自分を見る他人の目が気になる人というのは少なくない。私はそうだし、これを読んでいるあなたもそうかもしれない。他人の目を気にして生きることが自身の人生にとってどんな意味を持つのかがわかっている人なんてたぶんいない。少なくとも、生きる苦しみの一つであることは間違い無いと思う。
他人の目、人はそれをどんな風に”気”にするのだろう?そのことは、自分自身が他人をどう見ているかということでわかる。
他人は他人でしかなく、ほとんどの場合、他人は利用すべき存在でしかないと考えているような人にとっては、他人など気にするような存在ではない。そんな人は、他人の力を借りずに、独力で生きていく自信があるのだろう。だから、他人からの視線なんて気にしないで生きていけばいい。
そんな人とは逆に、他人の力を借りないと生きていくことができないと強く感じている人は、他人の目も気になる。これは当たり前のことで、依存心とかそういうのではない。人間は一人で生きていくことはできないのだから、どこかで人の助けを必要とする。したがって、どんなに強がったところで、ギブアンドテイク、他人を利用することしか考えないでいたら誰にも助けてもらえなくなる。この、ギブアンドテイク、に気を配るということが他人の目を気にするということだ。
他人の目を気にするのは当たり前のことで、それは世間体とか見栄とかでもない。他人の視線を気にしないようになる方法の一つとして、社会貢献があると思う。後ろ指を指されるようなことはせず、社会にどれだけ貢献しているかで、他人の視線は決まるかもしれない。
社会貢献にはいろいろな形がある