こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

それは不運ではなく幸運

2018年12月09日 | 自然災害・事故・感染症

一瞬のことだった。

あと、0.01秒何かがズレていたら妻も私も死んでいたかもしれなかった。

親戚との集まりの帰り、首都高横羽線の下り線、大師の料金所を過ぎてから数分のところを走っていたときのこと、突然カランカランという音が聞こえ、次の瞬間、目の前に1メートルぐらいの鉄パイクようなものが、右車線のほうから私の目の前に飛んできた。フロントガラス越しにその物体が見えたが、2車線道路で逃げ場もなく、ハンドルをまっすぐに握ったまま身構えていた。ダメかもしれないと思っていたら、間一髪、その物体の方が少し早く下に落ちて車のフロントグリルにぶつかったようだった。そのまま、路肩に飛んでいって、幸い車の下に巻き込むことはなかった。

高速の路上から緊急電話を高速警察に連絡したのち、閉鎖直後の大黒ふ頭パーキングに誘導され、事故の説明をした。

こういう事故は、補償も出ないか。いままでの私だったら、大損で、大変な不運だと嘆くところだったが、そんなことはない、命に関わることとならずに良かった、運が良かったと心から思えた。

誕生日の夜、寒い高速道路上で、誰かの落とした鉄パイプがフロントガラスをつき破り、妻と私の顔面に飛んできて、二人で即死となっていたらどうなっていただろう。息子に一体いつ連絡が取れるかなどわからないし、留守番させていたナイトとコロは、翌日までほうっておかれただろう。それにこのブログ、どなたにもそのことを告知できないままそれきりだった。

不運を不運というのは簡単なことだけど、死神をやり過ごすことができたことそのことが幸せなのだ。神様が生きていろと言ってくれたのだと、この命を無駄にせず、残りの人生社会の役に立つ生き方を探さなくてはいけない。

九死に一生を得たのだから

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