こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

埋められない他人との価値観の相違はどうやって埋めるか

2021年04月15日 | 生き方について考える
 ひんやりした朝。昨晩までの雨のせいで空気はしっとりしている。アプローチにはソヨゴの濡れ落ち葉。

 また嫌な夢を見た。楽しい夢もないわけではないだろうが、すぐに忘れてしまう。どんな夢だったかはあらかた忘れてしまったが、若い頃、人に迷惑をかけた話だったと思う。人付き合いは未だに悩ましい。他人を変えることはできないと、言葉ではわかっていても体で理解し、そのように行動することがなかなかできない。

”そこはちょっと譲ってよ、分かってよ”、なんていうことがしょっちゅうある。自分が相手に合わせるということが必要なのだが、受け入れられないことは少なくない。

 価値観の相違。
 
 自分の価値観を相手に押し付けることがいけないが、いつまでも赤ん坊に手づかみでの食事を続けさせるわけにはいかないのと同じで、間違ったことをしている人に対しては、”改めさせる”ことが必要だ。

 だが、手づかみでの食事は間違っているだろうか。それが当たり前の地域だってある。食事マナー一つとっても違いがあるのだから、考え方に至っては千差万別十人十色、土台すり合わせなどできるわけがないのだ。

 全員が同じ価値観である集団などない。例えば品質管理を求められる検査室では標準作業手順書を作成して、全員が同じ手順で同じことをする、という手法がとられている。それでもだんだん我流が幅を効かせるようになってしまうので、何度もチェック、見直しが行われる。業務ですらそうなのだから、それ以外の点で価値観を同一にするには教育、思想を統制するしかないが、そんなことは土台無理だ。
 
 では、どうしたらいいか。

 それぞれの人がそれぞれの考え方を持っているということを受け入れる、すなわち多様性の受け入れ、ということになるのだろうか。若い人が自分を主張するのを受け入れることなんてのも必要かもしれない。
 同調圧力、年功意識の強いこの国で、そんなことをどれほど進めていくことができるかはわからないが、遅まきながら私もそのことをやっていこうと心がけたい。
自分を持つ

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なんだかこれっていいようにごまかされていない?

2021年04月14日 | 日本のこと、世界のこと
 やっぱり雨で、傘を持って出た。駅の近くまで妻に送ってもらったら、雨は小降りで結局使わなかった。ホームで電車を待つ間は雨つぶ混じりの風に吹かれたが、傘を開くわけにはいかなかった。帰りも傘をさすまでのない霧雨。結局今日も傘を一応服運んで終わった。

 近頃、政府、政治家がやってきたことがどうもデタラメというかインチキというか、私たちのことをいいようにごまかしているんじゃないかと思うことが多いと感じる。もちろん、彼らが一生懸命、全身全霊を傾け、努力しているというのならば許せるが、なんだか人任せ、責任逃れで、そんなに頑張っているようには見えない。

 数字は正確なもので、例えば現時点での新型コロナウイルスワクチンの接種率は世界で60位前後だそうだ(日本のコロナワクチン接種率「世界60位」の衝撃!アリバイ的に高齢者開始も医療従事者の接種は2割(AERA )。まあ、普通の国といえばそうなのだが、お上はかつてのジャパンアズナンバーワン伝説を台無しにしたことを認めたくないものだから、いまだ、G7の一員の先進国であることにしがみついていたく、新型コロナのワクチンすら自前で作れなくなってしまっている現実を国民に理解させようとしない。それどころか、医療従事者に行き渡っていないのに、一部の地域の高齢者への接種を始めた。これは全く”やってる感”の演出に過ぎない茶番だ。

 男女格差の目安となる、ジェンダーギャップ指数は調査対象156カ国中、120位(なぜ低い?男女平等ランキング、日本は世界120位)。地勢学的な問題があるかもしれないが、それにしてもこのグローバル化の時代において、G7の一員の先進国にしてはこの位置は低すぎる。政治、行政に参加しようという女性が少ない、という論を張る人がいるが、そもそもそういう環境を作ってこなかったということを隠している。中等教育(129位)や高等教育(110位)の低さがそのことを物語っている。男性優位、男性のご機嫌を取らなくては生き抜くことができない社会というのを根本から変えなくてはいけないのに、そのことをしようという姿勢はあまり見えてこない。女性アナウンサーを多く使うようになったNHKに期待したいところだが、彼女らをアイドル扱いすることだけは極力やめて欲しい。

 そして、昨日知らされた”福島第一原発の処理水、海洋放出を政府が決定”というニュース。これがどれほどの環境汚染であり、どの程度の健康被害をもたらすのかはよくわからない。トリチウムの排泄は早いという説明などあるが、どこまで信じていいのかもわからない。始めに海洋放出ありきであって、”そのうち除去方法が見つかるかもしれない”なんて、無責任なことを言っている大臣は一体何を考えているのだろうか。例によって”丁寧な説明”とか言っているようだが、それよりもして欲しいのは”率直な正直な包み隠さぬ説明”だ。

 思うに、国家機密なんていうのはどれほどあるのだろうか。軍事、産業、経済、国家の発展にとって守らなくてはいけない秘密はたくさんあるが、嘘のような隠蔽細工はしないで欲しい。こんなことを繰り返し、続けている限り、この国が再び世界の表舞台に立つことは難しい。
やってる感はもう勘弁して

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人付き合いの仕方がわからなくなってきた

2021年04月13日 | 日々思うこと、考えること
 今日明日は天候がすぐれないという予報。帰りの時間帯には強風を伴った大雨になるとのことでしっかりした傘を持って出てきたのだけど、幸か不幸か外に出たら雨は降っていなかった。傘を置きに戻るのも面倒だし、明日も風は強いだろうから、降った時にはしっかりした傘を使いたいと、そのまま持って帰った。いずれにせよ、傘を持ち歩くのは、できたら今日の行き来だけであって欲しい。

 東京には新型コロナウイルス蔓延防止措置がとられ、飲食店の営業時間が地区ごとに制限されるらしい。隣町との違いがどうのこうのとニュースになっていた。こんなことが1年以上続いているのだから、飲食店のほうもどういう状況が感染をひき起こしているのかわかっているだろうにどうしたら対策になるかなど学習していてもいいのにと思うが、話はそう簡単ではないのだろう。

 家族以外と外食をすることがほとんどなくなって久しいが、最近ではそんな記憶が薄れてきた。あまり評判の良くない日本の飲みニケーションだが、さすがに皆無となるとやっぱりあっても良かったのではと思う。
 マスクで表情の半分が不明となり、目だけで相手の感情を読み取らねばならず、一体何を考えているのかがよくわからないことも少なくない。離人感とか現実消失感に近いものなのかもしれないが、自分および他人の存在というのがマスクをつけたそれぞれのアバター的存在に取って代わられているように見えてしまう。まだ、以前の顔を知っている人がほとんどだが、付き合いの浅い人などではマスクの下の顔が曖昧になってきている。
 
 コミュニケーションの取り方が難しい時代になったと言えるかもしれないが、逆に、言葉を尽くして、”丁寧に”話すことが必要な時代になったとも言える。

「顔見りゃ何考えてるかわかるだろう」

 なんてことは通用しなくなった。不機嫌そうな顔をしているだけじゃ、周囲の人は何もわかってくれない。言いたいことがあればちゃんと言わないと自分が損をする時代になってきた。

黙っていてもしゃべっても

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学術会議にゃ関係ないが

2021年04月12日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 目が覚め、スマホを開けたらいきなり某雑誌からのGmailが届いていた。”あー、論文査読の催促だ。”とすぐにわかる。おかげで血圧がいきなり上がってしまった。まだ、1度しか読んでいないので、もう少し読み込んでと思っていたのだが、今週が締め切り。気合をいれてさっさとやれということだ。

 僭越ながら査読システムというものをご存じない方に説明させていただくと、学術論文(よく知られたのだとNature、Cell、Science)のほとんどは、投稿された論文がその雑誌に掲載するにふさわしいかを”査読者”という雑誌社が選んだその道の専門家に無償で吟味させる。論文1本1本にお金をかけていたら、ボツになる論文の方がよほど多いわけで、とてもじゃないが資金がもたない。そして、当然といえば当然だが、査読者の名前は一切公表されないし、査読したことは査読者の業績にもならない。査読をカウントするシステムがあるが、それで”美味しい”思いをしたことはない。

 じゃあなんで、そんな一文の得にもならない査読を血圧を上げてまで引き受けているかといえば、それはもう、しがらみというか・・・、ではなく、科学文化の向上に少しでも寄与しようという心がけからであって、私のような末端医学徒にも参加の余地があるのだと考えてのことだ。日本学術会議だとかに入っているような高名な先生方からみたら、私なんぞなんてことない泡沫学者だが、そんな名もなき査読者によって多くの学術論文は支えられている。自己満足というよりは矜持のようなものだろう。

 乾燥注意報が出ているほどの湿度のせいか、肌寒い。また、1週間が始まる。色々あるだろうけど、一つ一つ心を落ち着け、怒らず、焦らず。新学期で大声で談笑する学生が車内に目立つようになった。怒りそうになったら、怒る前に南無阿弥陀仏を7回唱えるようにしてやり過ごそう。まあ、私も昔はそうだったわけだし。
笑顔を作って

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ありふれた休日はいつやってくるだろう

2021年04月11日 | 日々思うこと、考えること
いい天気。
家のことをあれこれやっているうちあっという間に昼となり午後となった。
あまりあれこれ考えず、やらなくてはいけないことをつぎつぎ片付けた。
散歩がてら、買い物に出かけると今日もたくさんの観光客。そんな人の間をすり抜けながら歩く。ただし、マスクをつけて。
マスクをつけて歩くものだから、どうしても息苦しくなり、観光客が鬱陶しい。以前だったら、そんなこと思うことなどなかったのに、と、自分のことがいやになる。こんなことはやく終わって欲しいけど、多分終わることはない。死ぬまでこんなかと考えると閉塞感と絶望すら感じてしまう。
袋小路

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コロちゃんの足の怪我、その後

2021年04月10日 | 犬との暮らし
 久しぶりに土日が晴天に恵まれるという話だったが、関東南部沿岸部は午前中曇りがち。今日も少し肌寒かったが、久しぶりにマルチーズのコロと散歩した。ちなみにコロは昨日トリミングして、綺麗になっている。

 ところで、先月20日に落として怪我をさせてしまった御歳14歳のコロ、実はその後今日まで大変なことになってしまっていた(1日いろいろあって 2021年3月20日)。かかりつけの獣医さんに”骨折はありませんでした”と言われてから帰ってきて、”安静に”していたが、歩くのも億劫そうで、悪いことをしたと反省した。ところが困ったことにそれからコロが何も喰わなくなった。獣医さんにまで”コロちゃんはガラスのハートの持ち主”と言われているだけあり、コロはショックで飲まず食わずとなってしまったようだった。

 その後数日、水や餌を近くに置いてもなにも口にしない。近づけても顔を背ける。まるで一昨年の初冬に死んだナイトの死ぬ前の状態と同じ(ナイト、まだまだ頑張ってます!2019年12月7)。そうはいっても犬なんだから喉が渇いて、お腹が空いたら、水も飲むだろうし餌も喰うだろうとたかをくくっていたのだが、まるで意地でも張っているように飲まず喰わず。翌週になり、心配した妻が整形外科の先生のいる日に犬猫病院に連れて行ってもう一度よく診てもらったら、専門家でないと見つけることのできないような小さな骨折がみつかった。

 高齢のため、手術をするわけにもいかないと保存的治療という安静で過ごさせることとなった。点滴と食欲増進剤を飲ませてもらってから帰ってきた。食欲増進剤の効果があったのか、すこしだけ水を飲むようになった。その後、餌を変えてあれこれやってどうにか食べるようになって危機を脱した。先生には安静にと言われているのだが、コロは散歩に連れて行けと催促するので、歩きたいだけ歩かせる。今朝もそんなで、右の後ろ脚を引きずりながらひょこひょこ歩いている。帰りの坂道は妻が抱っこして上がった。リードは妻が外してくれた。

 一匹でわが家にやってきて、頑張って生きてきたコロ。そんなコロに恥をかかせるようなことをしてはいけない。今度のことでコロのことを家族の一員としてより深く思うようになった。ペットを家族の一員なんていうのは変、というわけではなく、命あるものを預かった責任というものを果たさなくてはならないことの延長がコロのことを深く考えるようになったものだと思う。
仲良くしようね

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過ぎゆく時間に長短はあるか

2021年04月09日 | 生き方について考える
 数日来の”この時期らしい気温”で、3月の先走った温かさで浮かれていた体が却って少し落ち着いたような気がする。新緑が少しずつその色を濃くしはじめて、遠くの山のパッチワークも楽しげに見える。季節は巡り、全てのものが少しずつ成長し、老い、朽ちていく。

 時間というのは一定の速度で進んでいるはずなのに、それに緩急があるように感じる時がある。仕事でも1時間あれば比較的ありふれた症例であれば5、6例片付けられるのに、難しい症例、詳細な記載を求められる症例にぶつかると、気がつくとそれ以上の時間が過ぎている。診断に取りかかると集中して他のことはほとんど気にならなくなる。その間、時間は止まっているようだが、そんなことはない。下手をするとあっという間に昼食の時間となる。

 日に1度、院内から外を見ることができるのが昼休み、医局の自分の机での個(孤)食の時間だ。窓越しに外の天気をみながら、3、40分リラックスして弁当を食べるのが最近の私のリズムだ。スマホでお気に入りのブログを読むのもこの時間。いいね、だとか応援とかを押しているうち体も休まり、リセットしたら午後の仕事に移る。午後はルーチンワークのほかに、カンファレンスや打ち合わせがあり、人との接触があり、それなりに楽しく、ストレスもある。

 今ではすっかり通勤の往復がブログのエントリーを書く時間となっている。ただ、このところ学会の発表準備があったり、論文の査読があったりしてブログにばかり構っていられない。通勤時間は毎日ほぼきっかり同じなので、長短はないはずだが、時間が足りなかったり、手持ち無沙汰に感じたりと微妙に伸び縮みする。面白いものだ。ちなみに今日のエントリーは都内までのほぼ真ん中あたりで仕上がったので、少し時間が余りそうだが、それは他のことに充てようと思うので結局のところ、比較的短く感じるだろう。今週もはや金曜日、振り返ればあっという間だった。4月ももう3分の1が過ぎるが、この時間はもう戻ってくることはない。時間とは無駄遣いするにはもったいないかけがえのないものだ。
明日を見ながら今日を生きる

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気がつけば浦島太郎

2021年04月08日 | 生き方について考える
 朝はちょと肌寒いぐらいのほうが体がシャキッと目がさめるような気がする。今はほとんど耳にすることがなくなったが乾布摩擦なんてのを小学生の頃やったことがある。それほど劇的な効果があったという記憶がないので、あれは体を温めるというよりは気合を入れていただけではなかっただろうか。いずれにせよ乾布摩擦をしなくても過ごせるいい季節がやってきた。

 昨日はあれこれたてこんで、家に帰りついた頃には頭はぼーっとして、このまま脳が溶け、目が落ちてしまうのではないかというほどだったが、今朝起きたらスッキリしていた。どうも疲れただけのようだった。実際昨日は1時ごろから8時過ぎまでぶっ続けで仕事をしていたので疲れたのもしかたないが、たまたま昨日の仕事量が疲れさせたのか、それともただ単に年齢的な衰えによるものなのかはわからない。

 ちかごろ、後輩など若い知り合いが大学教授とか大病院の部長といった要職に就いたり、大きな賞を受賞するということをよく聞く。職場には若い人が目立つようになった。そんなことが急にはっきりと見えてきて、いつの間にか、自分が人生の半分をすでに過ぎていたということ自覚する。若い若いと思っていたら実は老人だったという、浦島太郎の話は実はこんなことだったのではないか。浦島太郎が玉手箱を開けた時はもう人生の第4コーナーを過ぎたところだった。定年前の私にすれば今は第4コーナーに差し掛かる少し手前の短い直線あたりだろう。

 ここまで、落馬しかけたり、他の馬と接触したり、いろいろなアクシデントがあったが、いまのところまだ人生にしがみついて走っている。手綱を掴む手の力の衰えはいかんともしがたいが、それでも馬は走っているわけで、振り落とされないかぎりは人馬一体、それなりにベストを尽くしていたい。
健やかに老いる

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太っている人にそのことを言ってもあまり意味はない

2021年04月07日 | スポーツ・健康・ダイエット
 午前中の仕事に余裕があったので、オフピーク通勤をしてみた。遠距離通勤の私にとってはこれでも随分遅かったのだが、出発の時間はちょうど地元の学生の通学時間と重なり、電車はそれなりに混雑していた。それでも少し寝坊できたのはちょっとした気分転換になった。もちろん、その分帰る時間は遅くなった。

 東京2020の開会式で渡辺直美さんの体型をバカにするような演出案を出したプロデューサーとかいう人が、顰蹙を買って退任した。私もこの問題が出てきたとき、すぐに、「あれ、渡辺直美のことかな?」とは思ったが、案の定そうだった。その後内容が明らかになり、まさかオリンピックの開会式で、彼女を動物に擬するとは、それは失礼でいただけない。ふくよかであることを売りにしているのだからそんなに目くじら立てなくても、という人もいるかもしれないが、ふくよかであることは、”まん丸な赤ちゃん”のような幼児体型の”カワイイ”姿を考える。それが人間を動物に見立てて笑い者にするというのは尊厳の問題に関わる。じゃあコロ健お前は他人のこと豚だ蛇だ猿だと言ったことはないのか、と問われたらそんなことはない、そうやって悪態をついてきたことはいくらでもあるし、自分が猿だゴリラだと言われて嫌な思いをしたこともある。私を含め多くの人にはそのプロデューサー氏を非難する資格は無く、ただその経過についてコメントするしかできない。

 日常生活でも、ふくよかな人、太った人、というのによく会う。現代社会では多かれ少なかれ太っている。さらに、自分がダイエットしてからは余計にそういう人が目につくようになった。そういう人に電車で隣に座られたら正直困るが、すれ違う分には気にならない。だが、コロナ禍でも問題になったが、一定以上の肥満は病的な状態である。どこかの時点でそれ以上の肥満を止めないことにはその人自身の命に関わる。そういう意味で、”痩せた方がいいですよ”とアドバイスしたくなるが、言い方によっては失礼になるので言わない。なぜ失礼かというと、ご本人に太っているという自覚がないことがほとんどだからだ。

 今回、私が自分の肥満に気がついた理由はいくつもあった。腰痛があり、しゃがむのが辛くなり、風呂で自分の三段腹を目の当たりにして肥満を自覚していた。私がどんどん太るのをみて、家族や親戚はそのことを指摘してくれたのに自分では気にしていなかった。そして、いよいよ体重が80キロを超えてからぐんぐん増えて85キロとなり、90キロも目前となった。ぼんやりと、”このままいったら100キロも簡単だな”と思い始めていた。そんなとき、とある飲み会(情報交換の場としての飲み会はとても重要!)で、ダイエットアプリ(あすけん)を教えてもらったのが転機となって危機を脱した。半年前からは妻と一緒に糖質ダイエットもして、結果1年半で12キロ減らした。そうしたら、しゃがむのも階段を上るのも苦にならなくなった。血圧も下がった。まだまだ体脂肪率が高いので、もうしばらく続けなくてはいけないが、それは仕方ない。

 知り合いには痩せたとよく言われるようになった。私としては、1年半前と今とでさして変化は無いように思われ、痩せたと言われてとくに嬉しくもない。結局のところ、体型などというものは本人の考え方次第だ。だから、太っている人に太っていると言っても、あまり意味はない。その人にとって、その状態が心地よければそれでいいのだ。そして、そのことについて他人は肯定も否定もしないのがいいのだろう。タバコもこれに近いものがあるが、これは匂いの問題があるので、それさえクリアしてくれたらこれも肯定も否定もすることはできない。大きなお世話なのだ。
自己責任の範疇

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政治家や官僚が使う”丁寧”の意味とは

2021年04月06日 | 日本のこと、世界のこと
 気温は花冷えの9度。先月の中旬から妙に暖かかったが、本来はこれぐらいでのはずなので、花冷えというのもどうか。本来は、などという言葉を使ってしまうこと自体、世の中は常に変化するということを受け入れることのできない旧態然とした自分の思考パターンの裏返しのようで情けないが、これほどの温暖化には多くの人がついていけていないのではないか。なんでも今年は気温の平年値が変更されるそうで、1度上がるところもあるらしい(今年は「平年値」が10年に1度更新される年 年々上昇する気温にみる地球温暖化)。

 さて、連日のように報道される、政治家や官僚の不祥事。一太郎を使わないことにした、なんて間抜けなことを言い出した役所もあるらしいが、いい迷惑なのは一太郎の方だ。上司によるチェックをしっかりやる、なんて、一体どういう意味なのかよくわからない。間違っていたのは法案の文章であって、それって当事者意識が欠如しているとしか言いようがない。こういうことがあると必ず出てくるのが、”国民の皆様に、丁寧な説明をします”という言葉。政治家や官僚の使う、”丁寧”とはどんな意味で使っているのだろうか。

 先月、若い人への寄せ書きに”丁寧な仕事ができるよう心がけてください”と書いた。色々な意味を込めての”丁寧”だったが、一番は”慎重に、慌てず、ミスのないように、そして誠実に”ということで使った。政治家や官僚が使う”丁寧”とはどうもニュアンスが違うのだ。私の使い方が間違っているのだろうか。広辞苑で調べると”丁寧”とは、”注意深く心がゆきとどくこと。また、てあつく礼儀正しいこと。”とあった。私の使い方に間違いはないように思う。そして、てあつく礼儀正しく、はむしろ政治家や官僚の用法に近いだろう。そして、そこには、噓偽りなく、誠実に、とは書かれていなかった。丁寧にの中に誠実を求める私の使い方は間違っているのかもしれない。
 
 そんなわけで、礼儀正しく説明しさえすれば、事実をいくら隠してもとがめられることはないので、政治家や官僚が好んで使うのかもしれない。モリカケ問題も丁寧に事実が隠蔽されたし、総務官僚の接待騒動のことも、丁寧に葬り去られたようだ。言葉というのは大事に扱ってあげないと、本来持つ意味が失われてしまう。”丁寧”なんて、とてもいい言葉がいいように使われて歪んでいくのを見るのはとても残念だ。
丁寧な文章

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南無阿弥陀仏は1秒足らず

2021年04月05日 | 日々思うこと、考えること
 なんだかスッキリしない朝。昼休みに外を見たらまた雨。春の天気はこんなものだけど、やはり青空がいい。それでも雨なら、花粉やら黄砂やらが落ちて、昨日の午前中のように埃っぽく無く助かる。あんなだと薬も役立たず、そのことを考えると雨もよしとせねばなるまい。あちら立てばこちら立たず。

 この前、怒りのコントロールができない私に対して、ブロ友さんからいただいたアドバイスに従いアンガーマネジメントを始めた。使い出したのは『アンガーマネジメント手帳』、というもので、日々の怒りをこまめに記載するというもので、多少効果がありそうなので続けていこうと思っている。減量アプリのあすけんにも通じるところがあり、これもアプリ化したらどうだろうと思うが、もう誰かがやっているかもしれない。

 さて、その中に書いてあるコツの一つに”6秒ルール”というのがある。これは以前から知っていたが怒った時に実際6秒も待つのは難しいと感じていて、そのままにしていた。そもそも6秒というのは案外長い。こんな長い時間待っていたら、怒りを爆発させるという、ある意味楽しいことができない。それに太古の時ならば、あっという間に猛獣に食われてしまった。

 ところが、先日から『アンガーマネジメント手帳』を使うようになり、なんとかせねばと真剣に思うようになり、”6秒ルール”に取り組むことにした(これも効果の一つ?)。6秒間怒りを抑えると、たしかに衝動的に出てしまう舌打ちや睨みつけさらには悪態といったものが出て来にくい。それに今の時代、猛獣はいない(テロや事故には注意していなくてはいけないが)。

 怒りの冷却のための6秒間をどうやって作るか、そのことを考えたら、先日読んだ歎異抄にあった”南無阿弥陀仏”を唱えてはどうかと考えた。6秒間に名号を何度唱えているか測ってみたら、7回ほど。1回1秒足らず。7回となるとずいぶん長いが仕方ない。
 葬儀法事は真宗のお世話になっている身、バチが当たることもあるまいと、心の中で手を合わせつつやってみることにした。
また、1週間が始まる

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嫌な夢

2021年04月04日 | 日々思うこと、考えること
嫌な夢だった。

ある人に、

「最近、あんまり頑張ってないだろう」

と言われ、なにも言い返すことがでけいないまま目が覚めた。

たしかに最近気力が湧いてこないし、頑張りも前ほどきかない。
どうしてだろう、コロナのせいか、歳のせいか、もともと向上心の乏しい私のキャラクターのせいか。

夢見を話すのは良くないと尊敬する以前の上司にいわれたことがあったがついつい言ってしまう。この夢も妻に話したら、

「私なんて寝ている間も掃除をしていて嫌になっちゃうわ」

と一蹴された。

いい歳になっても、勉強のこと仕事のことを言われる夢を見るなんて、情けないことだが、あまり気にせず明日からまた私なりにやっていくしかない。
思い当たる節はある

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チューリップのこと書いてたら

2021年04月03日 | ガーデニング・菜園・花・緑
今日は半袖でもいいほどのポカポカ陽気。満開の桜もいいが、我が家のチューリップも満開。3月14日に咲き出して3週間ほど(咲いた咲いたチューリップ )。
去年、チューリップの球根を掘り起こしておいたのを腐らせてしまったので今年のお花はほとんどが新しい球根。チューリップは基本的には毎年新しいものを育てるものらしく、今年はそうなった。
ふるさと納税で買った普通のチューリップ。たしか60球ほどだった。
他にも八重のとか、原種とかいろいろ植えたのがよく咲いてくれた。
いろいろ書こうと思っていたのだけど、なんだかチューリップの写真を見直していたらなんだかその気力が失せてしまったので、やめた。
読み直したらタイトルだけそのままだったので、それも変えました。
明日は雨

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実存主義と南無阿弥陀仏・・・2021年3月の読書記録

2021年04月02日 | 読書、映画、音楽、美術

昨日、所用があり休みを取って早めに職場を出た。約束の時間までには余裕があったので桜を見に近くの公園に寄り道した。たくさんの花をつけた見事な大木に圧倒されつつ、今年の桜もこれで見納めだなと美しさを目に焼き付けておいた。来年再び見ることができるという保証などどこにもないわけで、2度と見ることもないかもしれない。そういう意味では桜の花というのは人生の儚さを表しているようにも見える。
以前、息子から勤め先の病院の桜の古木が軒並み伐採されたという話を聞いた。私も好きな場所だったが、なんでも近隣住民からの落ち葉に対する苦情への対応のためということだそうだ。先日、引越しの手伝いに行ったら、大量虐殺の跡よろしく無数の切り株だけが残っていた。この春もたくさんの花をつけようとしていた木々にとては藪から棒に次々と切り倒され、その命を続けることを突然中断させられたのだからたまったものではなかっただろう。私のかつての勤務先でもバッサリ切られた桜の木があったが、人間の身勝手さにはほとほと呆れる(桜の木の伐採 -2012年4月4日 )。それにしても近所の何人の人が伐採を要望したのだろう。
先月は『嘔吐』と『歎異抄』。

『嘔吐』の主人公のロカンタン氏は『雪国』の島村と同様の高等遊民。生活にあくせくしているような人では小説という非現実世界の語り手にはなれないようだ。虚構とはいえ、そういう人たちが考える思考というものを一般化させることは果たしてできるのだろうか。少なくとも私は働かなくてはいけない身、そんな人間がこんな小説を理解できるのだろうか。なんて、まあ、ただのひがみかもしれない。
宗教のことを分かったように書くと、信者の方に怒られてしまうかもしれない。ただ、新聞1面に「無人島に持っていくなら歎異抄」という広告がたびたび掲載されるのをみるにつけ、ならば読んでみようと思っていたがなかなか手に取る機会がなかった。サルトルを読み終えて、次は何を読もうかと書店で本を探していたら『歎異抄』が目に入った。薄い本で、『嵐が丘』、『嘔吐』と大作続きだったのでこれ幸いと手に取った。他力本願、悪人正機、そういうことがどういう意味なのかを垣間見ることができたし、戦国時代のことも想像できるようになった。昨年の大河ドラマ(麒麟が来る)の前に読んでおけばより面白かったろうにと思うとちょっと残念。

読んだ本の数:2
読んだページ数:499
ナイス数:28

南無阿弥陀仏 この本を読んでやっと一向一揆のことがわかった。解説文は丁寧に書かれていて、出てくる言葉をググるとあれこれわかる。便利な世の中になったものだ。 そんなに時代が変遷して念仏を唱えることの意味は不変。 あまりにコテコテの関西弁で、わかりにくいところもあったけど、何度か読み直してみよう。
読了日:03月26日 著者:唯円

わかりやすい訳のおかげで読み通すことができた。主人公に感情移入することはできず、”吐き気”を理解することは最後までできなかったし、”存在”というものも自分のものにすることはできなかった。”単独者”については自分なりに理解できた。自分もそうだからか。 公園の変態、独学者の性癖は作品にリアリティーをもたらした。
読了日:03月23日 著者:J‐P・サルトル


私は自分で考える

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新しい出会いを機に私も再出発!

2021年04月01日 | 人間関係
通り雨のせいで、ちょっとしっとりした朝。全国的に晴れるなか、関東地方は雲の多い1日となるらしい。日付が4月1日と年度が改まり、多くの人が異動や就職で新天地で新たな出発をする。私の勤務先でも、病理医がいなかった時に非常勤として支えてくださった先生の代わりに、新しい先生が非常勤としてきてくださる。検査技師さんも新しい人がやってくる。臨床医もたくさんの先生がくる。病理と深く関わりのある、外科、腫瘍科、腎臓内科などなどそういったところにも、またいろんな先生が来た。受け入れる方も新たな出発。

人間関係を築くのはなんとかできるものの維持することにはあまり自信がない。過去、迷惑をかけてしまったことが思い出され、後悔の念が沸き起こってくることも少なくない。そんなことで、余計に自信が無くなっていくのかもしれない。だが、時間を後戻りさせることはできないのだから、それらのことは消し去ることも修正することもできない。そうであれば、それらを抱えたままま生きていくしかない。生きていくということは、そんなことの繰り返しなのかもしれない。

新しい出会いは、新しい人生と出会うこと。怖いこともあるが、楽しいこともあるにちがいない。この1年を振り返ると、停滞の一言に尽きる。コロナ禍のせいでほとんど固まって何も進歩がなかった。私こそコロナ禍に囚われていたのだ。そろそろストレッチして動き出そう。そのきっかけには新しい人との出会いはとてもいいことであるに違いなく、それを利用したいものだ。忘れてはならないのは、私がなすべきことは、自分のことだけではないということ。そのためにも、私自信が周りの人への負担にならない生き方を心がけなくてはならない。
話は少し変わるが、アンガーマネジメト手帳というものを入手して、先週から使い出した。早速効果はあり、怒りというものがコントロールできるかもしれないと希望を持ち始めている。そんなに簡単にイライラやムカムカが消えるわけではないものの、その都度それらを見つめ直して気長に続けてみようと思う。カバンに入れて常時携帯している。これも心機一転の一つと言っていいだろう。
笑顔

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