許可出ず、
点滴、心電図、酸素吸引していた。
食べたい気がしない、、と。。
前途多難だけど、この猛暑の毎日。
家にいるより、病院の方が 私の神経は 安心だ。
クレーマーの私に また何か言われないようにと、気を付けてくれるはずだから、
かえって良かったのかも?!
と、前向きに考えて、神仏にお祈りしよう。。
これから毎日、病院通いが始まりました。
懸賞旅行の後は、苦難が待っておりました。人生は、いろいろですね。
『変形性股関節症に負けないでね!』