「私は、『私がなぜ碁を打つか』考えたことがある。それは碁が面白いから。ではなぜ、碁は面白いのか?」
「わかるものと、わからないものとのハザマに存在するのが碁。だから、碁は面白いのではなかろうか。
わかるものの代表例はたとえばパズル。どんなむずかしいものでも、パズルには必らず正解がある。
わからないものの代表は、たとえば絵画や音楽などの芸術一般かな。芸術は正解・不正解ではなく、感じるか感じないかで評価が分かれるのだと思う。この中間にあるものが、碁ではなかろうか」
「感覚と読みは、相互にたより合っている。感覚だけで碁は打てないし、読みだけでも碁は打てない。」
「いいたいことは『自身の感覚』を信じなさいと言うこと。どうもね、われわれはすぐに〝正解″を求める傾向にある。そうではなくて、どうせ感覚にもたよって碁を打たなければならないのだから、それならいま持っている自分の感覚に自信を持って欲しいということだ。」
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王銘琬九段は過去、本因坊や王座のタイトルをとっていますが最近は不調のようです。
でもTVの解説や雑誌の記事などでは独特の「メイエン・ワールド」で囲碁ファンを楽しませてくれています。
「感覚と読み」、それぞれ好みはあると思いますが、年齢を重ねると詰碁など「読み」の部分は面倒で苦手になってくるようです。
では「感覚」はどうかというと、これも最近は濁ってきているなという思いです。
長年のザル碁党にとっての切り札は経験と勝負度胸でしょうか・・・?