私が弟に出会ったのは、53年前。弟が私と違うと気がついたのは幼稚園に入るか入らないかの頃だから4歳ごろだっただろうか。ダウン症という言葉を知ったのは、小学校中学年ぐらいの頃で、それはいつか治る病気だと思っていた。だから、弟の病気を治したいと、大きくなったら医者になろうと思っていた。高校生になって弟のことに興味がなくなってきたら、医者よりももっとなりたいと思う職業がでてきて、そちらを目指そうと思った。でも、私がてっきり医者になるものと思っていた父は、猛烈に私を説得し、結局私が折れ、医者になった。
それはさておき、弟のことを障害者といわれることには抵抗がある。私の弟は、ダウン症という染色体異常症だけど、名前があって喜怒哀楽がある。それなのに、障害者とか、異常症とか、そう表現されてしまう。前にも書いた(3月21日はダウン症の日 (World Down Syndrome Day ; WDSD)
2012年03月21日)が”健常者”のスタンダードに合わないというだけで”異常”ということ自体、おかしい。そもそも、”健常””異常”という表現そのものが、人間に差をつけているという点で、異常なのだ。
”ボケ”という言葉が差別的だということで、認知症という言葉に置き換えられるようになったけど、それなら、もともと”障害”を持っている人に対する表現方法を変えることはできないだろうか。
考えよう