昨夜、妻と息子と私で鍋を囲んでいろいろ話していたら、話題が留学中の娘のことになった。親戚のおばさんが、世界には女性に教育を受けさせないという国や地域がたくさんあるけど、娘には色々な国に行ってそんな絶望的な女性差別の現状を見聞きして、女性が正当な教育を受けることができるような社会を実現する女性になってほしい、と妻に言ったそうだ。
私は、これまでにも何度も書いてきたが、(男性の持っている)アドバンテージを放棄する必要なんてない、というこのブログへのコメント(「これでは女性はつらかろう」2014年09月25日 へのコメント)を思い出し、「世界中には、いや、日本ですら同じように考えている人というのはいくらでもいるからね。(世界中の女性に教育を受けさせるようにするのは)難しいと思うよ。(ノーベル平和賞を受賞した)マララさんだって、いまだに命を狙われているわけだし。」
妻が「せめて(男女問わず)すべての子どもが同じ教育を受けることができるようになってほしいというだけなんだけど、難しいわよね。」と言ったら、息子が「それって、平等って何かってことで、実現するのは簡単なことではないと思うよ。そもそも試験による大学入試の選抜だって平等性ということを考えたら適切であるかなんてわからないでしょ。それに、(高等)教育を受ける能力の有無だって差別になると思うよ。」と返した。「医学部入試(男女差別、年齢差別)でのこともいい例だよね」と私。
その後も3人で、男女間の問題だけではなく、障害のある人はどうしたら平等な立場になれるか、さらには国境のこと、言語のこと、最終的には地球外生命がやってきたら地球人として平等になるとかいうことをしゃべっていた。
そろそろお腹がいっぱいになってきたあたりで、息子が「すべての人が同じ遺伝子を持つようになったら、平等といえるかも」。私が「ああ、そうかスターウォーズ(のクローン・トルーパー)ね。」「そう、でもね、それでなんらかのウイルスでみんな一斉にやられちゃうの」「なるほど、クローンのおおもとの遺伝子に致死性となる遺伝子配列を入れておいて、その配列を特異的に攻撃するウイルスを用意しておけばいいのか」。ということで、この話は終わった。
逆に言えば、真の平等の実現とは不可能だということになる。それでも、今の世の中のように一部の人が富を独占している状況というのは異常だ。政治家には多くの人が幸せになる道というものを探してほしいのだけど、2世3世議員が幅をきかせる世の中、それは不可能なようで、暗い気持ちになる。
どんな人が応援してるのだろう