こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

今年のボツ記事 2018

2018年12月30日 | あの頃のこと…思い出話

さて、恒例の今年のボツ記事、今年はそんなにないと思っていたけど、案外ありました。

並びは、古い順ですが、シリーズ物(くずれ)など、書いた日が前後しているものがあるので日付はつけません。どれも出来損ないで申し訳ありませんが、私の備忘録のようなもので。

『』内がタイトル、続く文章が記事(もちろん書きかけ)。・・・以下は一言コメント。


『わたしはしあわせ』・・・本記事『分相応であるべし』と比べると、こっちの方がお気楽でよかったかな。

新年明けましておめでとうございます。
 今年もこんな気持ちでいられたら、よろしくお願いします!

 それにしてもブログ主、不肖コロ健、しあわせです。
 こんなにたくさんの読者の方に支えていただき、かれこれ10年

『ネガティヴ・ラヴ』・・・ホント、出だしは傑作だったんだけど。小説書くのって、難しい。

「先生さ、自分の年、考えたことあるの?そこそこイケメンのつもりかもしれないけど、どうやったってこんな若い子の恋愛対象になれるわけないじゃない。地位とか金とかに寄ってきているだけで、先生が自分で考えるドキドキするような恋なんて今さらできないんだからさ。こんなところでいつまでもクダ巻いてないで、早く帰って奥さんと昔話でもした方がいいよ。」
 こんな出だしの恋愛小説を書こうと思ったのだけどやめた。残念ながらこういう状況に対して気持ちが動くことがなくなっているためで、日常生活では多少の下心のようなものを感じることはあるけど、それを増幅させての不倫小説なんかはなかなか書けない。

『こんな雪の中お仕事ありがとうございます』・・・これ、頑張るべきだったのでは。

予想通り、関東地方は大雪に見舞われ、私も帰宅難民になりかけたけど、なんとか家に帰りつくことができた。

首都圏の交通が雪に弱いというけれど、これほどの過密ダイヤにもかかわらず、30分程度の遅れで運行しているなんて、驚異的。鉄道各社の努力に感謝します。道路を走る車は少ないけれど、路線バスはがんばって走っている。ありがたいことだ。

便利さを当たり前のように享受しているけれど、それぞれの人が仕事をしてくれるから私たちはやっていられる。

『他人の足を引っ張る』

他山の石として自ら気をつけなくてはいけないことはたくさんある。

最近気をつけているのが、卑怯な手段で他人の足を引っ張ること。ライバル、競合者というのはいつも突然に出現する。商売をしている人ならそんなことしょっちゅうだろうけど、医者の世界でもしばしばある。もし私がそんなことに巻き込まれたとしても、インチキなどしないで対抗しようと思う。もちろん、斬新な発想、とか仕事上の工夫は尽くさないといけない。

『ちゃんと働いたらそれだけのことを』

ブラック労働が問題となって久しい。
 医療の現場は、残業代度外視の医療従事者の働きが半分くらいを占めてきたが、労働環境の見直しが始まり、大混乱をきたしている。大学病院、名門病院に労基署が指導に入り、残業代の支払いで経営危機に瀕しているところもあるらしい。

『日本の愛国心のありかた』・・・日本人としての誇りが揺らいでいる。

昨日、ロイアルウエディングとのことでイギリスのハリー王子の結婚式が中継されていた。その中でコモンウェルスという言葉があるしばしばでてきた。
 これは言わずと知れた英連邦、すなわち旧植民地に発するイギリスの富の源泉のことだ。何ということはない、数百年前から、イギリスは世界を征服し、英語は共通の言語となっている。その、コモンウェルスを愛国心の象徴としている。
 第二次世界大戦後の枠組みは、戦勝国が作ったものであり、負けた日本はこの枠組みの中ではいつまでたっても敗戦国だ。かといって、非核保有国で新しい国際的な連合体を作ったところで、核保有国によってバラバラにされて終わりだろう。
 戦勝国側はナチスドイツ、悪魔のような日帝から世界を救ったという自負があるから、堂々としているし、それへの誇りが愛国心日本繋がっている。
 一方で、敗戦国である日本はどんな愛国心を持ったらいいのだろう。
 幸い、昔からの日本の国土はほぼ残されて、分断もされなかった。そうした日本への愛情を、私たちはどう持っているだろうか。

『やってはいけないことをやってしまったら』・・・政治家が責任を取らなくなって久しい。

この国、日本は法治国家で、民主的な方法で選ばれた政治家が公明正大な政治を行っていることになっている。だから、政治家は不公平なことをしてはいけない。不公平なことは政治家としては犯罪なのだ。

 犯罪者は犯罪を犯したらその罪を認めて償わなくてはいけない。そしてその場からは退場する。

『母は強くて頼りになる、はずなのに』・・・お母さんはどうして止めることができなかったのか。

5歳の女の子が継父に虐待され、死に至ったという痛ましいニュースが流れている。


『私のプレゼンテーション考(1)私は何を伝えたいのか?』・・・このシリーズは復活させたいが。

大山鳴動鼠一匹となってしまった、「私のプレゼンテーション考」改めて書いてみようと思う。

『私のプレゼンテーション考(2)テーマと内容』

昨日、”何を伝えたいか?”ということについて考えたのだけど、その”何”とはすなわちテーマだ。

『私のプレゼンテーション考(3)発表内容に関する制限』

”発表内容は先生のご判断に任せます”と言われても、大まかなテーマが決まっている場合、判断なんてそうそう簡単にはできない。

『私のプレゼンテーション考(4)プレゼンの技術』

手が震えるかもしれないから、レーザーポインターは両手でしっかり握る。とは、むちゃくちゃ厳しかった指導教授の言葉。

発表はハンズフリーで、は発表をイロハから直接指導してくれた先輩の言葉。

両方とも、しっかりいまでも覚えていて、体に染み付いている。

『私のプレゼンテーション考(4)プレゼンの技術』

手が震えるかもしれないから、レーザーポインターは両手でしっかり握る。とは、むちゃくちゃ厳しかった指導教授の言葉。

発表はハンズフリーで、は発表をイロハから直接指導してくれた先輩の言葉。

両方とも、しっかりいまでも覚えていて、体に染み付いている。

『私のプレゼンテーション考(5)聴衆と幸せな時間を共有する』

講演では会場にいる聴衆とともに、その幸せな時間を共有する。

『許せない心』・・・テーマが大きくなりすぎるとまとめられなくなってしまうう。

人を許す、許さない、というのは結局は自分の心一つだ。
 無差別テロは世界中で起きている。
 オウム真理教事件、秋葉原通り魔、無差別銃撃、自動車テロ。規模の大小、関わった人間の数はまちまちでも、結局はそれぞれの人の身勝手な思い込みが、それまで何の関係もなかった無辜の人々の命を奪う。

『ナンパをしている若者を見て思うナンパのテクニック』・・・他人をネタにするのは、よほどのことがないと文章にできない。

とある駅前で、友人と待ち合わせて立っていたら、真横で大学生ぐらいの男が高校生ぐらいの女の子を口説いている。

二人がどのような状況でその場に連れ添っていることになったのかはわからないけど、わかるのはその男がその女の子を”お持ち帰り”しようとしてるということだった。なにせ、真横なので口説き文句も聞こえてくる。

男「ウチに来たら、親もいるから安心しなよ」女の子「・・・」男「今日はもう遅いからさ、ウチに来て寝てって、それで明日の朝早く帰ったりいいじゃない」あれこれ考えたのだろうか、女の子がやがて家に電話しているが、「ママ、出ないなぁ」とかいっている。男の方はあとひと押しということであれこれ一緒に帰ってくれるよう懇願している。

大したものだ。人を見かけで判断してはいけないけれど、その男それほどパッとした風貌ではないしかといって遊び人風というわけでもない。それでもそうやって”お持ち帰りしたい”という一念でそこまでやるかという感じだ。そういえば、私が浪人している時に、憧れていた女の子をやすやすと持っていった男がいたが、ちょうどそれを思い出した。彼女のことが気に入っていると言ったら、その1週間後には肩に手を回して私の前を歩いていた。そういう、天性のナンパ野郎、というのはどこにでもいて、この私の横で必死に口説いている男もその口なんだろう。

女性は、男性とそういう関係になる時には”なんらかの理由が必要”だというけれど、この男はそれを実践している。

『次のミッション』

一昨日のプレゼンはまあまあよかった。一度に二つも三つもの仕事はできないので、結局、次の仕事はこれからということになる。

『PPD(Pack per Day)というよりは』

タバコの数え方としてPPDという方法があることを話題にしたことがあった(PPDはタバコの数え方 2017年07月27日)。

『”人生”という大きくて長いトンネルの中で(4)魂を感じ、コントロールする』・・・このテーマも大きくなりなりすぎた。

”人生”が大きくて長い真っ暗闇のトンネルのようなものであることを思いついてからというもの、そのことの意味をよく考える。とくに、心に乱れを感じたとき、目をつぶって、自分はトンネルの中にいるだけなのだと思い出す。でも、ここでいつもそう思うことの邪魔をしてくるのが、肉体だ。私が魂を感じ、コントロールすることをまるで邪魔するかのように、刺激を送り込んでくる。それは、匂いであったり、音であったり、触覚であったりする。さらには、痛み、空腹感のみならず様々な精神的苦痛といったようなものも、”気を散らす”ように襲ってくる。

心頭を滅却すれば火もまた涼し、という言葉がある。極端な暑さや寒さは別だが、それ以外の大小の刺激ですら、なかなか除外することは難しい。逆に肉体と魂を分離するということにこだわる必要なんて無いという考え方もある。心休まる音楽と香りに身を委ねて全てが渾然一体となった中で過ごすのも良い。それはそれでとてもいいことだけど、自分自身の魂のありか、というか存在が純化されない危険がある。自分の世界がその中で閉じてしまって、暗闇の中の自分周囲が照らし出されるだけで、もっと広い世界に心が広がっていかない。

自分の知覚を自分の存在する周囲に限ることなく、もっと広くしなくてはいけない。世界は広く、果てしないということを意識しなくては、魂を解放することはできない。自分の魂、感覚を内向きのものにしてしまわないためにも外部からの刺激を切り分ける術を身につけたい。その一つが瞑想だろう。瞑想といっても、それほど難しいものではなくて、静かな場所と椅子があればできる。そういうところで、目を閉じて鼻の頭あたりを見つめて、自分の心の中にある魂を感じる。寝てはいけない。

そうするうちに、自分が大きく長いトンネルの中にいるということが感じられるようになる。やがてはその外により広い世界があることを感じることができるようになるかも知れない。

『”人生”という大きくて長いトンネルの中で(5)肉体を解放するには』

魂を感じ、コントロールし、やがて解放することができても、でも肉体はどうやって解放したらいいか?

芸術とかスポーツとかさらにはゲーム、賭博は魂と肉体を結びつけてします。

『”人生”という大きくて長いトンネルの中で(6)肉体は消滅に、魂は解放へ』・・・でも、なんとかまとめないと。

矛盾した関係

『麺類の食し方』

私は蕎麦が好きだ。学生の頃はうどんが好きだったが、ここ20年ほどは8対2ぐらいで蕎麦を食べる。お腹の調子が今ひとつの時は消化の良いうどんを食べる。だから、月曜日には妻にうどんを作ってもらって食べた。

『国際学会に行ける人、行けない人、行かない人。』・・・ひがみっぽい文章もダメですね。

今年の国際病理アカデミー年次総会が中東のヨルダンで開催されている。日本からも多くの病理医が参加していて、早くもFacebookに死海の写真をアップしている人もいる。どうやって休みをとって、渡航費を捻出しているのか教えて欲しいが、先生方それぞれなのだろう。残念ながら、私の場合は貧乏暇なし、とても1週間も仕事に穴をあけることなんてできない。それに海外に一人で行ってもそう楽しくない。

国際学会では、公用語が英語で、英語がそれほど流暢でない私はつい二の足を踏んでしまう。学会場では英語が上手でないことは、ディスカッション能力がかけているということで、よほど良い論文でもを持っていなければ、英語が下手な人は下に見られてしまう。語学力でしたに見られるというのもなんだか悔しいので呼ばれなければ行かない。

何しに行くのだろう?と思える人もいる。とくにこれといった研究をしているわけではないのだけど、とにかく勉強目的で行く人なんて、すごい。

私は、国際学会に行こうと思えば行けるけど、諸般の事情で行けないというか行かない人だ。国際学会に行けないのならば、せめて論文を書いたらいいのだけど、ここのところ書いていないというのは良くない。全部ただの僻みになってしまうので、気をつけたい。

『スイカもパスモもイコカも対象に?』・・・消費税、どうなるんだろう。大混乱じゃない。

消費税増税に際して、軽減税率が話題となっている。

『笑顔はなぜすぐ忘れてしまうのか』・・・いつも笑顔で。

油断すると、すぐ仏頂面。
 誰かが、ちょっと気にさわることをすると、きつい目で睨む。私はなんてつまらない人間なんだろう。

(ありがとう 平成 @海ほたる)

『自分の歳を考えよう』

人が誰かと接する時、年齢差が問題となることは少なくない。

スポーツとか将棋や囲碁のようなゲームならば同じルール内で戦うので、年齢差はほぼ関係ない。でも、一般社会では”年齢”を相手に対して優位に立つために利用する人は少なくない。

私が小学生の頃、担任の先生は30代、40代、50代といたように思うが、それぞれ同じようなおじさんおばさんだった。大人なんて、子供の目から見たらそうだ。中学、高校あたりになると、若い先生、年配の先生の違いぐらいは認識できるようになってくるけど、やっぱりみんな大人だ。結局、いつまで経っても年上の人は、みんなある程度年配者であり、自分から見たら”ずっと”年上の存在だ。

でも、自分の立ち位置はあまり変わっていない。いつも自分が一番若くて、自分より年上の存在が重しというかプレッシャーになってある。

『一度死んだと思えば』・・・交通事故は怖い。

私は一度死んだ。
 そう考えることにした。
 奇しくも55歳の誕生日に私は一度死んだのだ。
 だからといって、また死にたいとは思えない。少なくとも(あの時のように)意味もなく死ぬのは遠慮したい。

『たとえ、週一だとしても』

ここのところ、スポーツジムには週に1度程度しか行けていない。

『タバコの匂いはどこからくる?』

スポーツジムのあるエリアでは

いつか書こうと思っていただけなんだけど

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