ナイトの抗がん剤治療はおとといで終わり。僕が家に帰るとナイトは股の間に顔を突っ込んで甘えてくるのだけど、抗がん剤治療の日はしっぽだけを振って、潜り込んだままいつもよりずっと長い間じっとしている。
犬猫病院の先生はこの先、分子標的薬を使うという選択肢もあるけどと、妻に言ったらしいけど、僕と妻はこれ以上の治療はしないでいいと考えている。僕が考える最大の理由は、イヌの血管肉腫に対する効果のエビデンスが少ないということで、ある程度の抗腫瘍効果が見込まれたとしても、肺線維症など副作用があり、そちらで寿命を縮めてしまう可能性がある。そんなことになったらつらいばかりでナイトがかわいそうだ。
化学療法で腫瘍細胞をたたき切れていないとしたら、再発は免れられない。発見時すでに脾臓にできた腫瘍が破裂していたということを考えたらお腹の中にがん細胞がばらまかれている(播種)可能性が高いわけで、そんな腫瘍、再発したらあっという間だということはわかっているし、僕も妻もその覚悟はできている(つもりだ)。せめて娘が留学から帰ってくるまでは生きていてほしいと思っているけど。
先週までに貧血がずいぶん進行していて、ナイト自身も辛そうだ。腫瘍が見つかる前までは、毎朝、妻とナイトは僕のことを鎌倉駅まで歩いて送ってくれていた。近頃はそんなに遠くまで歩くこともできなくなってしまった。今は、僕とナイトが妻より5分ほど先に家を出て、途中(ほんの4、5分歩いたところ)で車で拾って、駅まで送ってもらっている。妻が運転する車の荷台にナイトを飛び乗らせて、尻尾が挟まらないように「ナイト、座って!」と僕が呼びかけると、ナイトは慌てて座る。この前、ハッチバックを慌てて閉めたときに一瞬挟んでしまったのを覚えているようだ。ハッチバックの扉に挟んでしまって”キューン”と泣かせてしまった。幸い、しっぽを怪我させるようなことにはならずに済んだけど、あのときは、悪いことをした。
毎朝、僕が”でかけるよ!”と声をかけると、ナイトは尻尾をたくさん振って玄関まで来る。寒さが心配だけど、コロと違って嫌がらないので多分大丈夫なのだろう。その、朝、一緒に歩く4、5分の間、僕はナイトと話す。
「ナイト、朝焼けだね。朝焼けの日は天気があまり良くないんだって、知ってる?」と聞くと、ナイトは僕の方をちらっと見やって、尻尾をふる。「それにしても寒いよね、ナイトは寒くないの?」と聞いたときは、無視された。そんなの当たり前だけど、歩くしかないじゃない、とでも言っているよう。ナイトと喋りながら、背中を見るとずいぶん年を取ったなと思う。いつのまに?と思うけど、これが犬の命の長さなのだろう。ヒトでいえばナイトは僕と同じ年代。この歳で抗がん剤治療を受けたら、普通以上に老ける。それでも、ナイトは楽しげに僕と歩く。
そうか、犬たちとはこうやってすこしずつお別れしていくのだなと僕は思うようになった。一緒にいることができるのも、この冬が最後かもしれない。それとも(希望的観測だけど)、あと数年生きてくれるかもしれない。そうしたら、僕も妻も嬉しいけど、やっぱりいつかはお別れの時がやってくることに変わりはない。今よりもっと若い頃のことをたくさん書いておけば良かったと思うけど、コロは12年、ナイトも7年となると、そうもいかない。これまでずいぶん長い間一緒にいてくれてありがとう。これからもよろしくね。
ナイトは、今回の治療から回復したらだいぶ元気になるだろう。身体的、精神的ダメージは大きかっただろうけど、立ち直ってほしい。この冬を乗り切ったらいい季節もくる。そんな、先のことまで言っていたらきっと鬼に笑われてしまうだろうけど、親バカと同じで、飼い主なんてみんな同じようなものだ。
犬はどこにもいけない